ふ、と。
 実写は、顔を上げた。
 誰かに、呼ばれたような気がする。首を巡らせるが、当然周りには誰もいない。ステアリングホイールが微かに動いているだけだ。
「⋯⋯解るのか」
「え? なにが⋯⋯?」
「キューブが持ち出された。信号を掴めるようになった」
「──⋯⋯呼んでる?」
「⋯⋯やはり、解るのだな」
 物憂げに呟いたオプティマスは、それから口調を変えた。
「バンブルビーから通信がきた。人間の協力を得られたようだ。彼は解放され、いま、キューブを運んでいる」
「ほんとう?」
 驚きと喜びがない交ぜになった表情を浮かべた実写に、オプティマスは少しだけ安堵する。
「ああ。バンブルビーは無事だ。このまま彼に合流し、キューブを守る」
「⋯⋯うん」
 一つの決意を秘めて、実写はゆっくりと頷いた。





 オートボットは、ハイウェイを走行するバンブルビーと、その周りを囲む軍用車を無事に見つけた。
 ジャズがエンジンを唸らせて追い越し車線へ入り、バンブルビーの隣へぴたりとつく。こんなときでも、彼はドアミラーをグルリと回転させて人間たちに挨拶してみせた。
 ほかの仲間も加速し、軍用車を追い越していった。ジャズは後ろに下がってバンブルビーの背後につき、代わってアイアンハイドとラチェットが側面の守りについた。オプティマスは車両全体のしんがりに。
 実写はフロントガラスに額がくっつきそうなほど身を乗り出して、バンブルビーを見た。

 あそこに、ある。

 確信し、無意識に目を閉じた。瞼の裏の暗闇にくっきりとその存在が浮かび上がっている。
 ──呼び声。
 手を伸ばせば、触れられそうなほどに、はっきりと。
 目を開けると、軍用車の一台に乗っている男性が訝しげにこちらを見ていることに気付いた。それもそうだ。銃を抱えている彼と比べれば、自分は明らかに場違いだ。彼はすぐに視線を前へ戻した。理由があってそこにいるのだと察したらしい。
 しばらくは何の問題もなく、一行はハイウェイを疾走していた。ラスベガスの郊外に入る頃、後ろから騒ぎが迫ってきたことに、オートボットだけでなく、人間もすぐに気付いた。
 サイレンを鳴らすパトカーだけなら、人間たちは騙されたかもしれない。だが、その後ろに、見たこともない車があった。凶悪な爪でほかの一般車両を左右に投げ飛ばしながら近づいてくる。二足歩行のロボットに姿を変えると、その所業はまさに蹴散らすといった体になった。バスでさえ真っ二つにして猛進し、さらに距離を詰めてきている。
 オプティマスが後方に退がった。迎え撃つつもりだ。
「行くぞ、実写」
 実写は頷いて、そっとステアリングホイールを撫でた。
 目を閉じ、信頼しきった表情で、彼女はオプティマスの次の行動を待っていた。奇妙に落ち着いている実写に、オプティマスもスパークのざわめきが鎮まっていく。穏やかな胸の静寂の中で、闘志だけが烈火のように燃え上がっていた。
 オプティマスは実写を体内へ巻き込みながらトランスフォームし、突進してきたディセプティコン、ボーンクラッシャーとスピードを落とさないままに激しく組み合った。何トンもある二つの機体がぶつかり合った衝撃で空気が震える。
 ハイウェイの本線から下の連絡道路へ落下した彼らは、着地の瞬間からすでに攻撃を始めていた。組み打ちから離れたばかりの初撃はボーンクラッシャーが制したが、不自然な体勢から放たれた拳はオプティマスを怯ませることはなかった。殴られた衝撃で仰け反ったものの、すぐさまボ−ンクラッシャーの放ったものより桁違いに重い一撃を返す。オプティマスと同等の巨体を持つボーンクラッシャーでさえ、吹き飛ばされて、連絡道路のさらに下に広がるコンクリート敷きの川床に叩きつけられた。
 傍に飛び降りてきたオプティマスに鍵爪を伸ばしたボーンクラッシャーだったが、すでに勝敗は決しているようなものだった。オプティマスは腕をエナジーブレードへ変形させながら、支柱を使って二、三度攻撃を避けただけで、呆気なく頭部を刺し貫いた。
「⋯⋯実写、無事だな?」
 オプティマスは素早く周囲を確認すると、胸部装甲を開いた。戦いの最中、存在を忘れそうになるほどまったく動かなかった実写を外に出してやる。
「オプティマスは?」
「大丈夫だ。行こう」
 実写は頷きかけ、
「オプティマス、後ろ!!」
 叫び、一気に走り出した。傍にいればオプティマスが満足に戦えないことくらい分かっている。
 実写に注意を促されるより先に、オプティマスは次なる敵の存在を視覚ではなく感覚で捉えていた。背後に降り立ったのはバリケードだ。
 連絡道路の支柱に隠れた実写は、顔だけを出して戦いを窺った。激しすぎて何が起こっているのかいまいちよく分からないが、少なくとも圧されてはいないようだ。
「穢れたオートボットめ──」
 技の応酬がいくらか繰り返されところで、不意に、バリケードが詠った。
 嘲笑うその視線が自分を飛び越していることに、オプティマスは気付くと同時に叫ぶ。
「実写、隠れろ!!」
「死ね!!」
 バリケードは攻撃の寸前で標的を戻した。支柱に隠れた虫けらから、オートボット総司令官へと。愚かにも視線を逸らしたオプティマスの胸部鎧に、鋭い刃に変化させた腕を叩き付けた。致命傷ではない。緊急モードに陥るほど深くもない。しかし、それを知る術のない実写にも、彼が劣勢になったのは分かった。
 実写は言われた通りに慌てて身を隠したが、相手はオプティマスの猛攻を凌いで、驚いたことに支柱を回り込んできた。狙われているのは自分だと気付いても、支柱の周りを逃げ惑うしかできない。
「どうした、虫ケラが丸見えになっているぞ!」
「くっ⋯⋯!」
 実写が自身の体の影にくるよう立ち回るオプティマスに、バリケードは確実にダメージを与えていく。
 実写は息を切らして逃げ回りながら、徐々にではあるが、オプティマスが攻撃を食らう回数が増えていることに気付いていた。
 ──助けなければ。
 でも、どうやって? 武器もないのに。
 武器。
 実写はそこでようやく、ベルトに挟んだ銃のことを思い出した。
 思い切って、支柱を背にして立ち止まり、銃を持つ。凶悪に黒く光る銃身が、いまは頼もしく思えた。
「低く構えて、眼と間接」
 アイアンハイドの言葉を反芻する。片膝を着き、腕を真っ直ぐに伸ばして、構えた。
 気を逸らすだけでいい。最悪でも、オプティマスが勝ちさえすればいいのだ。──たとえ、ここで、自分が死んだとしても。
 地響きをさせる二つの足音は、すぐにふたたび迫ってきた。
「実写、逃げろ!!」
 オプティマスの鋭い喚起と、間近に現れた機体の大きさに、実写は自分でも驚くほど、怯まなかった。

 (低く構えて、眼と間接)

 心の中では反芻したが、実写は狙いを定めずに撃った。当たりさえすれば、さっきから人を虫ケラ呼ばわりしているこのディセプティコンは、思わぬ反撃に驚愕するだろう。あるいは、怒り狂うか。その隙を、オプティマスは絶対に逃さない。不思議と、それを確信していた。
 そして、結果は彼女の思っていた通りになった。
 恐ろしい形相で手を伸ばしてきたディセプティコンを、オプティマスが寸でのところで捕え、ハイウェイの鉄筋コンクリートの支柱に叩き付けた。ねじれた姿勢で倒れて動かなくなったディセプティコンをオプティマスが強く蹴ったが、反応はない。オプティマスも、それでようやく、とりあえずのところは安心したらしかった。
 だが、こちらに振り返った彼は明らかに怒っている。
「君は、なんて危険なことを──」
「でも、うまくいったよ」
「確かに、今回のところは、君の言う通りだ。だが、いつもうまくいくとは限らない」
「分かってる」
 銃を元通りベルトに通しながら頷いて、実写はオプティマスを見上げた。
「それより、その話は後にしようよ。時間がないんじゃないの?」
「⋯⋯そうだな」
 まだ何か言いたげだったが、オプティマスも頷き返し、トレーラートラックの姿になる。彼は実写が乗り込むと、排気管をうならせ、クラクションを鳴らして、仲間たちのところへ戻っていった。




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