悲しみの墓標
「BP-115ってさぁ、」
ドリルボーイが椅子の背をぎしぎしと鳴らしながら呟いて、デュークを振り返った。
つい先ほどまで真面目に反省文(サッカーボールで備品を壊した)を書いていたと思っていたのに、油断するとすぐにこれだ。すでにデスク上の紙に完全に飽きている顔で、ペンを回しながら唇を尖らせている。
「たまに分かんないとこあるよね」
「⋯⋯さあ」
言われ、デュークは返答を濁した。彼女とは恋人という関係にあるものの、もちろん全てを分かり合っているわけではない。というか、そもそも彼女のどういったところに対してドリルボーイの言葉が引っかかっているのかも分からない。
ドリルボーイはそんな彼を気にするでもなく──というか気付かずに、上体をねじって背もたれに頬杖を付いた。
「こないださ、パトロールから戻って来たら、BP-115が外の植木の隅っこ、指で掘り返しててさ。何してるのって訊いたら、ヒミツって」
「ああ、それ、オレも見たな」
ふと思い出したといった口調で呟いたパワージョーに、ドリルボーイは眼を輝かせた。
「ホント? なんて言ってた?」
「ヒミツだとさ」
肩を竦めて答え、パワージョーもデュークを見る。
「⋯⋯期待に応えられなくてすまないが、私は彼女がそんなことをしていたこともいま知った」
「なーんだ」
「つまんね」
パワージョーからは、使えねーやつ、と今にも聞こえてきそうだった。
しかし、そんなことを言われても困る。恋人だからってお互いに何でもかんでも把握しているわけじゃない。
そんな会話があってから数日後、デュークは外に出ようとして偶然にも件の植木の傍にしゃがみこむBP-115を発見した。噂をすれば影⋯⋯ではないが、実際に彼女が不可思議な行動を取っている現場に居合わせてみると、確かに非常に気になる。
少し観察してみようかな、と意識して気配を消し、彼女からは死角となる発進口の影から見つめる。植木の隅っこをぐしぐしと指で掘り返していて、ああ、ドリルボーイの言っていたのはこれかと内心で頷いた。
と、BP-115がふと顔を上げた。真っ直ぐに視線がこちらを射抜き──あ、と思ったときには遅かった。
「いるんでしょう、デューク」
フォルツォイク親子の事件を期に完全にカゲロウが目覚めてから、BP-115は戦闘に参加することがさらに減った。広報として人前に出るにあたりデザイン優先で造られた彼女は、プロトタイプであるカゲロウにも性能面で大きく水を開けられている。BP-115に代わってカゲロウが実動任務をこなすようになり、そして別動隊としての隠密捜査も、余程のことがない限り三人いれば不足はない。
まあつまり、デュークはすっかりさっぱり忘れていた。彼女が自身と同じく、隠密回路を搭載していることを。
バレた以上は言い訳しても無駄なので、彼はそろそろと近付いた。
「⋯⋯わたしが隠密回路を持っていること、忘れてたでしょう」
「す、すまない」
恨みがましく言われ、慌てて謝る。
「⋯⋯まあいいですよ」
あまりよくなさそうな物言いだったが、つっつくのは得策ではないと判断し、デュークは彼女の隣に片膝を着くとその手元を見た。
「あ、」
見覚えのあるものに、デュークは思わず声を上げた。
白い装甲。素材はブレイブニウムγ。以前、肩を損傷した折りに出た破片で、自身の一部だったもの。そして、彼女が主任に無理を言って譲り受けたものでもある。
実を言うと、彼女への好意に気付いたのはその一件からだった。自身の一部をどうしても欲しいのだと、これでなければ駄目なのだと頼み込んだ彼女に、妙に浮かれたのをよく覚えている。それで彼女への想いを自覚して、けれど笑っていてくれればそれでいいと思っていた。こちらへ配属されたときのことを思うと後ろめたさで一杯で、好意を伝えるなどおこがましいとすら感じていたから。
「それ⋯⋯」
「ええ。あなたの装甲です」
「⋯⋯どうしてそんなところに埋めているのか訊いても?」
「わたしの個人的な興味による実験ですね」
「──というと?」
首を傾げたデュークに、BP-115は破片へ視線を戻した。
「わたしたちが自然に還るのかどうか」
デュークは思いきりオプティックを見開いた。
その思考のきっかけであるあの機械仕掛けの鯨の事件から、すでに一年以上の時が過ぎている。彼女が破片を欲しがったのはその後だった。事件が終結を迎えたあのとき、彼女は何の反応も示さなかったが、ちゃんと自分の言葉を聞いていたのだ。
そして、ずっと。
まだ、ただの仲間であった頃から、こうして自分を思ってくれていた──。
「⋯⋯君は、」
「結果はご覧の通りです」
BP-115はあえてデュークを見ず、埋まっているものをざらりと撫ぜた。端が腐食し、そこから錆が浮き始めている。さすがに堅強だが、やはり時の流れには勝てない。この身体さえ、生きていても手入れをしなければ同じようになるだろう。死ねば朽ちて、いずれ土へと還る──彼の望んだように、自然の中へと。
「まあ考えてみれば、いくらわたしたちが人に比べて頑丈といっても、所詮はこの地球上の物質で出来ていますからね。多少時間はかかるでしょうが、」
「BP-115」
万感の想いを込めて、デュークは呼んだ。唇が引きつり、喉が震えて、いまにも泣き出しそうな弱々しさで。
「本当に、本当に──君を、好きになってよかった」
縋るようにきつく抱き寄せて、その肩に鼻先を埋めた。喉を絞めるものは、きっと、愛おしいという感情だった。
「あの──ちょっと、デューク、こんなところで」
「ありがとう⋯⋯。ありがとう、BP-115。君はいつだって、私の欲しいものをくれる。私は返せているのかな。君に、ちゃんと、同じだけのものを返せている自信がない」
「⋯⋯わたしの個人的な興味だと言ったでしょう。べつにあなたのためにやったわけじゃ、」
「それでもいい。構わない。君がどういうつもりだったにしても。私はいつも君に救われている──嗚呼、BP-115⋯⋯」
大袈裟ですよ、とBP-115は呟いたが、返事を求める口調ではなかった。そっと背中を撫でられ、デュークはしがみつくように抱き竦める。愛しくてどうにかなりそうで、これほど想われていることがあまりに幸福で、怖かった。
「⋯⋯本当は、」
「うん」
「見せるつもりはありませんでした。べつに見つかっても構わないとも思ってはいましたけど」
「うん⋯⋯」
「これは、このまま埋めておきましょう。そのうち土に還るでしょうから」
少し顔を逸らして破片を見下ろし言ったBP-115に、デュークも頷いた。
「ところで、どうして外へ?」
「ああ⋯⋯うん⋯⋯。定時巡回にね⋯⋯」
どこかぼんやりと答えたデュークの背中をもう一度撫ぜて、BP-115はやさしく身体を離した。
「わたしが代わりに行ってきますから、あなたは少し休んだほうがいいですよ」
「いや、大丈夫だ⋯⋯大丈夫⋯⋯」
「いいから、さあ、戻って」
「いや、でも、」
反論しようとした唇に、BP-115のそれが素早く触れた。一瞬の早業だ。
「いい子だから、戻りなさい。⋯⋯ね?」
「⋯⋯分かったよ。本当に、敵わないな、君には」
BP-115は小さく笑って、破片を元通りに埋めると立ち上がる。ぱたぱたと土を払い、一度こちらに手を振って去って行く彼女を見送り、デュークも踵を返した。いまだぼんやりと、幸福感に夢を見ているような心地に、覚束ない足取りで。
「あの、⋯⋯その⋯⋯さっきは何をしていたんだい?」
デッカールームに戻って少しして、向かいの席から声をかけられ、デュークは顔を上げた。
「⋯⋯見ていたのか」
「いや、あの、窓からね、BP-115が見えて⋯⋯何をしているんだろうと思って見ていたら君が現れて、それで⋯⋯すまない、覗き見みたいな真似をするつもりはなかった」
「いや、構わない。⋯⋯あそこには、私の中の悲しみが一つ埋まっているんだよ」
ずいぶんと詩的な表現を使ったデュークに、やはり聞かないほうが良かっただろうかとデッカードは不安になった。
「すまない、その⋯⋯」
「心配しないで。あれは⋯⋯言ってみれば、お墓かな。私の悲しみの」
「⋯⋯おはか」
「うん。でも、私の中に、その悲しみはもうない。あそこに埋まっているからね」
「⋯⋯それは、君にとって良いことかい?」
「ああ」
「そうか。だったら、いいんだ」
ほっとしたように笑ったデッカードに、デュークも優しく笑い返した。
一つずつ。少しずつ。
彼女は、きっと、ああして私の悲しみを埋めていくのだろう。そして、ぽっかりと空いた胸の痛みを、やわらかなもので塞いでいくのだ。
そう思うと、悲しみを覚えるのも悪くはないと思えるのだから単純なものだった。
そして、彼女もそうだといいとデュークは思った。この手で、一つずつ、少しずつ、彼女の悲しみを埋めていってあげられたなら。
この世界は大きくて、そして自分はちっぽけだ。手の届く場所でさえ護れないこともある。だからこそ、彼女の心を救おうなど、おこがましいということは十重に分かってはいるけれど、それでも、嗚呼。
嗚呼、いまは、ただ、こう言うよ──
おやすみ、愛しい痛みたち。