冷え込んだ冬の暗い森の中を歩いている。オプティマスの放つヘッドライトを頼りに。前を歩く彼の大きな足が、枯れた枝をとても重たく踏みつける。乾いたパキッという音はすぐにかき消され、森の中の土が、彼の足である重い金属の音を吸収して、くぐもったグググ、というような音が聞こえる。それから重厚な金属が重なり合って奏でる音に変わる。

『足下に気をつけろ』

オプティマスは少しだけ腰を下げ、こちらに振り向いた。それを見上げ、笑顔で2、3度頷く。
森へと誘われた。オプティマスに。君を連れて行きたい場所がある、と。それについてきた。見上げた先に、発光した二つの青い光がある、彼の目。その全てが青と赤と銀色の機械の身体なのに、奥行きがあり、思考により滑らかに動くその発光する瞳に迸る命を感じ、心をがんじがらめにされるのだ。
思ったよりも足元を取られる険しい森の中は勿論だが手付かずで、静かに来訪者を迎え入れているが、優しくはない。オプティマスは歩幅を合わせているつもりでいるかもしれない。だけど彼にまともに着いて行くと小走りになる。
息が上がる。

『…もう少しだ』
「うん」
『……』

オプティマスが振り返ったまま立ち止まった。

「…ん?」
『やはり歩いては無理ではないのか、なまえ』
「……」

彼が手に乗せて歩こうとしてくれたのを拒んでもうすぐ一時間経つ。
歩き続けた足は痛みが出てきた。

「…ねえオプティマス、もうすぐ着く?」

オプティマスは少し考えたように青い瞳を左右に動かして、それから、しゃがみ込んだ。

『今回のことを提案したのは私だ。君が心配だ。手に乗ってくれないか』
「…大丈夫、歩くって決めたのは私だし…」

オプティマスは2度は聞いてこなかった。

『了解した。無理だと思った時点で声をかけてくれ、手に乗せる』
「ありがとう」

それから、20分。
吐く息が白いことに気がついた。とても冷えている。しかし歩いているので、それを感じることはほとんどない。顔の表皮が冷気で痺れているのか、なんにも感じないのだ。それより、オプティマスの大きな大きな後ろ姿を見ながら歩くという、普段からするととても想像できない経験が出来ていることが嬉しかった。
いつもは存在を必要以上におおっぴらに出来ないために、彼らはさまざまなものに擬態しながら地球での生活をしている。そんな彼がありのままの姿で行動できる範囲は限られているが、今はそんなむき出しの彼が目の前にいて、一緒に歩いている。
目の前を歩いていたオプティマスが振り向き、手を差し伸べてきた。

『目的地についた』

彼の手に乗ると、

「わ…!」

眼下には朽葉の絨毯。今までの鬱蒼とした木々たちは半径5メートル程を隔てて空を遮るものは何もなく、ただ平べったく柔らかい枯葉が地面を覆ったまるい空間があった。

『此処は人間が誰も足を踏み入れたことのない森、だそうだ。20年程前から軍が買い取り使用目的を決めぬまま開拓したようだ』
「へぇ…」
『衛星が、地球上で唯一この場所だけを見逃してくれるらしい』

思わず目の前のオプティマスを見つめた。

「な、なんで?」
『意図的にそういう場所にしてある、というだけの話だ』
「……」
『衛星に細工している』
「オートボットが?」
『政府に…、この場所は好きに使っていいと言われたのでな』
「あ、だから元の姿のままでも…」
『問題ないというわけだ』
「なるほど…」

オプティマスの瞳が緩んだ。青くて淡い光が澄んだ空気でとてもクリアに見える。

『だから何をしてもいい』
「そうなんだ」
『……』
「……」
『……』
「…あの、」

なにするの?と聞こうとしたときに気がついた、手中でオプティマスに捕まったままの身体は、いつの間にか外気の冷たさを感じ取る感覚が戻っていた。寒さに思わず身震いする。

『…怖いのか、私が』
「えっ?」

訝しんだ表情で見つめられ、戸惑う。

「違う違う!ち、ちょっとだけ寒くて」

寒いというと、オプティマスが帰ろうと言い出しそうで、その予感が当たって欲しくないからやせ我慢をした。
本当はすごく寒い。温度計は持ち合わせていないので分からないが、気温はかなり低いと思う。

『ああ、すまない。待っていろ』

外側からじわじわ暖かさが伝わってくる。オプティマスが手の表面温度を上げたのだ。チョコレートにでもなった気分だ。こわばっていた身体が溶けていく。思わずほうっ、と息を吐いた。

「…ありがとう、ほかほか…」

オプティマスの額が近づき、彼が瞳を閉じたスライド音がじかに聞こえた。

『…人間には過酷な場所だな、すまなかった…』

輪郭のなかに体の全てがおさまってしまう。そんな小さな自分。心の中で、この大きな体よりも大きな存在になってしまった彼。今、衛星にも見つからない場所に、ふたりで額を合わせて、佇んでいる。彼が好きで心が潰されそうだ。思わず目を閉じて、この空気を、閉じ込めたくなった。

「大丈夫だよ、平気。すごく素敵なところだね」

オプティマスが、瞳を開いた。
額から身体が離れ、その大きな青い瞳と視線がかち合う。

『……どうしてもこの場所に、君を連れて来たかった』
「…ありがとう」
『感謝するのは私の方だ』
「連れてきたいと思って最初に浮かんだのが私だったら、こんなに幸せなことはないよ」
『君以外、いない…』

見つめられ、重たい人差し指の先っちょで、触れるか触れないかくらいに優しく控えめな動きで、髪がはらわれた。
髪に触れたこの金属の指に、胸が締め付けられ、思わずその指先に、手で触れた。

『……』

光沢のないこまかな傷の入った、側面の関節まで大きいくすんだ銀色のその指。それを見つめた。そうしていると、

「あ」

音もなくオプティマスの掌に落ちてきたのは、白くてとても冷たいもの。

「雪…」『雪だな…』

互いの声が重なった。
ひとつ、またひとつ。小さな結晶がオプティマスの指をゆっくりと白くしていく。
雪が増えていくオプティマスの手の中を見つめていたら、背景が回転した。ぐわん、と音を立てて。

「ん!?」

オプティマスが朽葉の絨毯に座ったのだ。一気に視界が地上に近くなる。

『近くに人間用のロッジを作らせてもらった。我々に関わる人間も此処で過ごせるように。今夜はそこに君は滞在するといい。暖が取れる』

急にせり上がってきた愛しさをうまく処理出来ずに、目がほんの少し潤む。

「オプティマス…」
『ん?』
「雪、溶けないんだね」

オプティマスの手から、雪を指で掬う。

「すぐ溶けちゃうよ、ほら」

指の中の雪は、二秒で溶けた。目の前の座り込んだオプティマスは、穏やかな表情をしている。

『君のその控えめな熱を、誰よりも尊いものだと思っているのは、私しかいない』

オプティマスを見つめていると、指の上の解けた雪が、滴り落ちてオプティマスの手の中へ再び落ちた。

「…ロッジ、行かない…」
『…なまえ』
「だから何をしてもいいよ」
『……』

どうしたら、もっと好きだと伝わるのだろう。この、姿も命の色も、違う存在に。

『君に、触れたい』

身体は手の中におさまったまま、指のひとつに控えめに抱きついてみる。

「───心ゆくまで、どうぞ」



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