機体を真っ二つに引きちぎられてブラックアウトしていたジャズは、奇跡的にも意識を取り戻した。反射的に起き上がろうとした彼は、次の瞬間、恐ろしい違和感に機体からゾッとオイルが引いた気がした。
 腰から下、あるべきところに自分の脚が──ない。
 パニックに陥りそうになる自分を必死に宥め、意識を失う直前の出来事を思い起こす。
 確か、そうだ。自分は、暴虐と呼ぶに相応しい力で、機体を左右に⋯⋯。
 俯せになっていた身体を何とか仰向けに転がし、ジャズはそっと視線をやった。腹から溢れる循環液が身体の下でオイル溜まりを作っている。腰から下は⋯⋯やはり、ない。
 震える機体を抑え付け、ジャズは不甲斐なさに地面へ拳を叩きつけた。今の彼の力ではアスファルトにさえヒビすら入らず、小さな瓦礫が僅かに浮き上がって細かな音を立てるだけだった。
(⋯⋯副官が聞いてあきれる)
 皆が戦っているこのときに。無様に転がっているだけなどとは笑えもしない。
 いま自分がなすべきことは、速やかに損傷箇所を修復し、多少なりとも──少なくとも武器を展開できる程度には──回復して、戦線に戻ることだ。しかし、それは無理であろうと鋭利な思考回路の片隅で悟っていた。
 内部機関はこれ以上ないくらいに悲鳴を上げている。オートセーフティーによって痛覚回路が切れていなければのた打ち回っているだろう。スパーク・チェンバーの損傷も激しかった。零れ出ていくエネルギーを押し留めてはいるが、自己修復機能にも限界がある。このままでは時間の問題だが⋯⋯最悪なことに通信機能がイかれていた。
(死ぬのか)
 ゆっくりとそこに向かいつつある体はひどく重い。腕を持ち上げることすらままならない。ラチェットは気付いてくれるだろうか。この混乱の中ではやはり望みは薄いだろう。
 焦燥と恐怖に蝕まれながら、ジャズはオプティマスたちへのメッセージを残すことを思いついた。遺言なんて冗談じゃない、とも思うが、エネルギーの残量もほとんど尽きている今の自分には出来ることがそれしかない。
 皆の悲しみが──彼らもこの戦いを生き残れたとしたら、だが──少しでも和らぐように。それを願って、次々溢れてくる自分の思いをメモリーに残していたジャズだったが、弱ったセンサーに引っかかった生命反応に顔を上げた。
 瓦礫を飛び越え、現れたのは人間の影。
「っ実写⋯⋯!?」
「死ぬな!!」
 彼女からスパークを震わせるような鋭い叱咤が飛んできたことに、ジャスはブレインを揺さぶられたような心地になった。実写は素早く機体によじ登ってきたかと思うと、胸部から零れ出す弱々しい光を機内に押し戻すように両手を押し当ててくる。
「逝ってはだめ⋯⋯っ!!」
 血を吐くように叫び、実写はありったけの力を送り込む。自分の心臓がとんでもない速さで脈打ち始めても、送り込む力を緩めなかった。

 ──死なせない、死なせない、死なせない!!

 なにかに取り憑かれたように、その思考だけが渦巻いていた。耳鳴りが酷く、呼吸が辛かったが、それらの感覚すら急速に遠ざかる。
「止めろ! お前の体が持たん!!」
 力が肉体の限界を超えようとしている実写を慌てて引き剥がしたジャズは、一瞬、自分の腕が思うように動いていることに気付かなかった。しかし気付いたときには、修復機能にエネルギーを持っていかれたあとだ。
「すぐ⋯⋯ラチェ、ト、呼ぶ」
 地面に引き摺り下ろされた実写はまた動けなくなった彼に、ぜいぜいと濁った呼吸で言った。痛む胸を服の上から掻き毟るように手で押さえながら、通信機を取り出す。オプティマスに教えてもらった通りに回線を開いて、コールボタンを押した。


 そのころ、ラチェットは三ブロックほど離れた通りにいた。アイアンハイドにその場しのぎのリペアともいえぬ応急処置を施してやって、移動を始めようとしていたところだった。
『ラチェット!!』
 突然、回線に入ってきた声を聞いて動きを止める。
『どうしたね?』
 切迫した声に、彼は無意識に応えていた。
「おい! 何してる!」
「実写だ」
 急かすアイアンハイドを制するのと同時、実写のほうが叫んだ。
『ジャズが危ない! 早く来て!!』
 彼女がジャズの元にいるということは、オプティマスが来たということだ。キューブの元へ向かっただろう彼と実写の位置を知るために、ラチェットは広域センサーを起動させた。オプティマスは少し離れているが、実写の持つ通信機の信号はたった一キロほどの距離にある。
『わかった、すぐ向かう。君は隠れろ。キューブの波長が辺り一帯に満ちているいまなら、姿さえ隠せば奴らに見つからんはずだ』
 答える言葉はなかった。スパークがざわつくような嫌な予感に、ラチェットはさっと顔を上げた。
「ジャズが危ない」
 感知した信号のうちの一つがひどく弱々しいジャズの生命反応だったことも焦りを生んだ。
 ラチェットは素早くトランスフォームすると、急発進して信号の元へ向かい始めた。アイアンハイドは一瞬だけ迷った。が、すぐさま同じようにトランスフォームして、彼のあとを追いかける。簡潔な言葉だったが、それゆえにジャズが早急なリペアを必要としていることが分かったからだ。ラチェットが戦場でリペアに集中するためには、誰かが周囲を警戒し、護ってやらなくてはならない。


「大丈夫。すぐに来る」
 まだ胸を押さえたまま言った実写は、ジャズの手が届かない場所まで離れた。そして通信機をさらに離れた場所に置く。
「実写、待て!!」
 背を向けた彼女を、ジャズは必死で呼び止める。向かおうとしている先はキューブの元だろう。争いの中心、もっとも危険な場所に。
「行ってどうする! お前に出来ることはないんだぞ!!」
 懸命に腕を伸ばそうとする。だが、自分の身体なのに、わずかにも動かない。
「行ってみなきゃ分からない」
 実写は微笑んでみせた。
 どれほど危険でも、どんな結果になろうとも。自分の正体を見つけるために、前に進まなければいけない。なにより彼は──彼らは、命を賭して、自分たち人間を護ろうとしてくれている。だから、行かなくてはならない。ただ、彼らと同じものを賭ける。それだけの話だ。
 そして、おそらくはキューブに接触できる最後のチャンスでもあるだろうから。
 実写は髪を翻してぱっと走り出した。ジャズの静止の声が追ってくる。しかし彼女は止まらなかった。振り向きもしなかった。
 倒れて視界の低くなっているジャズには、実写の背中がすぐに見えなくなった。


「ジャズ!」
 実写が走り去っていくらも経たないうちに、ラチェットとアイアンハイドがその場に到着した。彼女の向かった場所とは真反対の方向からきた彼らに、ジャズは視線で示す。
「実写を追いかけて保護しろ! キューブのところに行った!!」
「お前のリペアが先だ」
 ラチェットに冷静に返され、ジャズは不自由な体勢でそれでも首を捻り、もう一人の仲間に叫んだ。
「だったら、アイアンハイド! お前は行け!」
「バカを言うな。まだスタースクリームとブラックアウトが残ってるんだぞ。メガトロンもな。俺が行ったら、誰がお前らを護る」
 彼らがたったそれだけの短い会話をしている間に、ラチェットはリペアに取り掛かっていた。すさまじい集中力で作業を進める彼は、二人の声などもはや聞こえていない。そんな状態の彼と、警戒システムを起動させる余力さえ残っていないジャズを置いていけば、敵が来たとき確実に不意を衝かれてしまう。
「キューブは目の前なんだぞ! 奴らがオレらなんかに構うかよ!」
 ジャズの言うことは一理あった。それに、オプティマスの元へ向かえば確実であろう。しかし、スタースクリームがうろうろと上空を飛んでいるうちは、アイアンハイドにここを離れる気はなかった。
「どちらにせよ、もう保護は無理だな。広域センサーを起動してるが、あいつの信号が掴めん」
「なんでだよ!」
「キューブの波長が辺り一帯に満ちてるんだぞ。あんなちっぽけな信号なんぞ紛れて見つかるか」
 残った敵三体の動向を油断なく窺いながら、アイアンハイドは忌々しげに唸る。
 状況が悪い。バンブルビーも手負いの今、オプティマスだけが頼りだ。あとは⋯⋯まああまり期待はしていないが、人間がどこまでやれるか。彼らが首尾よく敵の数を減らしてくれることを祈るしかない。足止めでもいい、少なくともオプティマスがメガトロンだけに集中できるくらいには働いてほしいものだが⋯⋯。




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