巣立ち
日ごと、季節は移り変わってゆく。
ゆっくりと、しかし確実に。
砂のまにまに沈む夕陽を船首から眺め、シスレーはカメラアイを細めた。視線を落とせば、部下たちが食事の準備をしているところだ。船外で火を熾し、それを囲んで食事を取る。もう、そういう季節になっていた。
二人の部下の近くで、やわらか人間もちょこちょこと動いていた。船底のあたりはすでに日が翳っている。なるべく風を避けるために砂丘の窪みに船を泊めるためだ。青い暗闇の中、その姿は仄白く光っているようにさえ見える。
──稀有な容姿の彼女を、空に放っていいものなのか。
放してやったところで、自分以外の誰かに同じように飼われることになるのではないのか。
ならばいっそ。このまま、ずっと。こうして、今日と同じ明日を。
それは微睡むような、幸福な夢。決して掴めない蜃気楼。逃げ水の、辿り着けない楽園だった。
同じ籠でも、そこが人間の傍であるなら、そのほうがいい。ここでは医者にも診せてやれない。番となれる男もいない。子を成し、家族という群れの中で死ぬ。それが人間の幸福であるならば。
回路が捩れるような、こんな思いをしてまで手放そうとしている自分に、シスレーは少しの驚きもあった。
放してしまえば、この苦痛も終わるのだ。それはとても良いことだと思えた。自分にとっても、やわらか人間にとっても。
苦しむのは、もう沢山だった。
それは美しい夜だった。
船首の手すりの傍に立つやわらか人間。空に浮かぶ純白に、その姿はよく似ていた。真円に肥えた月と同じに、とうとう時が満ちたのだと思った。
青い闇の中に仄白く光る女を眺め、シスレーは覚悟を決めた。
「歌ってくれ──俺がいいと言うまで」
電磁ベッドに身を落ち着けたシスレーがそう言うので、やわらか人間は歌った。短くはないが長くもない、同じ節を三度繰り返すだけの子守唄を。
幾度も幾度も、日が昇り、沈むように。
そうしてシスレーは眠った。小夜鳴き鳥の子守唄を、聴覚回路に焼きつかせるようにして。
次の朝、彼は危険を冒して街の近くまで行くと、砂丘の底に船を停めた。
「オイルを買ってきてくれ」
「どんなやつ?」
「プレミアムオイルってやつだ。どうしても飲みたくなった」
そんなオイルがあるわけもないと知らないやわらか人間は頷いた。
滅多に街へ近寄らないシスレーが、危険を冒してでも飲みたいと言っている。なにか腑に落ちない部分はあったものの、彼が望むならとやわらか人間は素直に街へ向かった。
彼女の姿が砂丘を越え、リーガーの優秀な聴覚回路でも足音を捉えられなくなった頃、シスレーは部下に「行くぞ」と告げた。ギョッとして動きを止めた彼らを、一瞥するだけで従わせる。
一人、二人、と彼らはシスレーの後に続いて各々の持ち場へ向かった。いつか来る別れが今日だった。船長がそう決めたのであれば、それに従うだけだ。船員は皆、ここが彼女にとって望ましい環境ではないと分かっていた。
シスレーは後ろ髪引かれる思いで、しかし振り返らなかった。
金はあるだけ持たせてやった。
まだ頼りない部分があるのは確かだが、大丈夫だろうと思える程度までは育っている。
──大丈夫なはずだ。そうでなくては困る。