その日、マイスターはガラにもなく浮かれていた。

 ブロードキャストが昨夜、スパイクとカーリー、それになまえと共に人気バンドのライブへ行ってきたのだ。あいにくと都合のつかなかった自分のため、ブロードキャストはライブの音源をデータにまとめてくれたらしい。それを就業前に貰ったので、お昼を食べながらこっそり聴こうと思っていた。おかげで、デストロンとの交戦による損害報告という些か気分の滅入る仕事でも指先の動きは軽やかだ。
 マイスターはデキる男である。
 驚異的な速さで報告書を作成し、まだ午前のうちに彼は自室を後にした。鼻歌の一つでも歌いそうなほどご機嫌に指令室への通路を辿る。
 そして、角を曲がろうとした。

「……っ!!」

 ひゅっと息を呑んだ音は、どちらのものだったか。

 マイスターは蹴り上げそうになった足元のものを、無理やり身体ごと捻って避けた。さすがに体勢を保てず後ろへ派手に転倒するが、そんなことよりも恐怖が先に立って足が震える。

「だっ、大丈夫か!?」

 マイスターは慌てて起き上がり、相手の無事を確認した。
 蹲ったまま頷くなまえは真っ青になっているが、身体に目立った傷はない。ホッと息を吐く。危うく思い切り蹴り飛ばすところだった。

「怖い思いをさせて、すまなかったね。お詫びにドライブでもどうかな?」

 昨夜のことも聞きたいし。
 彼女を抱き上げ、マイスターはにこりと笑う。しかしなまえは悲しげに首を横に振った。

「じつは……」

 声が、出なくなった。
 べつに風邪をひいたわけじゃない。昨夜のライブではしゃぎすぎて喉が潰れたのだ。一緒に声を上げまくっていたスパイクたちは喉の痛みさえ訴えていないというのに不甲斐ない……。

「そうだったのか。すまない、無理に喋らせてしまって」

 ううん、とまた首を横に振る。通信機能もないし、どっちにしろ説明するにはしゃべらなくちゃいけないのだ。あ、筆談すればいいのか。なまえがかすれた声でようよう説明を終えてそんなことを考えていたところで、コンボイが現れた。

「やあ、なまえ。昨夜はお楽しみだったようだな」

 マイスターはコンボイの隣に着いて歩き出しながら、無言のなまえを抱えたまま、事の成り行きを説明した。
 コンボイのなんか怪しい発言もさくっとスルーだ。マイスターはデキる男なのである。




「なるほど、そうだったか。道理で私に挨拶もなかったわけか」

 テレトラン1の前で顎に手をやり、コンボイは唸った。まるで困難な作戦を考える顔だ。

「無理をさせるわけにはいきませんが、彼女の声が聞けないのは寂しいものですねぇ」

 見下ろされたなまえは申し訳なさに身を縮ませた。不調の騒ぎを聞きつけて仲間が次々集まってきたのだから当たり前だ。皆、ちょっと大袈裟すぎやしないかと思う。

「しかし、またさっきのようなことがあるといけない。今日はもう動かないほうがいいんじゃないか?」

 気遣わしげなアイアンハイドの言葉に、マイスターがばつが悪そうに肩を竦めた。浮かれていた自覚はあるし、そのせいで基地内にいる小さな友人を危ない目に遭わせてしまったのだから言い訳のしようもない。

「私にいい考えがある」

 と、それまで唸っていたコンボイが、自信満々に指を立てて言い放った。またですかぁ? と思ったのはアダムスだけではなかった。

「声が出せなくても居場所が分かるように、鈴を身に付ければいい。赤いリボンで、首に下げてはどうだ」
「そんな。犬や猫じゃあないんですから」
「大丈夫だ、きっと可愛いぞ」

 可愛いからって何が大丈夫なのか、意味が分からない。

「いや、そりゃあまあ……」

 言いながら見下ろしてきたマイスターの雰囲気が変わった。

「……可愛いでしょうけど……」

 これはたぶん、ちょっといいかも、とか思い始めているやつだろう。司令官の提案を失笑混じりにキッパリバッサリ却下できる彼までもが陥落してしまったら、最後の防衛ラインが突破されたも同然だ。つまり、なまえになす術はない。

「ちょっと待っておいで」

 そう言って指令室から出ていったラチェットは、ものの数分で戻ってきた。妙に晴れやかな笑顔の彼の手にはまるで指輪のようなものがある。彼らトランスフォーマーにとって指輪サイズなのだ、人間のなまえに着けたら首輪にしか見えないだろう。
 なまえはもう、無駄な抵抗をする気も失せてしまった。渡された首輪にはちゃんと鈴も付いていたけれど、金属製というだけでなんか見た目がすごくアレだ。

「リボンがなかったからね。中は空洞になっているから、重くはないだろう?」

 確かに、少し厚みがあるけど重くはない。渡された物を見回して、なまえは溜め息を吐いた。
 ラチェットはわたしたち人間をとても大事にしてくれるけど、時々こんな感じでなんかズレてるんだよね……。
 それにしても、本当に、犬や猫じゃあないんだからと言いたい。声を出すのが億劫だから、嬉しそうに待つ司令官をちょっと睨んでみる。当然、些かにも効きはしなかった。そういうひとなのだ、この司令官は。
 彼のご注文通りに、金属の輪っかはその機体と同じ色。

「おいらが着けたげる!」

 気を利かせてくれたつもりのバンブルが、わたしの首にするりと輪っかを滑らせた。奇妙なほど馴染むそれに、本当に首輪を付けられた心地になる。

「よく似合っているよ、子猫ちゃん」

 わたしを目の高さまで掬い上げた司令官が、そう言って笑った。熱っぽい眼差しに潜んだものが何なのか分からないほど、幼くはない。こんな子供じみた方法で、彼はわたしを縛り付けようとしている。冗談半分に、それでも、一時でも──と。
 そんな少しの仄暗い欲望が、その眼に透けて見えていた。

「うん……本当に可愛いな」

 バカなひとだなあって思う。こんなことしなくても、わたしは彼のものなのに。そしてそれを分かっているはずなのに。

 顎の下、軽やかな音が鳴る。

 仕方ないから、この首輪を付けている間だけ、彼のものになってあげることにした。



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