──男が逃げた。

 明らかに苛ついた手つきでわたしに触れるオプティマスが言った。
 今日は無事に解放してはもらえないだろう。それでも、わたしは唇がつり上がりそうになる。
 彼は逃げた。逃げ仰せたのだ。この恐ろしく無慈悲な破壊大帝から、オプティマス・プライムから。
 彼はオートボットにスパイとして送り込まれたディセプティコンの兵士だった。オプティマス・プライムにわたしの世話を言い付けられ、日に三度の食事を持ってきてくれたひとだった。
 わたしのことは、彼を通じてメガトロン様の耳に入るだろう。そうすれば、きっと助けが来る。メガトロン様はどんな下端でも見捨てたりはしないから。
 まだ望みはある。
 まだ終わりではない。
 生きてさえ、いれば。

「必ず私の手で破壊してやる⋯⋯」

 地を這うような声に、恨みのこもる指先がわたしを痛め付けた。それでも今夜だけは、何をされても耐えられると思った。
 笑い出しそうになるが、火に油を注ぐほど愚かではない。普段と同じように、何の言葉も返さず、反応すらしなかった。そのうちに、凌辱が始まった。
 勝手にすればいい。どんな目に遭わされようと、生きてさえいれば、わたしの勝ちだ。
































 どれほどの時間が経ったか。

 オプティマスは、右脚が一本残るのみのその他の身体を、ようやく解放してやった。とうの昔に意識を失った彼女の頬を撫で、唇の端で笑う。

 ──スパイは、生きてなどいない。

 そうと分かって泳がせていたのだ。密かに脱走を企てていたことも分かっていた──あの男が、彼女の心の支えであったことも。
 脚を砕き、腕をもいで、男の四肢を一本ずつ壊してやりながら、オプティマスはほくそ笑み、言った。


 お前が此処で死んだなら、彼女が生きていると知るディセプティコンはいなくなる。
 可哀想に、彼女は来るはずのない助けを待って、あの鳥籠で私に愛され続けるのだ。


 絶望と恐怖を怒りで隠した最期の咆哮は、腹の底を擽られるように愉快で堪らなかった。彼女を組伏す最中に、何度笑い出してしまいそうになったことか。耐えるのは実に骨が折れたが、これにはそれだけの⋯⋯いや、その努力以上の価値がある。
 そのうちに教えてやるつもりだが、真実を知ったら、彼女はどうなるのだろう? 彼女はその時、何を望むのだろう?
 安易な死か。悲嘆に暮れながらも生にしがみつくのか。それとも、全てを諦めて、この腕にその身を委ねるのか──。
 目眩く甘美な夢想に、オプティマスはスパークが芯から震えた。

 闇の中に沈む巨大な鳥籠からは、笑い声だけが溢れている。




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