市街地の戦いから数日後、ケラーはふたたびフーバーダムを訪れていた。地下施設の案内役であるシモンズの背中に着いていきながら、書類の束を捲っている。彼はいま現在、仮眠も満足に取る暇もないほどに多忙を極めている。それでも、直接会って話したいというオートボット総司令官からの要請を、彼は二つ返事で了承した。こちらの多忙を理解しているオプティマスが申し訳なさそうに控えめに、しかしはっきりと会いたいと伝えてきたのだ、重要な内容だろうことは容易に想像できた。
 年季の入った巨大な扉の前に辿り着いたとき、ケラーは目頭を一度強く押さえた。この分厚い鉄板の向こうにいる存在に不躾な真似をしないよう、寝不足の頭に渇を入れる。
 シモンズがこちらを見て、視線で伺ってくる。ケラーが頷いて応えると、彼はドアを押し開けた。施設の区画を区切る重い扉は、三分の一もいかないうちに、中からの力によってゆっくりと開け放たれた。ドアの上部に太い指先がかかっている。その持ち主が、静かに数歩後ろへ下がり、片膝を着いた。
「ケラー国防長官。非常に多忙にも関わらず直接の会談の機会を作ってもらえたことを感謝する」
「こちらこそ君に会えて嬉しく思う、オプティマス・プライム。──個人的にもね」
 ケラーはオプティマスを見上げて言った。最初にここを訪れたときはそんな余裕はなかったしそれどころではなかったが、こうして正面からその存在に向き合うと、子供の頃のフィクションに対する憧れが思い出された。モニター越しでは何度か話しているが、やはり実際に会うと興奮を覚えずにはいられない。異星人、それもロボット生命体ときている。在りし日の幼い気持ちがふいに蘇ってくるのも無理はない。ケラーは一呼吸のあいだだけ少年に戻った。
「⋯⋯さて、早速だが本題に入ろう。あいにくと社交辞令を交わしている暇もなくてね」
「了解した」
 オプティマスは頷き、なるべく威圧感を与えないよう、できるだけ背中を丸めた。それから自身の胸部鎧の奥にしまっていたものを慎重に取り出す。
「私は、君たち人類に、これを預けたいと思っている」
 太い指に摘まれて差し出された石のようなものを、二人の人間は覗き込んだ。
「それは、なんだね?」
「キューブのかけらだ」
 質問の答えに、シモンズはぎょっとして身を引いた。ケラーはまだしげしげと観察している。
「まず、知っておいてもらいたい。“これ”は我々にとって最大級の信頼の証だということを」
 言葉を十分に選んだうえで、オプティマスは話し出した。
「キューブは、もともと我らの星に存在した。その所有権について議論するつもりはない。君たちも分かっていようが、キューブは人類にとって危険すぎる。たとえこのような小さなかけらであっても、使い方を間違えば君たちに大きな被害を齎すだろう」
「そんなかけらに、まだ力が残っているのか⋯⋯」
 ケラーはふむと顎を撫でながら呟いた。あの巨大なキューブを見ていれば至極当然の感想だ。
「ああ。力を引き出そうと思えば可能だ。そして、キューブのかけらは他にもある」
「どこに?」
 顔を上げたケラーに、オプティマスは即答した。
「実写だ」
「──⋯⋯やはりな」
 シモンズが深々と吐き出した。
 市街地での戦いのあと、彼女はレノックスの隊のメディックによって死亡が確認されたが、本来たどるべき処理を経ずにいまはこの施設に“保管”されている。総司令官のオプティマスと、軍医であるラチェット、そしてセクターセブンからの要請によって、事は秘密裏に運ばれた。
 毎日定時ごとにラチェットと研究員が彼女を調べているが、経過はシモンズの予想通りのものだった。予想通り過ぎて、驚きすらもない。同じ奇跡が二度起こった。それだけの話だった。
 少女の体は、防腐処理を施されてもいないのに腐敗することがなかった。全身をくまなく調べてみても、彼女の体は腐敗の兆候すら見せていない。それどころかむしろ、徐々にではあるものの、潰れた内臓が、ひしゃげた骨が、正常な状態へと戻っていっている始末なのだ。
 呼吸も、脈拍も、体温もない。生きているはずがないのに、血の気のない白い肌は死者のそれでもない。
「⋯⋯それで?」
 訊ねたケラーにオプティマスは一つ頷き、断固とした口調で言った。
「実写についての一切の権限を、我らに渡して欲しい」
「彼女は人間だ。人間のことは人間に任せるのが一番だと思わんかね」
「しかし彼女はいまだキューブの力を有している。私はこの先、もう二度と、なにものにも彼女を傷付けさせるつもりはない」
「我々が彼女を傷付けると言いたいのかね?」
「そうではない。先にも言ったが、」
 オプティマスはもう一度、キューブのかけらを掲げた。
「“これ”は我々にとって最大級の信頼の証だ。そして、私には、責任がある。キューブの関わったすべての物事について」
 ケラーはしばしオプティマスを見上げた。
「⋯⋯力を引き出せると言ったが、それは彼女に関しても確かなのかね?」
「おそらくは。⋯⋯試そうとも思わないが。
 彼女はオールスパークの力を自身の意思で操ってもいた。その力も残っている可能性が高い」
「ちょっと待ってくれ。彼女の“遺体”がここに保管されているということは私も聞いている。つまりあの子は⋯⋯死んだのだろう?」
 話についていけなくなったケラーは、手を上げてストップをかけた。どうも彼女が“生きている”という前提で話が進んでいるように思えてならない。
 オプティマスは少し口を閉ざした。
「⋯⋯その件については我々の中でも意見が分かれているところだが⋯⋯私は、少なくとも“死んではいない”と思っている」
「じゃあ、生きているのか?」
「いや、人間の定義で言えば、おそらく⋯⋯死んでいる。だが君たち人間は、腐敗しない遺体を“生きている”とも言わないだろう」
 オプティマスはふたたび口を閉ざし、視線を少し落とした。考え込む仕草だった。
「⋯⋯ここからは軍医であるラチェットの仮定と、私の個人的な考えとなるが──今後、いつになるかは分からないが、彼女は目覚める可能性が高い」
「⋯⋯生き返るということかね?」
「君たちの言葉で言うなら。
 しかし我々の感覚では、目覚めると言ったほうが正しい。彼女は停止状態に過ぎず、人間でいう意味での死には至っていない」
「にわかには信じられないが⋯⋯」
 唸るケラーに、シモンズが肩を竦めてみせる。
「彼らで言うところの仮死状態なんでしょうが、我々にしてみれば死者の復活の奇跡を目の前で見るようなもんですからね」
 ちらりと隣の男に目をやったケラーは、自分よりは事態を正確に把握しているシモンズに訊ねた。
「君の意見は?」
「実写は以前にも同じようにキューブに接触し、目覚めた。有り得ない話じゃないでしょうね。しかも今回はより濃厚な接触だったと思われますし」
「そうか⋯⋯。だが⋯⋯まあ⋯⋯なんにせよ、死んでいないのなら、それはなにより喜ばしいことだ。自国の民が、それも幼い命が失われるのは、私個人としても非常に胸が痛むからな」
「同感ですな」
 シモンズが素直に頷いた。偏屈で皮肉屋だが、国を守ろうとする彼の姿勢が本物だということはケラーにもよく分かっていた。
「うむ⋯⋯。よろしい、では、彼女──実写・イオンについての一切の権限をとりあえず君に預けよう。キューブの力を持つ以上、やはりそれがベストなのだろう。ただし、これは一時的な決定だ。速やかに書類を作成し、書面の上でも正式に誓約を結ぶこととしよう。それでいいかね?」
「了解した」
 オプティマスの頷きに、ケラーは条件反射的に手を差し出した。オプティマスは一瞬考え、その巨大な指を差し出す。一人と一体はぎこちなく、しかししっかりといびつな握手を交わした。
 お互いに満足のいく話し合いとなったことに、ケラーはこっそりと息をついていた。
 その気になれば人間など、それこそ指一本で捻り潰せる相手なのだ。オートボットが交渉のテーブルに着く理性を持っている幸運を感謝せずにはいられない。
「では、最初に言ったとおり、このキューブのかけらは君たち人類に預けよう。だが、保管するに適切な環境が整うまでは私が責任を持って所持する。それから⋯⋯」
「まだ要求が?」
 少々疲れたケラーの声に、オプティマスは重々しく頷いた。
「ディセプティコンの残党を討伐するため、我らが自由に動けるように手配してほしい。メガトロンは倒れたが、この地球にはまだ多くの手下が隠れている。奴らはリーダーを失ったことで今は混乱していよう。だが、スタースクリームを取り逃がしてしまった。奴は危険だ。以前よりディセプティコンのリーダーの座を虎視眈々と狙っていた。必ず軍団を再結成しようとするはずだ。奴には地球に侵攻してくる理由など最早ないかもしれないが──どちらにしても、地上に残るディセプティコンの残党は討伐せねばならない」
 一息ついた表情だったケラーは、さっと顔色を変えた。国の守りを一手に引き受ける老獪さの滲む顔付きだった。
「分かった。君の言葉に従おう。だが、我々も自らを護る手段を持っている。早急に部隊を編成し、討伐に加わろう」
「了解した。協力に感謝する、ケラー国防長官」
「こちらこそ。さて──すまんが私はもう行かなくては。また会えるときを楽しみにしているよ、オプティマス。一度、できれば仕事は抜きで君と話をしてみたいものだ」
「私もだ。そして、あなたが望むなら、私はいつでも応える用意がある」
 その口調はまるで父親の寛容さに溢れていた。この歳になってその類の包容力に触れられると思わなかったので、ケラーはふたたび子供の頃が思い出された。地上に出るまではこの懐かしさに浸っていても許されるだろう。彼はオプティマスに一つ頷いて背を向けると、少しばかり浮かれた足取りで、来た道を引き返し始めた。




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