シスレーは気ままな男だ。
 どれくらいかというと、シルバーキャッスルの本拠地になんの連絡もなく巨大な帆船で現れて、遊びに来たと宣うくらいには気ままな男だった。

 彼は挨拶もそこそこに、当然のように十郎太との再戦を果たしたあと、試しにとブルアーマーとPK対決し、それからマグナムエースの投球に付き合った。
 やわらか人間が特製のブレンドオイルを台車に載せてグラウンドに現れたのは、シスレーがちょうど六球目を全力で空振りしたときだ。

「あんまり通しでやってると、打てるものも打てませんよ?」
「いいや、むしろオイルが温まってきたとこだ」

 戯れとはいえ一球も打てないとなると熱くなるのはアイアンリーガーゆえか。専門分野じゃないしぃー、と軽く投げ出せない性には我ながら苦笑するが、十郎太に打てるなら自分にだって打てる──好敵手に負けるわけにはいかない。せめて当てる。一球だけでも。
 意気込んで振り向きもせず答えたシスレーに、今度は十郎太が声をかけた。

「シスレー、彼女の言う通り、一度休憩したほうがいい。それに、彼女のブレンドしたオイルは美味いぞ」

 その口調に、おや、とシスレーは構えを解いた。マウンドのマグナムエースも気を削がれたのか、こちらへやって来る。ギャラリーと化していたメンバーも集まってきたので、もう中断するしかない。

「わたしなんて、ルリーに比べたらまだまだだよ⋯⋯」

 オイルを配りながらはにかむ少女に、十郎太が反論した。

「某たちを労う思いの詰まったオイルだ。どちらがなどと優劣をつけられるものではない」

 口々に「そうだそうだ」と声を上げるメンバーたち。頬を染める彼女に十郎太は小さく破顔し、静かにオイルへ口をつけた。

「──美味い」

 目を閉じて味わい、感嘆する。
 勧められるまま、シスレーもオイルを一口。⋯⋯確かに美味い。市販のものとは全然違う。
 どうだ、と言わんばかりに目を細めた十郎太の視線はすぐにやわらか人間へ向いてしまった。一連の流れと雰囲気に、シスレーは目敏く恋慕の気配を嗅ぎ取った。

「その娘はお前の恋人か」
「⋯⋯左様」

 ヘクトパスカル島での一件で面識はあるものの、シスレーが彼女について知っているのは名前と顔、そしてシルバーキャッスルのメカニックということくらいだ。まさかあの十郎太と深い仲であったとは驚きである。
 十郎太は、まるで、凪いだ湖面のように静かな男だ。その水底には烈火のごとく熱い本質が眠っていると知っているが、それでも、なんというか、色恋沙汰を「軟弱な!!」とか言って否定しそうなイメージだった。
 端から見ても仲睦まじげに並ぶ二人を、シスレーはオイルを飲みながらしげしげと眺める。
 意外だ、というのが素直な感想だった。

「女に興味なさそうだと思ってたが、案外そうでもないんだな」

 呟けば、緩んでいた十郎太の口許が、む、と引き結ばれた。

「お前には関係なかろう」
「まあな」

 確かに関係はない。が、ちょっと首を突っ込んでからかってやるか、と思う程度には興味がある。
 睦言をどんな顔で囁いているのか。この仏頂面がだらしなく溶ける瞬間を想像すると実に面白いではないか。

「いやしかし、お前は“下”のオイルは枯れきってるかと──」

 抜刀は刹那のことだった。

「下劣な⋯⋯」

 首筋に僅かに食い込んだ刃が予想通りすぎて、シスレーはむしろ笑ってしまった。周りもギョッと身を引いたものの、一呼吸の間で雰囲気は戻る。野暮で下品なからかいに十郎太がキレるのは、いつものことなのだろう。

「そうカッカするな。お嬢さんが驚いてるぜ」

 細い刃を指で挟んで首から遠ざけながら、シスレーは顎をしゃくる。すると、あの十郎太が、舌打ちして刀を引いた。驚きに固まっている彼女を気遣う横顔には、恋人の目の前で頭にオイルを上らせたことを悔やむような色がある。女の前では格好をつけていたいだなんて、可愛いところもあるものだ。まあ男は皆、多かれ少なかれそういう部分を持ってはいるが。

 ──しかし、意外だ。本当に。

「お前、けっこう若いんだなあ⋯⋯」

 しみじみと言うシスレーに、十郎太は鬼をも射殺せそうな眼光だけで応えた。




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