遠く、駆動回路が唸る音を聞いた。
 自分の機体の奥を震わせる命の音をぼんやりと感じながら、ぬるま湯に漂うような意識を手繰り寄せる。なにか、とてつもなく不吉な予感がした。けれどそれが何なのか判然としない。眠りと覚醒の狭間で、焦燥感が機体を急かしている。早く動かなければ。動いて⋯⋯動いて、それからどうするんだったか。わたしはなぜ、こんなにも焦っているのか──。
「眼が覚めたようだな」
 不意に聞こえた声に、わたしは腹の底へ氷を押し込まれたような錯覚を覚えた。溶け出し、機体を末端まで凍らせる、恐怖という氷塊を。
 発声回路が引き攣り、引き絞った悲鳴が漏れた。
 男は嗤う。禍々しい、溶鉱炉を思わせる紅蓮のオプティックを歪めて。
「おはよう。⋯⋯嗚呼、ようやく手に入れたぞ、私の可愛い小鳥よ⋯⋯」
 肩に触れられ、その他はそこでようやく自分がリペア台の上に拘束されていることに気付いた。気付いた途端、巻きつく鎖の重さが装甲へ食い込むように感じられる。
「ずっと探していたのだぞ。あの夜から、ずっとだ。君はソラを翔る一粒の流れ星だった。君を一目見たときから、私は決意していた。燃え尽き、墜ちるはずの流星を、時の止まった鳥籠に──」
 熱に浮かされて詠いながら、男は硬直したままのその他の肩や腕、頬を、好き勝手に撫で擦る。スイッチが入ったように震え出す機体に彼はますます機嫌を良くして、立ち上がった。
「おいで。君に良いものを見せてやろう」



 ふらつく身体を半ば引き摺られながら、その他は昏い通路を歩いた。先導する男は彼女の首の枷に繋がる鎖を引き、揚々と歩みを進める。それは目覚めたばかりのその他など構いもしないペースで、彼女はひどく辛い思いをした。必死に足を動かすが、遅れるたびに首が不快に軋み、足がもつれて転ぶと、短く保たれた鎖に吊られるような姿勢を強いられた。装甲に守られたデリケートなケーブルがさらにきつく圧迫され、シャットダウンしそうになる。そのたびに、男のつま先が飛んできた。立ち上がるまで執拗に繰り返され、口では早く立つことを強要しながら、時折わざと体勢が崩れるポイントに強かな蹴りがめり込んだ。
 それはまさに、死神に連れられる行進だった。地獄へ続く回廊を延々と巡るような。



「私はスクラップ収集が趣味でね」
 長い長い時間をかけて、ある一室へ辿り着いたその他は、此処こそが地獄の中心なのだろうとぼんやりと思った。苦痛と尋常ならざる恐怖にもはや正常な意識ではない彼女を見て、男は鎖を引いた。あまりにも強い力で引かれ、虚ろな表情で立ち竦んでいた彼女の膝が折れる。傅くような体勢のその他に、男は一つのスクラップを投げやった。
 断末魔の叫びがこびりつく形相の生首が彼女の目の前に転がる。彼女は声すら出せず、身体を震わせるしか出来なかった。その肩を、漆黒の手が抱き寄せる。
「そう怯えてやるな。可哀想だろう。君の友人もいるかもしれないのに!」
 今にも腹を抱えて笑い出しそうな口調で、男は選りすぐりのコレクションに腕を掲げる。
 一つ一つ、手に入れたときの状況や動機や“誰”であったかを男は語った。その姿が、その他には異形の生命体に思えてならなかった。自分と同じくオイルの通ったセイバートロニアンと思えない。
「どうだね。美しいだろう? ここにあるのは私のお気に入りばかりなんだ」
 歪な三日月を描く緋色で見下ろし、男は立ち上がった。そして機嫌良く大袈裟な身振りで両腕を広げ、
「だが今日でお払い箱だ──お前が手に入ったからな」
 手近の一つを叩き潰した。
 おぞましい音を立てて弾けた“それ”から転がり出てきたオプティックと視線が合ったような気がして、その他は気付けば頬が濡れていた。言うことをきかない機体が、それでも本能的に目の前の存在から距離を取ろうと必死になる。
「お前は素晴らしい⋯⋯。
 このスクラップ共は、物言わぬようになってやっと美しくなった。苦痛を与えることで作品となった。だがお前は違う。生きたままで完成している。どこにも手を加える必要がない」
 何を言われているのか飲み込めないでいるうちに、砕かんばかりの力で顎を掴まれた。底知れぬ混沌に満ちたオプティックが迫り、その他のスパークさえもを飲み込もうとする。
「嗚呼⋯⋯もうこんなガラクタの屑鉄を収集する理由も必要も、その情熱もない⋯⋯お前が“生きて”私の元にいる限りは」
 狂った視線に射抜かれて震えるだけのその他は、この言葉の意味を理解できていなかった。

 そのときは、まだ。




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