「おい! おい、オプティマス!!」
 リペアルームに落ちた長い沈黙を破ったのは、人間のエージェントだった。シモンズである。
 何かを抱えて走りこんできた彼に、無遠慮に呼ばれた本人のオプティマスは何事かとシモンズを見下ろした。シモンズには一抱えほどある白い布から、黒髪と白いつま先が覗いている。それは、今まさに話題にしていた少女だった。
 オプティックを見開いたオプティマスは、素早くケーブルを展開させると、人間の腕から彼女を強奪していった。一瞬の早業すぎて、報告しに来てやったシモンズも唖然としている。
「⋯⋯⋯⋯実写⋯⋯?」
 スキャンしつつ、そろそろと窺うように声をかけてみる。微かに動いた布地の下にある身体から、温度と、二つの鼓動を感じた。オールスパークのものだけではない。心臓の脈打つ確かな音。
「オプティマス、こちらへ」
 今度は隣にいたラチェットが、オプティマスから彼女を攫っていった。ラチェットの手の中に横たわりスキャンを重ねられている彼女は、浅い呼吸を繰り返している。オプティマスは小さく上下する肩を見つめるうち、知らず顔を寄せていた。
「目、いた、ぃ⋯⋯みえな、⋯⋯」
「しばらく使っていなかったからな。大丈夫、じき慣れる」
 オプティマスは震える瞼にケーブルを伸ばそうとして、ラチェットに顔を押し返された。
「近いです、オプティマス」
「⋯⋯いや⋯⋯すまない⋯⋯」
 真っ直ぐに背を正すと、ラチェットは改めて実写を乗せた手を差し出した。
「とりあえず目立った異常はありません。バイタルはすべてオールグリーン。エネルギー波も安定しています」
「⋯⋯もうしばらく休ませたほうがよいのではないか?」
 手を伸ばしかけ、寸でで堪らえたオプティマスは実写から視線を上げてラチェットを窺った。
「心理的要因でバイタルが乱れる可能性が高い。あなたの傍に置いておくのが一番良いと思うが」
「⋯⋯そうか」
 信頼する軍医の許しに、慎重に頷いて、実写を両手で受け取る。

 ──生きている。目覚めて、ふたたび活動している。

 オプティマスはじっと見つめた。喜びに打ち震えたスパークに、ブレインが痺れるようだった。
 バンブルビーが身を乗り出したので、オプティマスは胸の前で揃えていた両手を少し下げ、彼のほうへ差し出した。覗き込むバンブルビーの黄色い触覚センサーが嬉しげにピョコピョコ動いている。アイアンハイドも身を屈めた。ラチェットも、膝を着いたオプティマスの隣で、高い位置から手の中を覗き込んでいる。
 円陣の真ん中を見上げ、初めてハムスターを見る子供のようだと思いながら、シモンズは踵を返そうとしていた。しばらくは実写を手放しそうな気配がないので、このあいだに上へ報告に向かおうと考えたのだ。その時だった。
「──ジャズ!」
 実写が突然叫んで弾かれたように起き上がった。瞬間、シモンズの目にも見えるほどのエネルギーが青い衝撃波となって広がった。
 ジャズの身体が大きく一度跳ね、腕がだらりとリペア台から垂れ下がる。バンブルビーも損傷部分から火花を散らしながらひっくり返っている。
 シモンズは尻に痛みを感じてポケット探った。携帯電話が妙な形になっている。実験室でよく目にした覚えのあるそれに、恐ろしくなってバンブルビーのいる台の上に投げ捨てた。ガシャンと音がしたが、オートボットは誰も反応しない。余計に怖くなって、シモンズは頭上を見回した。あちこちから、機械の起動するようなキュゥウという高い音が唸っている。
「おい! しっかりしろ!!」
 その呼びかけにも全員が仰け反るようにして動きを止めたままだったが、実写の上体がふっと傾いだとき、オプティマスが反応した。ケーブルを伸ばし、その全身を支える。
「──、嗚呼⋯⋯」
 溜め息のような呟きには、歓喜の色がありありと滲んでいた。
「おい、⋯⋯おい、大丈夫か?」
「ああ⋯⋯嗚呼⋯⋯大丈夫だ」
 朦朧としたようなオプティマスの返答に、シモンズはもう一度オートボットを見回す。アイアンハイドは止まったままだし、バンブルビーも台の上にひっくり返ったままだ。
 ラチェットがゆっくりとこちらを見下ろしたので、シモンズはちょっとホッとした。
「⋯⋯⋯⋯今のは、僥倖だった──我らにとっても、君にとっても」
 これまたゆっくりと口を開いたラチェットに、シモンズは訊き返した。
「どういうことだ?」
「私たちが全員揃っていたことは君にとってはとくに幸運だった。いまのエネルギー波のほとんどは我々が吸収した──そうでなかったら、君の尻は今頃穴だらけだっただろう」
 シモンズは思わず言われた場所を弄った。先ほど取り出すときに引っ掛けたのかポケットが裂けている⋯⋯。しかし、尻は無事だった。彼は無意識に、凶器と成り果てた元携帯電話から数歩下がった。
 シモンズはまた見回して、もう一度訊ねた。
「大丈夫なのか、こいつらは?」
「ああ。いまは⋯⋯そうだな、至上の幸福の余韻に浸っているだけだ。しばらく放っといてやりなさい」
 確かにひっくり返っているバンブルビーの姿はお腹一杯で大の字になっている子供のようにも見える。
「我々はこの星に辿り着くまで、長いあいだキューブを捜し求めて放浪の旅をしてきた」
 ラチェットがしんみりと言った。彼らの言う“長いあいだ”なのだから、それこそ気の遠くなるほどの年月だろう。
「物資もエネルギーも十分には得られない状況だった。だから、我々全員が、君らで言うところの“あちこちにガタがき始めている”状態だったのだ。だが今ので機体の内外すべて、ほぼ完全に回復できた」
 真っ先に衝撃から立ち直ったラチェットだったが、彼もやはりテンションが上がっていることがシモンズにも感じ取れた。声が上擦っている。知能のあるラップトップPCが、永遠に消耗しないバッテリーに再会したのだから、そりゃテンションも上がるだろう。
「そ、そうか⋯⋯それは⋯⋯なによりだ」
 ひどく遠い目になったラチェットに、反応に困ってそう言ってみる。
「まったくその通り」
 彼はすぐに喜びの彼岸から戻ってきた。頷きつつ、リペア台を振り向いている。
「そら──我が軍の副官のお目覚めだ」
 言ったとほぼ同時、ジャズの身体が激しく震えた。めちゃくちゃな駆動音を立て、ジャズは主要武器を展開しながらリペア台から転がり落ちた。周囲を見回し、視覚以外のセンサー群でも念入りな警戒とチェックを行う。
「ジャズ、安心しろ、ここに危険はない」
 オプティマスが穏やかに告げた。バンブルビーが起き上がり、アイアンハイドも反らした背中を真っ直ぐに戻した。全員が、ジャズを見つめている。
「武器を下ろせ」
 オプティマスの指示にもジャズは応えず、呆然としたような感じで、緩慢に首を巡らせた。仲間を一人ずつ、じっくりと観察し、それからオプティマスの手の中の存在に顎を上げた。
 掲げた武器を下ろしながら、そうっと歩み寄る。オプティマスは黙ったまま、手を差し出した。ジャズはしげしげと見下ろし、剥き出しになっていた上半身にそっとシーツを被せてやると、指先で髪に触れた。目を閉じている。反応もない。
「実写⋯⋯」
「大丈夫だ⋯⋯生きている」
「⋯⋯そうか⋯⋯」
 ジャズは顔を上げてもう一度、仲間の顔を見回した。全員が揃っている。そこでようやく、展開していたキャノンを収納した。
「皆⋯⋯無事だったんだな」
「おかげ様でね」
 応えたラチェットにジャズが顔を向けていると、オプティマスの大きな手が肩に触れた。
「ジャズ」
 そのまま静かに引き寄せられ、ジャズも彼の背に手をやった。オプティマスの喉が、わずかに震えている。それが無性に切なかった。
「生きてるよ」
「⋯⋯ああ」
「心配かけちまったな。すまなかった、オプティマス」
「構わない──君は生きていてくれた。いま、こうして私に応えてくれる。それだけで十分だ」
 二人がしばしそうして抱き合っていると、ごほん、と足元で咳払いが聞こえた。
「感動の再会のところ悪いんだがな、私はもう行くぞ。実写が“目覚めた”ことを報告しなきゃならん。──感謝しろよ、お前にいの一番に知らせてやったんだ」
「ああ⋯⋯感謝する」
 押し付けがましく言ってくるシモンズに、オプティマスは素っ気なさを感じるほど素直に頷いただけだった。
「貸しが一つだ」
 シモンズは気にせず、歩き出しながら人差し指を立てて、むしろ上機嫌に言った。ドアを潜り抜けたところで、
「ああ、あとで実写の服を届けるからな。⋯⋯見るんじゃないぞ」
 念押しするように全員を指差したあと、鼻歌をこぼして去っていく背中を、オートボットは黙って見送った。




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