「君は何を見ているんだ?」

 背後から声をかけられ、窓の外を眺めていたBP-115は振り向いた。赤と白のコントラストに、肩の黒がよく効いている⋯⋯

「ああ、デューク」

 視覚でも相手を認め、BP-115は窓の向こうの景色へ向き直った。

「べつに何というほどでもないですよ。あれです、ほら、あの街路樹、新芽が⋯⋯」
「違う。そうじゃない。私が聞きたいのはそういうことではなくて⋯⋯」

 ひどくもどかしげに、デュークが口ごもった。言葉が見つからないといった様子だ。

「君の⋯⋯君の見ている世界が知りたい。交換日記に書いていた。今もそうだ。街路樹に蕾がついたとか、燕が低く飛んでいるのを見たとか。君は、君には、世界がどんな風に見えているんだ?」

 同じカタチで心を持っているはずなのに、彼女と自分は決定的に違う。目に見えない何かがきっと違う。デュークはそれを強く感じていた。けれどなぜ違うのか、何が違うのかも分からない。

「どんなって言われても⋯⋯。べつに、普通ですよ」
「それが私には分からないんだ!」

 途方に暮れた顔で声を荒げた彼に、BP-115は少し驚いた。

「あ⋯⋯ぁ、すっ、すまない、大声を⋯⋯」
「いえ⋯⋯。でも、デュークは⋯⋯なんていうか⋯⋯随分とまた哲学的なことを言いますね。それも、わたしの見ている世界が知りたいなんて、面白い人です」

 デュークは視線を落とし、泣き出しそうに表情を歪めた。それを見て、BP-115は既視感を覚える。ときどきドリルボーイがこういう顔をするのだ。自分の心を上手く表現できなくて、焦燥に駆られて地団太を踏む彼を思い出す。

「私は⋯⋯私は、気にしたことなんて、なかった。土の匂い、虫の鳴き声、雨の音。それらを愛でることなど」
「それはあなたがレジーナを通して世界を見ていたからじゃないですか? 知りたいなら、これから知ればいいことです。自分の目で、世界を見ることを」
「⋯⋯私に⋯⋯私にも、出来るだろうか」

 縋るようなオプティックに見つめられ、BP-115は申し訳ないと思いつつも小さく噴出してしまった。

「わたしたちは皆、そうしてきました」

 喉を鳴らして一度だけ笑い、彼女は続ける。

「自分の目で見て、世界に触れて、そうして知ってきました。データの集まりではない、1と0だけでは表せない、わたしたちの電子頭脳でも解析できない、この世界の神秘と奇跡とを。
 だからあなたにも出来ますよ。だってわたしたちと“同じ”ですもの」

 迷いなく、躊躇なく、はっきりと断言されて、デュークは知らず強張っていた肩から力が抜けた。BP-115がそう言うなら、そうなのだろう。そう思わせてくれる説得力が、彼女にはあった。
 デュークはなんだかひどく安堵して、それから少し冷静になる。取り乱した姿をさらしたことが、いまさら改めて恥ずかしくなった。

「あ、あの、⋯⋯その⋯⋯」

 首を傾げる彼女はまるで気にしていない。蒸し返すのは得策ではないのだろうと分かっていたが、謝らずにはいられなかった。

「その⋯⋯すまない、取り乱して⋯⋯」
「べつにそういうこともありますよ。気にしないで」
「いや、でも⋯⋯」
「デューク、あんまり謝られても、わたしも困ります」

 諭すように優しく言われ、デュークは口を閉ざした。確かに、謝罪を押し付けて満足するのは違う。

「そう、だな⋯⋯すまない。あと⋯⋯あの⋯⋯ありがとう、本当に⋯⋯」
「事実を言っただけですよ」

 やっぱり微笑って、彼女は言った。
 そこで会話が途切れてしまって、なんとなく気まずい。けれど、彼女の傍を離れたいとも思えなかった。BP-115が窓の外に視線を戻したので、少しホッとする。そのまま黙って隣に留まっていると、BP-115がふたたびこちらを向いた。

「ねえ、デューク」
「う、うん」
「いまから散歩に行くんですけど、一緒に来ます?」
「えっ?」
「わたしが見ているもの、知りたいんでしょう?」

 ──自分にも、知り得るだろうか。

「世界を教えるなんて大層なこと、わたしにはできませんけど。わたしが見ているものを教えてあげることはできます」

 隣に並んで、彼女と同じものを見て、聞いて、触れて、感じて、そうすれば自分にも分かるのだろうか。
 この世界の神秘と奇跡とが。

「⋯⋯時間がかかるかもしれない。分からないままかもしれない。それでも構わないのか?」
「大丈夫ですよ。──きっと大丈夫」

 穏やかな微笑に、デュークは、覚悟を決めて頷いた。
 一生をかけてでも辿り着く。たとえ彼女が途中で匙を投げることになったとしても、必ず。

「不出来な生徒かもしれないが。⋯⋯よろしく、頼む」
「不出来な教師ですけど⋯⋯。よろしくお願いします」

 差し出された細い手を握る。
 交わした握手は燃えるように熱く、甘く感じられた。


 その理由を、デュークはまだ知らない。




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