Shadow Tag
「あ、おかえり、カゲロウ」
音もなくデッカールームへ帰ってきた長兄に気付き、サクラは手元の書類から顔を上げた。
外れた天井板の暗闇に、赤と緑の燐光が浮かんでいる。緑のほうがスッと三日月のように細まって、サクラも唇に笑みを刷いた。
シャドウ丸よりも大きな翼を持つくせに、カゲロウは苦もなく天井裏から薄暗いデッカールームへ降りてくる。静かに、密やかに、その名のように影のごとく。
「ただいま」
「お疲れさま。寒かったでしょ」
二人は今夜の夜勤当番で、カゲロウは巡回から戻ってきたところだった。本来ならば交代でサクラも出なければいけないのだが、カゲロウは彼女の分も含めて全てのルートを一人で廻ってきた。代わりにサクラはカゲロウの書類を捌いていたというわけだ。
今の季節は、とりわけ出力の低いサクラには辛いものがある。彼女がガンマックスと一緒に、休眠中の機熱低下による一時的な機能不全を起こしてから、カゲロウとシャドウ丸はサクラをべたべたと甘やかしていた。
「本当にありがとう。はい、これ」
仄かに笑うカゲロウに、サクラは心からの感謝を述べて、用意しておいたオイルを渡すとタオルを手に取って立ち上がった。
ボスが家に帰ったので暖房は切っているし、人口密度が下がったことで部屋の温度も下がっているが、外から戻ってきたカゲロウの冷え切った表面装甲には『汗』が浮かび始めている。もちろん本当に汗を掻いているわけではなく、いわゆる結露だ。
立ったままオイルを飲むカゲロウの装甲を、サクラは丁寧に拭いていく。
頭、肩、翼、背中、前に回って胸と腹も。上から順に、腰部は残して脚へと下り、それからまた頭へ戻る。一巡したところで、飲み終わったカゲロウが空缶をデスクに置いたので、サクラは何枚か用意しておいたタオルを渡した。腰部装甲を拭き始めたカゲロウを、サクラもタオルを新しいものに取り替えて最後の仕上げにもう一度拭いていく。
そうして胸を拭いていたとき、カゲロウが不意に声を上げた。
「サクラ」
「なーに?」
「すまない、勃った」
「⋯⋯は?」
サクラは頬を引き攣らせて顔を上げた。カゲロウは無表情に、本当に「すまない」と思っているのかいないのか分からない様子で静かにこちらを見ている。
「じょ、冗談やめて」
「いや、本当だ」
カシャンとハッチの開く音がして、腹の近くに熱の気配が現れた。サクラは視線は下げなかった。当たり前だ。下げるわけがない。
「ちょっ⋯⋯!? いや見せなくていいから! 早くしまって!」
「勃起が収まらないと無理だ」
「なんで出したの!? そ、外で冷やすとかしたら?」
「お前はオレを公然わいせつ罪で逮捕したいのか」
「馬鹿言ってないで何でもいいから早くしまってよ!」
「手伝ってくれないか」
カゲロウってたまに分からない。アブノーマルなことを普段と同じ調子で言ったり、したりしてのける。ここがデッカールームで、自分たちが唯一起きている夜勤当番とはいえ、絶対に人が来ないとは言い切れないのだ。そもそも出動要請がないとも限らないのに、そんな状況で事も無げに求めてくるなんて、自分の兄ながら、本当に何考えてるのかまったく分からない。
「じょ、じょうだん、だよね⋯⋯」
涙目になって、サクラはカゲロウを見上げた。口調は懇願めいていて、切実に回避したいという思いが見て取れる。
「お前が嫌なら、いい。すまなかった」
カゲロウは、あっさりと言った。あてつけがましい言い方ではなく、本当にあっさりと。
カゲロウは決して強要はしてこない。今まで一度だって、本当に嫌だと思うことをされたりさせられたことはない。カゲロウの望みはいつだって“お願い”の域だ。
しかし、一度失った経験から、サクラは──シャドウ丸も──カゲロウの“お願い”に異様に弱かった。それを分かっていて言っているのかいまいち分からないが、それでも、押し通さないのはカゲロウの優しさだ。
「すまないが、処理してくるからもうしばらく頼む」
「あ、」
ハッチに無理やり押し込んで踵を返したカゲロウに、サクラは縋りつくような声を上げてしまった。
意図しているかどうかはともかく、押して駄目なら引いてみろ、というやつだ。声を出した時点で心理戦で完全に負けた──いや、カゲロウにそういうつもりは全くないと分かっているが──それを自覚して、サクラは唇を噛んだ。
「ヵ、カゲ、ロ、ウ⋯⋯あの⋯⋯」
「どうした?」
投げかけられる純粋な疑問の視線に、蒸し返すのが恥ずかしくなった。それでも、離れてほしくない。
「て、⋯⋯手で、いいなら⋯⋯」
「できれば口がいい」
即答だった。
本当に、どこまでが計算なのか分からない。
たぶん全部、素なのだけれど。
「⋯⋯う、ん⋯⋯」
だからこそ、サクラはカゲロウの“お願い”をどうしても聞き流せないのだ。
椅子に座ったカゲロウの足元に跪き、サクラは恐々とハッチに触れた。装甲越しでも熱を持っているのが分かり、緊張に呼気が震える。了承したものの、やはり不安が大きすぎて、なかなか次の行動に移れなかった。
カゲロウはただ、ひたすら優しく頭を撫でてくる。色めいたこととはまるで無関係な、訓練の成果が良かったときに褒めるのと同じ手付きだった。不安から、サクラはそろりと大きな手に甘えて擦り寄った。手の平が少し下りてきて親指が唇に触れる。そのまま太い指が口の中に入ってきた。
「んぅ、っふ、ぁ⋯⋯」
「ふふ⋯⋯お前の口は気持ちが良い」
舌や上あご、頬の内側を弄られると、徐々に排熱が滞っていく。息が荒くなり、機熱が上がり、思考に淫靡な幕が降りて、ゆっくりと視覚を閉じるように、危うい現状を少しずつ忘れていった。
「口、気持ち良いか」
「ん、ぁ⋯⋯あぅ」
そろりと頷くと、カゲロウはまた微笑した。
節電のためデスクの灯り以外に光源はない薄闇に、優しい色の燐光がゆうらりと浮かんでいる。それがサクラの心を掴んで離さない。
「オレも、良くしてくれ」
カゲロウはサクラの口から指を引き抜くと、素早くコネクタを解放した。半開きになった唇へ先端を押し付ければ、サクラが反射的に口を閉じて顔を背けたので、ゆるゆると頬へ擦り付けてやる。
「あ、⋯⋯はぁ⋯⋯」
覚え込まされた快感が、意思に反して身体にリフレインする。
レセプタを満たす質量と熱。執拗に擦られたかと思えば、貫くように突き上げてくる。根元まで挿入されたまま、腹の奥を掻き混ぜるように腰を使われると、縋り付かずにはいられない。
望めばそれを与えられることは分かっているが、サクラはまだ冷静だった。これはいわば『致し方のない処理』で、場所も場所なのだ。手早く、かつ無駄のないように──。
サクラはおずおずと口を開けた。無防備なそこへ、カゲロウが無理やり侵入してくることは決してない。
先端を食むようにキスを落とすと、すでに滲んでいた先走りの味がした。それはいつだって、サクラの理性を狂わせる味だった。丁寧に舐め取って、熱い吐息を零しながら、舌を這わせていく。先端から根元へ、そして根本から先端へ戻ると、サクラはそのまま口に含んだ。匂いと味がぐっと濃くなる。視界が霞み、ぐらぐらと歪んで、無意識に膝を擦り合わせていた。
羞恥と緊張で躊躇いがちだった口淫は、瞬く間に熱心なものに変わっていく。
「んんっ、く、っふ ⋯⋯はぁあ⋯⋯っ」
口全部を使って扱き、くびれや裏筋へと舌を這わせる。兄二人に教え込まれたサクラの口での愛撫は巧みで、彼女の頭を撫でるカゲロウの手から余裕が消えていく。
頭上の溜め息が深く熱くなり、時おり太腿がひくつき、カゲロウの興奮が手に取るように分かって、それがサクラを興奮させた。
カゲロウが気持ちいいと、自分も気持ちいい。
「サクラ、脚、開け」
命令口調だが、威圧的ではない。
従わなくてもカゲロウは気分を損ねたりはしないと分かっていたが、サクラは言われた通りに揃えていた膝を開いた。カゲロウがそれを確認し、脚の間へつま先を割り込ませてくる。その行方に、サクラの動力が期待で高く唸った。
カゲロウはそんな彼女を感じ取って、薄く笑う。
「足で悪いな。汚れるかもしれないが、いいか?」
息を呑んで、しかしサクラは答えなかった。
素直でない態度に、少し焦らしてやろうと思って、カゲロウはつま先を装甲に潜り込ませると股関節に触れさせる。びくりと腰が跳ね、膝が閉じた。咎めることもなく、優しくハッチの周辺をなぞってやる。
「う、んんっ、んーっ! うぅ⋯⋯!」
もどかしげな声が、そのまま口淫の激しさへ転化していく。サクラは物欲しそうに腰を揺らし、自らカゲロウの足先へハッチを擦り寄せながら、レセプタを満たしてくれる口の中のものに必死になる。
もはや『致し方のない処理』の範疇ではない。膝を開いた瞬間から、サクラは完全に陥落していた。
「サクラ、欲しいのか?」
「ふぁ、あぁ⋯⋯」
声をかければ、泣きそうな顔で見上げてきたサクラが、のたのたと立ち上がってくる。カゲロウは彼女の脇に手をやって引っ張り上げてやった。サクラはもう閉じる力もないのか、脚を投げ出すようにして膝に座ってくる。
跨ぐ形で座ってきたので、サクラの脇からそのまま背中へ腕を回し、尻へと手を滑らせた。レセプタハッチに触れると、装甲が焼けそうなほどの熱が蟠っている。
「相変わらず強情だな、お前は。こんなになるまで我慢するとは」
「だ、 て、カゲロ に⋯⋯きもち、く、な⋯⋯て、ほしくて⋯⋯」
自身の快感より、こちらのためにと奉仕の精神に溢れる健気な言葉に、愛しさや嗜虐心が一気に溢れて苦しくなった。
「なら、一緒に気持ち良くなろう⋯⋯」
口頭で指示するまでもなく、サクラはハッチを解放していた。焦らされたことでたっぷりと緩衝オイルに濡れ、普段より抵抗なくカゲロウの指を飲み込んでいく。
「あ、ぁああッ あ⋯⋯」
望んだものを与えられ、この上なく甘い溜め息を零し、サクラが頬を緩ませる。
カゲロウは隻眼を細めて、それを見つめた。サクラはいつも、目の前の存在が愛しくて仕方ないと、そんな顔をするのだ。本当にずるいと思う。
今回は少々スリルのある状況で求めたものの、カゲロウはべつに痛い思いをさせたいとかそういうサディスティックなことを思っているわけではない。サクラが恥ずかしい要求に困って、羞恥に震えながらそれでも自分を求めてくれれば満足なのだ。理性も羞恥も投げ捨てて求めてくる瞬間が一番可愛くて、だから意地悪をしてしまうだけで。
ただただ、いつもそういうどうしようもない“お願い”を聞いてくれるサクラが愛しくて仕方がなくて、たくさん気持ち良くしてやりたい。
「サクラ、挿れるぞ」
腰を引き寄せ、ねちっこく入り口に擦り合わせると、サクラは確かに吐息で笑った。
それを了承と取り、負担を掛けないようにサクラの呼吸に合わせて支えた細い腰を引き下ろしていく。
「あーっ⋯⋯はぁあ、あっ、あ⋯⋯!」
コネクタが入りきると、涙を流して激しく身体をねじらせながら、サクラが深い充足の溜め息を漏らした。
自分のコネクタに満たされてそんな甘い吐息を吐かれると、堪らなく興奮する。サクラの善がる様を見て、カゲロウもまた満たされていく。
「んぅ、あぁあ、は、カゲロ、ゥ、あっ、ん、あぁ⋯⋯!」
優しく揺すり立ててやれば、普段の澄ました態度など見る影もなく瓦解する。こんなサクラを見ることが出来るのは自分たち兄弟だけだという強烈な優越感が歓喜を連れてくる。
「はッ、ぁ⋯⋯サクラ⋯⋯。声、いい、のか、っ⋯⋯?」
喉で笑いながら耳に囁いてやれば、場所を思い出したサクラのレセプタがにわかに緊張した。
「ぁ、あ、だ、って、カゲ、ろ、がぁ⋯⋯!」
「オレのせいにするのか。悪い子だ」
「んぅう⋯⋯!」
悲痛な声を零し、サクラは頭を振る。
そう、カゲロウは、いつだって、強制はしない。誰のせいだと言われれば、我慢の利かなかった自分自身のせいだ。それをサクラも分かっている。
「ゆ、ゆる、し て⋯⋯っ」
「べつに怒ってない」
泣いて縋ってくるのが可愛くて堪らず、カゲロウは強く突き上げた。サクラがきつく仰け反り、細腰がぎしぎしと音を立てる。あまりに激しく悶えるので、カゲロウは椅子を回してサクラの背中をデスクで支える形を取ってから、繋がりはそのままに立ち上がった。片脚を抱えて大きく開かせると、緩んだ股関節にさらに強く腰を打ち付けていく。
「ふ、あっ、やぁあ⋯⋯ッ!!」
「くっ⋯⋯!」
体勢が変わり、より深くカゲロウが入り込んできたことで、サクラは甘やかな悲鳴を上げた。
完全にデスクに乗り上げた身体をねじらせ、掻くように指先を立てる。圧し掛かってくるカゲロウの重さが心地良い。口付けを求めて迫る顔と、その背に広がる翼に視界を奪われて、カゲロウの存在以外が感覚の外へ追いやられていく。
「は、っ、サクラ⋯⋯。すごくっ⋯⋯気持ちがいい」
カゲロウは力強く腰を使いながら、女の身体のやわらかさに溺れた。
喰らい付くように締め上げ、しかし抽挿を妨げることなくなめらかに絡みついてくる。ざわめく内部から、触れる場所すべてから、サクラの歓喜が雪崩れ込んできて、もう限界だった。
「サクラ⋯⋯! 嗚呼、サクラ、愛しているっ⋯⋯!!」
「あっ、あ、カゲ、かげ、ろ、ぉ⋯⋯!」
波が打ち寄せて引くように、互いのパルスが共鳴していく。
電脳が、そこから走る回路のすべてがスパークして、意識に一瞬の空白。
「クッ、ぅ、んん⋯⋯!」
「やあぁ、あ、あつ、ぃい⋯⋯!」
腹の中に満ちていくものに、サクラは全身の緊張もそのままに喉を震わせた。
「っ、ぁぁあ⋯⋯あっ、あ⋯⋯」
どっと涙を溢れさせてサクラの硬直が解けると、カゲロウはすぐに身体を引いた。抱えていた脚を下ろしてやり、緩衝オイルと生殖オイルでそぼ濡れた部分をタオルで拭ってやる。
「大丈夫か?」
「⋯⋯ん、ぅ⋯⋯」
中に残った物はそのままにハッチを閉め、ロックを掛けさせた。余韻にぼんやりとしているサクラは分かっているのかいないのか。
最後に股間を一拭きしてやり、カゲロウは自分の身を整えると、最中に蹴り飛ばした椅子を引き寄せた。サクラを膝の上に横抱きしてやれば、甘えるように額を擦りつけてくる。あやすように優しく身体を揺らしながら、その頭にキスを落として、カゲロウはそっと囁いた。
「サクラ⋯⋯このことはシャドウ丸には秘密だぞ」
「ぁ⋯⋯で、でも、それで⋯⋯しゃど、 に、バレたら⋯⋯」
「バレてもバレなくても同じだ、アイツはあれで妬くからな。とにかく、このことは秘密だ⋯⋯いいな?」
「⋯⋯わか、⋯⋯た⋯⋯」
隠すと余計酷い目に合うと分かっているので迷いつつ、それでも従順に頷いたサクラの頭を撫でてやる。まあサクラが本気で隠し通そうとしても、洗い流したならともかく残滓が中に残っている以上、十中八九バレるだろう。シャドウ丸の嗅覚を舐めてはいけない。
しかし、シャドウ丸のほうも自分に内緒でサクラを抱いていることがある。つまりお互い様であり、そしてなによりシャドウ丸は妬きつつもそれを楽しんでいる節があった。もちろん、自分もだ。
順番にという約束を破ったサクラがどう言い訳するのか、必死に繕おうとする彼女を突き崩してやるのが楽しくて仕方がなくて、秘密裏に結託していることすらある。それでも普段は隠し通されることもあるのだから、そこがまた面白い。
「いい子だ、サクラ⋯⋯さあ、少し休むといい」
「ありが、と⋯⋯カゲ、⋯⋯ ⋯⋯」
答えて眠りに落ちたサクラを甘く見つめ、カゲロウはほくそ笑んだ。
可愛そうに⋯⋯シャドウ丸の“おしおき”の報告が、実に楽しみだ⋯⋯。
タイトルは「影(達)の遊び」的な感じで上手いこと言ったつもりだった(笑)