やわらか人間はダークスワンの選手に人気がある。
 いや、人気があるというより懐かれている。

 その発端はワールドツアーの第二ステージ、対シルバーキャッスル戦の最中だった。
 七回裏のインターバル、ゴールドアームの腕はデータやステータス・ボードを見ずとも限界にきていることが誰の目にも明らかだった。オーバーヒート寸前の、過剰放熱している彼のそんな右腕に、やわらか人間はゴールド三兄弟の制止の声も聞かず、自分の手が傷付くことも厭わず、応急処置を施した。当然、彼女は顔を歪めながら作業をしていたし、終わったときには指先が真っ赤になっていた。
 ダークスワンの選手は、まずそこでやわらか人間を見る目が変わった。
 自分の身も顧みずアームのために働く彼女に、彼らの視線は釘付けになった。
 監督はといえば、そんなことには構わずアームに降板を言い渡していた。
 アームが食い下がり、それもすげなくあしらわれ、フットとマスクも口を挟もうとしたところで、やわらか人間がスパナ片手に静かに言った。

「彼らには最後までフィールドに立ってもらいます。たとえ何があろうと、たとえ⋯⋯わたしが、あなたを、殴り倒すことになっても」

 そのときの彼らには、約束された“次”がない状態だった。
 やわらか人間はゴールド兄弟がこの試合にどれだけのものを賭けているか重々承知だった。アームの選手生命を考えるなら止めるべきだとも分かっていた。分かっていて、止めたいという気持ちもあって、それでもそれほどの無茶を言った。待ち望んだシルバーキャッスルとの試合を、彼らが彼らの望むように、決して後悔させないために。
 けれども、ダークスワンの選手にとって、ただのメカニックが監督相手にそこまでの強行手段に出るなど前代未聞である。それも、ゴールド兄弟と共に飛び入りした新人だ。

 決定的な変化は、ギロチの言葉もあってゴールドアームとファイタースピリッツがポジションを入れ替えるということで話がまとまった時だった。

「わたしはフィールドに立てないけど、あなたたちと一緒に戦う。諦めないで、最後まで力の限り、戦い抜きましょう。
 ──さあ、攻撃よ。皆、がんばって!!」

 苦しい状況では叱責するだけの監督とは違う、共に苦難を乗り越えようとするその姿勢。生々しく赤くなった手からは説得力が溢れるようだった。
 それが選手たちを揺さぶった。
 ゴールド兄弟が力強く「応!!」と返し、誰からともなくそれに続いていらえを返した。チームが真の意味でまとまり始めたのはその瞬間だったと言える。

 試合後も、やわらか人間は贔屓することなく平等に、そして甲斐甲斐しく選手たちを世話した。ゴールド三兄弟への態度は別格ではあったが、それでメンテナンスの出来に差を出すようなことは絶対にしなかった。
 そんなやわらか人間の存在に最初は戸惑っていた選手もいたものの、ワールドツアーが終わる頃には完全に打ち解けて馴染んでいた。あのファイター兄弟ですらやわらか人間には心を開いていたようで、彼女が短期間でどれほどの信頼を得たか、それだけで分かるというものだ。

 そういう経緯があったので、やわらか人間はダークスワンの選手にとって特別な存在となっている。
 しかし、ここで彼らには残念なお知らせである。

 やわらか人間は元々シルバーキャッスルのメカニックだ。

 ゴールド三兄弟の強制引退後からずっと彼らと共に旅をして、そのままダークスワンの臨時メカニックになったが、彼女のホームはシルバーキャッスル。
 それはゴールド兄弟が一番よく分かっていて、とくに長兄のアームはツアー終了後、すぐにもやわらか人間をシルバーキャッスルへ帰そうとした。しかし弟二人がごねたこと、ギロチの心変わりでリーグがてんやわんやの大騒ぎになったことで、臨時メカニックとしての契約解消は後回しになってしまい、しばらくはダークスワンに籍を置いていた。
 結局、彼女がシルバーキャッスルへ正式に戻ったのは二月以上も経ってからだ。
 そのあいだ、やわらか人間はショックサーキットの取り外しの手伝いをしていて、ダーク本部の社員用宿舎で寝泊りしていた。それがまたダークスワンの選手たちに里心がついてしまった原因だろう。
 そんなわけでやわらか人間はシルバーキャッスルに戻ってから、フラッシュキッドを始めとしたダークスワンの選手に「スワンに来ないか」と誘いを受けていた。懇切丁寧にお断りしているものの、たとえばもしも仮にチームを移るとなるとやわらか人間一人の問題ではなくなる。だから彼女は一応、オーナーのルリーに、こういう話を持ちかけられたと伝えた。

 それが巡り巡ってゴールド兄弟のところまで辿り着いたのだが、ふざけんな、とキレたのは短気さに定評のあるフットである。

 共に放浪の旅をした自分たち兄弟でさえ、やわらか人間の帰る場所、いるべき場所はシルバーキャッスルだと諦めたのだ。
 アームは心から納得した上でだったが、フットとマスクは違った。もはや四人でいることが当たり前で、一緒にいるのが普通で、それが日常で、やわらか人間は自分たち兄弟の一人だった。
 アームに宥められ、手放したくないという気持ちを抑え込んで、やわらか人間が望むならと、それでようやく二人は彼女をシルバーキャッスルに帰した。なのに、そんな自分と弟の苦悩を尻目に、スワンの連中は誘いを掛けている。しかも相当熱烈なラブコールのようで、数日置き、時には日に何度か別々の選手から連絡が来ることもあるらしい。

 そうなるともう、元来短気なゴールドフットが我慢など出来るわけがない。

 スワンを叩くべきか、やわらか人間を押さえるべきか。
 少し悩んだ彼は、同じように不服に思っている弟を使うことにした。

 マスクにスワンの選手を“説得”させ、自分はやわらか人間を確保する。
 単純明快な作戦だ。

 自分がスワンに行ったら、下手すると流オイル沙汰になりかねないと自覚する程度には、ゴールドフットはキレていた。ブチギレていた。兄のアームですら見たことがないほどに、怒髪天を衝いていた。

 誰かに渡すくらいなら、自分たち兄弟のもとに置く。絶対に。たとえ拐ってでも。




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