振り払われた手を捕らえ損ね、エップスは目の前が暗くなった。自分たちとは違う方向へ走り出した彼女を追うかどうか、迷う間などない。

「先に行け!」
「やめろ、エップス!」

 制止するレノックスの声はすぐに遠くなり、戦闘機が空を翔る轟音が近付く。
 実写は先ほど助けられた漆黒を纏うロボットの傍にいた。膝をつくその巨大な者の足にすがりつき、必死に逃げるよう促している。

「実写! バカ野郎、早くこい!!」

 小柄な体を抱え上げるが、その手を頑なに離そうとしない。

 ──駄目だ、間に合わない。

 死を覚悟したそのとき、鋼の巨躯が震え、吼えるようなエンジンの音が轟いた。激しい衝撃に襲われ、世界が時間の枠を越える。
 気付いたときには、エップスは熱く焼ける砂の上に投げ出されていた。腕の中に、実写の姿はない。頭を振りながら立ち上がり、辺りを見回せば、すぐ近くに実写は倒れていた。
 その傍で片腕をついてどうにか上体を起こした体勢のロボットが、手を伸ばそうにも加減が分からず躊躇うように指をさ迷わせている。 

「実写!」

 エップスは急いで走り寄った。うつ伏せになった体をなるべくやさしく引っくり返し、何度も強く名前を呼ぶ。
 薄く開いた唇は乾いて血がこびりついていた。そこから返ってくるはずのいつもの無邪気な返事はない。動かない。まばたきしない。土で汚れた胸に耳を押し当てる。顔を上げ、振り返って叫んだ。

「救急班、ラチェットを! 実写だ! 脈がない!」






 白い光。
 直視できないほどまばゆい。
 実写は目を細めた。辺りでは稲妻がひらめいている。白い光よりなぜか強く光っている。その閃光の真ん中で、外骨格の体を持った奇妙な存在が、サムのまわりをぐるりとかこんでいる。
 光に満ちた中に、声がした。サムの声だ。

「ここはどこ? ぼくは死んだの?」

 奇妙な姿の一人が答えた。

「私たちはプライム王朝だ。君たちをずっと見てきた。君たちの感覚では長い時間」

 実写は答えを聞く前に気付いていた。彼らがオプティマスの“家族”だということに。感覚のない手足を動かす。走り出しながら、口を開いた。しかし声が出なかった。

「見ていた? ぼくたちを?」

 べつのぼんやりした影がやさしく言った。

「君は自分の過去の真実をまだ一部しか知らない。自分の未来についても」
「どういうこと?」
「やがて知ることになる」

 三人目は微笑んだが、からなずしも楽しそうではなかった。
 四人目の影がさらに説明した。

「指導者のマトリクスは、最大の善をなす力も、最大の破壊をなす力も持っている。君はそれを手にする資格があることを証明した。我らの最後の子孫オプティマスのために戦う中で、最初は犠牲によって。次に勇気によって」

 五人目が続ける。

「なにより、君はこの力を求めていない。他者を助けるために必要としているだけだ。それは真のリーダーの美徳だ。指導者のマトリクスは君のものだ」

 十二人のうちの六人目が言った。

「オプティマスのもとに戻り、彼にマトリクスを与えるのだ」

 正面で新たな閃光が閃き、サムの姿が消えた。
 それまで近付くことのできなかった実写は、死に物狂いで彼らの元へ辿り着くと、今度こそ叫んだ。

「待って!! オプティマスをひとりにしないで!!」

 少女の突き刺さるような懇願に、影たちは答える。

「彼はひとりではない」
「君がいる」

 実写は激しく首を横に振った。絶望に俯いて両手で顔を覆う。彼らの言葉に応えられないことを自分自身が一番よく理解していたからだ。

「違う! 違うの──わたしじゃ、だめなの⋯⋯っ」

 オプティマスは何も分かち合わせてはくれない。痛みも悲しみも苦しみも。庇護され与えられるばかりで、彼に何も返せない自分ではだめなのだ。彼の重荷になるばかりの自分では。

「実写」

 震える少女に、彼らはやさしく呼びかけた。

「実写、君は選ばれし者だ。キューブに、運命に、そして──オプティマスに」

 彼女は俯いたまま顔を上げない。オプティマスのために流される涙が、光の中にあってなお、星のようにきらめく。そこに宿るものの美しさに、やさしい眼差しが降り注ぐ。

「彼のもとへ戻れ」
「君がここまで来たのはそのためだったはずだ」

 ふいに声が遠のき、実写ははっと涙に濡れた顔を上げた。影がまばゆい光のかなたへ薄れている。

「待って!! 行かないで!!」

 走り、手を伸ばし、縋ろうとするが、届かない。
 彼らはただ微笑んだ。

「忘れるな。彼に必要なのは──」






 お願い!!

 実写は叫んだ。人生で一番深い懇願だった。
 瞼がぱっと開き、かがみこんでいたエップスが驚いて退いた。
 実写はまばたきして周囲を見た。オプティマスが息を吹き返している。彼が、サムがやり遂げたのだ。奇跡的な復活劇に誰もが見とれていたそのとき、大地が突然揺れ、エップスは反射的に身を低くした。反対に実写は仰向けに倒れていた身体を起こす。
 起き上がりかけていたオプティマスをふたたび倒し、踏みつける巨体。

「オプティマス!!」

 悲鳴に近い彼女の叫びに、真っ赤なオプティックが向いた。注意を引いてしまったことに気付いて実写は咄嗟に逃げ出したが、碌な抵抗も出来ないまま巨大な指に捕まってしまう。

「撃って!! お願い、かまわないでっ──」

 実写の判断は素早く正確だった。しかし、周りのオートボットと軍人が彼女の声に応えて武器を向けるより速く、“堕落せし者”の姿がエネルギーの渦巻きとともに掻き消えた。人々は遠くに目を移して驚いた。数キロ先の石切り場の頂上にふたたびその体があらわれたのだ。

「実写!!」

 レノックスはそのとき最悪の決断を迫られた。だが迷わなかった。実写の意志の強さ、そして覚悟を知っていたからだ。

「味方に伝えろ!! 敵はピラミッドの上、いますぐ撃ちまくれと!!」

 サムは驚愕して、険しい表情で声を張り上げた指揮官を見た。実写は敵の手に落ちているのだ。そんなことをしたら⋯⋯。

「待ってよ、実写は!?」
「サム。君だって分かるだろう、言ってる場合じゃないんだ」

 レノックスは宥める口調で告げた。まだ少年の細さをわずかに残す肩に手をやる。

「あの子も軍人だ。あの子はいつか“こうなる”かもしれないことを分かっていた。それでも選んだ道なんだ。俺たちはあの子の覚悟と、そして君の勇気に報いなきゃならない」

 レノックスは早口に言い、戦線へ戻っていった。取り残されたサムは振り返って叫んだ。

「オプティマス!! お願いだよ、立って!! アイツを止めて!!」

 オプティマスは倒れたままだ。しかし闘志を失ってはいない。

「オートボット、あれを止めろ」

 手を挙げて部下たちに命じる。だが、身体がついていかない。彼は立ち上がろうと全身に力を込めた。しかし戦えるような状態でないことは誰の目にも明らかだった。

 絶望感が、空気を支配しようとしていた。

 実写は敵の手に落ち、頼みの綱のオプティマスは弱っている。航空戦力もまるで歯が立っていない。戦車隊が蹂躙され、ピラミッドの側面を転げ落ちていく。

「オプティマス、オレのパーツを使え」

 その中で、希望を失っていない力強い声が傍に近付いた。ジェットファイアーだった。

「未知なる力が手に入るはずだ。最後のプライムとして使命をまっとうしろ」

 胸を押さえるジェットファイアーは苦しげだったが、その顔にはすでに老兵の誇り高さが戻っていた。

「オレはいままで価値ある行いもできぬままここまで生きてきた。しかし最後は違うぞ」

 ピラミッドを見上げ、

「この星と、あの娘を助けろ」

 そう言って、自らの手でスパークを引きずり出した。
 オートボットだけでなく、人間たちも驚きの目で見た。
 オプティマスはゆっくりと動き出し、ジェットファイアーの傍に這い進んだ。

「犠牲は無駄にしない。悼む時間も、賞賛するゆとりもない」

 ラチェットは医療助手のジョルトに向かって頷きながら、すぐに近付き仕事にかかった。

「ジョルト、電力供給だ。アフターバーナーを移植しろ!」

 最後の仕上げの指示を受けたジョルトは、オプティマスとジェットファイアーの機体を自身を介して繋いだ。火花とエネルギー流が土埃とともに渦を巻き、それがおさまると、そこには見慣れたオプティマスが立っていた。ただし一部がバージョンアップされている。
 二体はすぐにその場を下がった。急造の強化を施したのだ、いかなオプティマスとて力の加減を誤る可能性がある。

「オートボット、出動だ!!」

 強力なジェットエンジンが轟然とうなり、オプティマスは砂漠の空へ急上昇していった。




小説のジョルトくんは唯一の活躍まで軍医に奪われてホントかわいそかわいい
あとほんとは「I Claim Your Sun」なんだけど“司令官の太陽”ってことでYouにした(あくまで司令官夢だし)
表紙 トップ