B棟は酷く静かだ。
「ええところじゃろ?」
「空調も効いてるしサボりにはもってこいだね」
サボったところで人生二周目なので授業についていけなくなる心配はないが、出席点における心配はある。普通の大学に行ける程度には内申点を稼いでおきたい。
「ほんで、幸村の事頼めるかの」
「それは難しい相談だ」
「関わらないん決めたっちゅう話は本当じゃったか」
なんだ、仁王は知っていたのか。そんな私の思考が読めたのか、昨日参謀から聞いたと付け加えた。てっきり幸村と柳だけ注意しておけばいいと思っていたからこれは誤算だ。
関わらない発言を仁王が知っているとなれば、必然的に他のメンバーも知っていることになる。それでも"チーム青春"が何も言ってこないのは優しさか、はたまた面倒ごとは放置したいか。
(前者だと、嬉しいなぁ……)
クラスメイトとはあまり積極的に関わっていないから、胸を張って友達だと言える人間はいないに等しい。いけても精々仲の良いクラスメイト止まりだ。
この世界に来てからLINE交換したのもあの三人が初めてで、つまり連絡先を知る人物はリョーマを加え四人しかいないのである。高校生といえばクラスLINEだとか学年LINEとかで盛り上がる印象があるから、やはり私は少し浮いているらしい。
「まっこと読めんやつじゃのう」
「急だね」
「今何を考えているのかすら分からんぜよ」
考えが読めたらそれこそエスパーなのでは。読めるのがさも当然とでも言うような言い方にほんの少しだけ寒気がする。彼は今まで相手の表情や仕草を読み、そしてコピーしてきたのだろう。
「仁王も幸村から逃げる方法を一緒に考えてよ」
「やじゃあ、めんどっちぃ」
「私もマネージャーめんどっちぃのよ」
仁王の言葉をそのまま借りて返せば、いつかのようにクククと笑っておかしなやつぜよと呟いた。
コート上の
「もういい加減諦めんしゃい」
「他の子じゃ駄目なの?」
「あーだめじゃだめじゃ。ろくに仕事もせんと俺らばっかよう見ちょる」
「精神衛生的には良くない?」
「……悪かなか」
ほらね、と返す。
仕事ばかりで自分たちに一切見向きもしない女より、仕事はほどほどに一生懸命応援してくれる女の方が気分がいいだろう。しかも時々かっこいい!なんて言ってもらえたらもう最高だ。
「けんど騒がしいのはかなわんちや」
「君たちが一言言えば静かになると思うけどなぁ」
「一言言う度ぎゃーぎゃー喚く」
「想像に容易かった、謝る」
分かればよかよ、なんて困ったように笑う仁王。この少しの時間だけで彼のいろんな表情を見られて、やっぱりきちんと生きている人間なのだなとしんみり思う。
「噂だってあるじゃろうに」
「人の噂も?」
「75日、なるほど。割り切っとおわけか」
「諦めとも言う」
今日も登校するなり三年生の女の子たちが待ち構えていて質問攻めされた。が、昨日のクラスメイトたちにしたのと同じように返事をすればそれ以上は興味を失うのか聞いてこなくなる。
それを繰り返していればいつかは終わる。マンモス校といえど生徒の数は無限じゃないのだから、既に終わりが見えていると言っても過言ではないのだ。
だから諦めというのは、噂のせいでやってくる質問の波に対処しなくてはいけないことへの諦めだ。
「噂の対処法、一つあるぜよ」
「聞いても?」
仁王が悪戯っぽい笑みを浮かべてズイと近づいてくるが敢えて避けずにそのまま聞く。
電気も点けずカーテン越しの自然光だけの薄暗い室内の筈なのに、近くで見るその銀色の髪はキラキラと輝いている。それが眩しくて琥珀色の瞳へ意識をずらせばカチリと交わる視線。
私が何も言わないのをいい事にそのままソファーへゆっくりと押し倒され、視界のほとんどが仁王で占められた。やはり彼も男子高校生、あわよくばセックスしたい、くらいには思っているのだろうか。
「綺麗だね」
キラキラ輝く銀糸と琥珀に思わずそう呟けば、今までジリジリと近付いてきていた顔がピタリと静止する。彼の目が大きく見開かれるので、その琥珀が零れ落ちてしまわないかと変な心配をする。
「……状況、わかっちょお?」
「君に押し倒されていて、これからキスでもされるのかと思っていたんだけど、」
違った?と言えば、瞬きをパチパチと数回繰り返してからスッと身体を離していった。
解放されたので座り直してから彼を見遣れば、頭を抱えて床を見つめ固まっている。どうしたのと声をかけるとその肩をビクリと揺らした。
「男としての自信が無くなりそうぜよ」
床を見つめたままそう答える彼が可笑しくてクスクス笑う。どうしたって男子高校生を男として見ることは出来ないのだ。だって彼らは言うこともやることもいちいち可愛くて、そして子供っぽい。
ただこのまま黙っていてはいよいよ本当に自信を無くしてしまいそうなので慌ててフォローに入る。
「髪の毛と瞳が綺麗だったの」
「……は?」
「髪がキラキラしていて、瞳も宝石みたいだから」
「なんじゃ、それ」
一度は此方を向いた視線もまたすぐに床へと戻り、頭を抱え直し大きな溜め息を吐いた。よくよく観察すればその銀糸から覗く耳先が赤らんでいて、ああ
「それで、対処法とは?」
「もうよかよ」
「気になるじゃない」
お返しと言わんばかりに、今度は私が彼へと身を寄せる。それでも床を見つめたままなので、態とらしく顔を割り込ませてみれば見えるのはやはり赤い顔。気まずいのか仁王が思い切り顔を背け降参のポーズ。
「おまんさんが俺と付き合う」
うん?と首を傾げる。
言っている意味と先の行動が全く結び付かない。察しろ、と無言の圧力で訴えかけてくるが分からないものは分からない。ああ、男子高校生の分からない行動シリーズがここでも。
諦めたのか仁王が口を開いた。
「噂の上書きじゃ」
「ほう?」
「ああすれば女はすぐに
「あー、なるほどね」
確かに、女という生き物は一度抱かれるとその男が忘れられなくなるという。だから
男はその場限りのつもりでいても、女は情がわいて割り切れなくなるというのはよく聞く話だ。種をばら蒔き子孫をより多くの残したい男と、その子孫を一生をかけて育て守り続ける女とでは、本能から違うのだ。
「随分と自信がおありで」
「その自信が今まさに無くなろうとしちょる」
「君があまりにも綺麗だったから」
言われ慣れていないのか、先程よりも更に赤くなる顔。そしてまたフイと顔を逸らした後、それやめんしゃい、と小声で言うのが可愛くてふふと笑みが溢れた。
笑うんじゃなかと文句を言われても、照れ隠しにしか聞こえなくてさらに笑みが深くなった。
仁王語が迷子
20190516 お肉