デッカードとガンマックスの逃走劇から数日後のことである。

 休憩時間に入り、書類を机の脇に重ねていたデッカードは、ドアの開いた音にそちらへ視線をやった。

「ああ、おかえり、BP-115」
「ただいま戻りました」

 朗らかな笑顔で答えてくれた彼女は、つつつ、と傍に寄ってきたかと思うと、内緒話でもするかのように耳に囁いてきた。

「ねえ、デッカード⋯⋯バイクの乗り心地、どうだった?」

 薄く笑って訊かれ、デッカードはカメラアイを瞬かせた。それから相手と同じような笑みを浮かべ、

「そうだなあ⋯⋯。最低だったけど、悪くなかったよ」

 ハイウェイから飛び降りたときのことを思い出して、つい腰に手をやった。あのときは尻の装甲が割れるかと思ったぞ。

「へえ⋯⋯」

 BP-115の笑みが少し質の違うものに変わって、デッカードもクスリと笑う。
 BP-115は意外に好奇心旺盛だ。マクレーンのショットガンから始まり、パワージョーのトンファー、ヌンチャク、カンフースタイル、ダンプソンのダンベル。はてはドリルボーイのサッカーボールにまで興味を示して実際に触ってきた。扱いの難しいカゲロウの鎖鎌もある程度は使えるらしいし、手裏剣や小刀もよく触っている。藤堂主任が言うには、注油などの自己メンテナンスを最初に始めたのもBP-115だそうだ。
 そんな彼女だから、ガンマックスのバイクに興味を示しても何の不思議もない。

「乗ってみたいのかい?」

 えへへ、と照れ笑いするBP-115に、デッカードは思わず盛大に顔を緩める。可愛いなあと頭を撫でていたら、件のガンマックスがデッカールームに戻ってきたのでデッカードはさっそく話を振った。

「ああ、ガンマックス、おかえり。実はBP-115が君のバイクに乗ってみたいそうなんだ」
「Hum⋯⋯。⋯⋯まあいいぜ」
「本当ですか? やったあ」

 二つ返事で頷いた彼に、BP-115がパッと表情を明るくした。それが見たかったのだとデッカードは目を細める。

「んじゃ行くぞ」
「はい」
「⋯⋯なぁんでお前まで着いてくんだよ、デッカード?」
「いや。なんとなく」

 休憩中だし、BP-115が子供みたいにはしゃいでいる姿は可愛いから見ていたい。

「過保護だねえ」

 肩を竦めるガンマックスだったが、当のデッカードは「なんとでも言え」と言わんばかりの笑顔である。茶化すのも無駄と悟り、ガンマックスは二人を引き連れて今しがた引き上げてきた格納庫へ向かった。
 格納庫に着くと、ガンマックスは一応燃料の残りを確認して、それから相棒に不備がないか、出動前のいつものチェックを行う。もはや染み付いた習性だ。

「⋯⋯OK、乗っていいぞ」

 チェックを終わらせてシートに跨り、ガンマックスはBP-115に振り向いた。しかし隣に立ってきた彼女に、思わず首を傾げてしまう。

「おい、」

 乗らねえのか? と聞く前に、BP-115が口を開いた。

「アクセルってどれなんですか?」

 そこから知りたいのかよと彼女の好奇心にちょっと驚かされたものの、拒否する理由もないのでガンマックスは一つずつ説明してやった。

「アクセルはこいつだ。グリップを手前に回すと加速する。で、これがブレーキ、こっちがクラッチだ」

 BP-115は手元や足を見ながらふんふん頷いていたかと思ったら、何を思ったかハンドルを握る自分の手に手を重ねてきた。

「回すと加速するんですね。ブレーキはこれで⋯⋯」
「⋯⋯おい、ちょっと待て。お前乗る気か?」
「え? 乗せてくれるんでしょう?」

 ガンマックスは思わず額に手をやった。いや確かに乗せてやるとは言ったけど。

「運転は駄目だ」
「えっ」
「ケツに乗せてやっからそれで我慢しろ」
「そうですかぁ⋯⋯。じゃあお願いします」

 親指で後ろを指せば残念そうに肩を落としたものの、BP-115は足取りも軽やかにバイクを跨いだ。
 そう、跨いだ。
 ガンマックスは思いっきり溜め息を吐く。デッカードも鍔に手をやって「ああ⋯⋯」と俯いた。

「バカ野郎、跨ぐんじゃねえ。こういう時は横乗りだろーが」
「えっ。なんでですか?」
「お前ちょっとは空気読めよ⋯⋯」
「BP-115、いいから横乗りしなさい」
「ええ⋯⋯? うん、分かった⋯⋯」

 デッカードにまで言われて素直に従ったが、BP-115は意味が分からないと首を捻っている。

「おい、ちゃんと腰に腕回せ」
「こんな感じですか?」
「ああ」
「⋯⋯ガンマックスって腰細いですね〜⋯⋯」
「やめろ。くすぐってえ」

 他愛ないじゃれあいにデッカードの顔が強張っている。それに気付いて、ガンマックスはニヤリと笑った。

「んじゃ、ちょっくら行ってくる」
「えっ!? おい、外に出るのか?」
「ったりめーだろ。こんな格納庫の中転がした程度で走るなんて言えねえよ」
「ちょっ、待て、ガンマックス!」
「そんじゃあなぁ、おにーちゃん」
「行ってきます、デッカード」

 何にも分かってない顔で手を振るBP-115に、デッカードは絶望的な表情になっている。まったく面白くてしょうがない。

「へっ変なことするんじゃないぞ、ガンマックス!!」
「Maybe,」
「おいコラアアアア!!」

 あっという間にデッカードの声が遠ざかり、BP-115のクスクス笑いが後ろから聞こえてきた。

「ハイウェイ飛び降りたりしないでくださいね?」
「しねえよ。ありゃ仕方なくだ」

 デッカードの言った「変なこと」をそれだと思っているらしいBP-115に、ガンマックスは呆れたように口角を上げた。まったく、ガキっぽいというか、色気がないというか⋯⋯。

 とりあえず信号のないハイウェイに入って適当に流してやると、BP-115は面白みのない景色にも関わらずしきりに喜んでいた。「走ってないのに走ってる」とかわけの分からないことを言っていて笑ってしまう。まあ彼女は乗り物に乗って移動する必要がないから、かなり新鮮だったのだろう。
 ひとしきり走って、BP-115が満足したらしいことを確認すると、ガンマックスは七曲海岸へ向かった。

「わあ。綺麗ですね」

 ちょうど夕陽が水平線に沈む時刻。人もおらず、絶好のシチュエーションだった。

 砂に足が汚れることも構わず波打ち際まで寄っていくBP-115の背中を、ガンマックスは停めたバイクに寄り掛かって眺めた。
 細くやわらかな輪郭が、夕焼けに滲んでいる。目を細めて、静かに手を伸ばした。BP-115はこちらに気付かず、足元に何か見つけたのか海に身体を向けたまま俯いている。

 どうしてこんなに焦がれて仕方がないのだろう。
 少し優しくされただけなのに、自分の中の深い場所へとその存在が滲みるように音もなく入り込んでくる。惚れる、というのはこういうことなのかもしれないと思った。
 だが、愛ではない。そんな綺麗なものではない。けれどこれは恋でもない。そんな可愛いものではない。
 ガンマックスは手を握った。その先にいるBP-115を手中に収めるように。
 馬鹿な戯れを一人で終えると、ガンマックスはその背中に呼びかけた。

「満足したか?」
「ええ、とっても楽しかったです!」

 振り向いてきたBP-115はとびきりの笑顔だった。子供っぽくニコニコ笑っている。その笑顔を見て、ガンマックスは胸が疼く心地になった。
 きっと、本当は理由など大したことではない。きっかけもそうだ。
 彼はなんとなくそれを悟っていた。
 欲しいと思う衝動だけが先走って、自分を抑える術がないことも。

 そうだ。

 欲しい。

 オレは、この女が欲しい。

 だから、手を伸ばす。
 あれほど恐れていたはずなのに、傷付いたって構わないと今は思えた。うだうだ悩んでいるうちに誰かに掻っ攫われるくらいなら、伸ばした手を振り払われて傷付いたほうがよほどマシだと思えるのだ。
 これは自棄なのかもしれない。破れかぶれだよなと自分でもそう感じるが、やはりとめられるものでもない。

「ッてぇ⋯⋯」
「どうしました?」

 突然手を押さえたガンマックスに、BP-115は波打ち際から慌てて彼の傍へ戻った。

「いや、ちぃと指がよ⋯⋯」
「大丈夫ですか?」

 他の仲間より指を使うガンマックスの手は、メンテナンスを怠るとすぐに軋むようになる。乗せてもらったという恩義もあって、BP-115は自然な流れで彼の手を取った。

 ガンマックスは溜め息を吐いた。相手を警戒させないその無防備さが在り難くもある反面、呆れる気持ちも強い。彼女の細い顎を掬う。ここまで上手くいくと拍子抜けというよりむしろ心配になってくる。

「えっ? ⋯⋯え?」

 ぽかんと見上げてくる目に、作戦大成功とわざとらしく口角を上げてやった。BP-115は事態を把握した次の瞬間、唇を手で隠すと真っ赤になって後ずさっている。

「なっ⋯⋯! な、なん⋯⋯なに!? なにすんですかぁ!!」
「乗せてやったんだから駄賃くらい貰ったっていいだろーがよ」

 あんまりな理由に、口をパクパクさせてBP-115はだんだん涙目になっていく。

「ふざけてこんなことするなんて信じられない!! ガンマックスのバカ!!」
「だったら、遊びじゃなけりゃいいのかよ?」
「そういうことを言ってるんじゃないです!!!」
「じゃあどういうことなんだよ」
「そっ、そ、れは⋯⋯?」

 真剣に考え込み始めた彼女に、くつくつと笑いが込み上げてくる。このへんはデッカード譲りの生真面目さなのだろう。即答で「自分だけにしてほしい」と出てこないのは鈍いと思うが、脈なしというわけでもないのでまあよしとする。

「わっわたし⋯⋯わたし、とっとにかくわたしもう戻りますから!」
「乗らねえのか?」
「乗るわけないでしょ!!」

 叫ぶようにモードチェンジした彼女は、法定速度ギリギリでかっ飛ばしてあっという間に見えなくなってしまった。帰ったらデッカードたちが煩いだろうが、それさえなんだか面白くて、ガンマックスは一頻り爆笑した。

 ああ、本当に、飽きさせない良い女だ。ちょっとばかり隙が多すぎるけども。




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