転入編17



二限終了までたっぷりと使った詐欺(ペテン)師との奇妙な邂逅は幕を閉じ、お昼休みを迎えた今。昨日の事があるので屋上へ行く気にならないが、かと言って教室には柳がいる。食堂も誰に会うか分からず危険。
そうなれば候補は一つ。


「失礼しまーす」


予想通り施錠されていない無人のこの部屋。そう第二視聴覚準備室である。

バレると後が面倒なので電気も点けずカーテンもそのままにソファへ腰掛ける。屋上と違い空調がよく効いていて、薄暗さと埃っぽいところにだけ目を瞑れば良い穴場だ。

もさもさといつもの昼食を平らげた頃、扉の開く音が響く。先生が来てしまったか、もう後悔しても後の祭りなので気にせずペットボトルのお茶を飲む。
と、向こうから覗いたのは銀色。


「なんじゃ気に入ったんか」

「さっきぶり。そういうことにしておいて」

「プリッ」


手を挙げて挨拶すると例の不思議な擬音語が返ってきて、思わずおおと感動してしまう。生で聞くのは初めてだが、やはり意味不明なそれは生身でも健在なのだな。


「悪いけど予鈴までここにいさせてもらうよ」

「好きにしんしゃい」


そう言いドカッと隣に腰掛ける。
昼食はもう食べたのかと問えば、それを無視して私の腿へ頭を乗せた。所謂膝枕というやつ。腐っても男子高校生、やはり女の子にしてもらう膝枕は憧れだよね。私がまさか女の子という歳じゃないなんて事は知る筈がないし、そのまま仁王の頭をそっと撫でてやる。


「んー」


撫でると唸る。
手を止めれば唸りもピタリと止む。
また撫でる。そしたら唸る。


「遊ぶんじゃなかよ」

「ふふっ、ごめん。玩具(オモチャ)みたいで面白くてつい」

「……俺を玩具(オモチャ)扱いしたのはおまんさんが初めてぜよ」

「初めてをもらっちゃったね」


悪戯っぽく言ってみる。
案の定仁王はそのまま黙り込んでしまう。が、その耳先はほんのりと赤く色づいていた。
紙面上創造物の仁王と言えば、掴み所がなく飄々としていて我が道をいく謎の男、という印象だった。それが今こうして大人に振り回されているのがひたすらに可愛く思える。


「仁王もただの男子高校生だねぇ」

「それ褒めてるんけ」


どっちだと思う?なんて聞いてみれば、もう知らん、と返してくるのがまた可愛くて再び頭を撫でる。キラキラの銀糸は予想よりも少し硬くて傷んでいて、それがまた生身の人間である事を強く主張していた。

そろそろいい加減、"紙面上創造物"と"生身の人間"についてしっかり気持ちの折り合いをつけなくてはいけない頃だよね。



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五、六限目はいつも通りこなした。
あとは帰るだけとなったが、流石に丸一日スルーし続けていた柳も痺れを切らしたのか、帰り際にガシリと腕を掴まれる。またこのパターンか。二度ある事は三度ある、だな。
その様子を見ていたクラスメイトからは悲鳴が上がる。


「苗字、少し話がある」

「私にはないよ」


冷たく返すと掴まれていた手にギリと力がこもる。あの頭脳派な柳が武力行使とな、と少し驚いた。


「このまま部室まで連れて行ってもいいが?」

「大声出すよ」

「俺は不審者か」


ナイスツッコミ。
昨日から面倒事が続いていていい加減疲れいる私は抵抗をやめ力を抜いた。それに気づいた彼は礼を言う、と言い足を進める。当然掴まれたままなのでそれに着いていくしかない。

教室を出る間際すれ違った女の子に、これが強制連行ね、と小声で伝えた。ウインクを添えながら。やり過ぎ感はあったが、女の子はコクコクと何度も頷いていたので効果はあったに違いない。


「なぜ屋上?」

「行けばわかる」

「わかりたくないねぇ」


すぐに屋上を目指しているのに気付いた。転入してからほぼ毎日通い詰めた道だから身体が覚えている。しかし嫌な予感がする。なんせ屋上=幸村みたいなものだから。

程なくしてなんの障害も無く屋上へ辿り着いてしまう。深呼吸をして覚悟を決めたと言わんばかりに柳を見遣れば、安心しろとでも言いたげに少し微笑んでから扉を開く。と、そこには。


「あら拍子抜け」

「精市がいると考えていた確率、96%だ」

「大正解」


待っていたのは真田ただ一人。
腕を組み仁王立ちで、真っ直ぐこちらを見据えている。その武士スタイル、嫌いじゃない。


「苗字、突然すまない」

「ご用件をどうぞ」

「幸村の事でお前に頼みがある」

「あーやっぱりそれかー」


真田のいる一番近くのベンチに腰を掛ければ彼は私の目の前に立つ。此方は座っているので当然見上げる形なのだが、とにかく威圧感が凄い。流石は皇帝。


「聞けば相当荒れているだとか」

「どこからその情報を」


仁王から聞いたままの話をすればすかさず柳が食いついてくる。データマン的に、知らない筈の人間が情報を持っているのが気になるのだろうか。こう、ライバル意識というか。

話せば、真田と柳も幸村の荒れっぷりに手を焼いているらしく、どうにか臨時マネージャーの話を受けてくれないかと嘆願される。


「ちょっと真田、さすがに頭上げて」

「頼む!この通りだ!」


このまま放置しておけば土下座までしそうな勢いで頭を下げる真田に少し焦った。俺からも頼む、と柳まで頭を下げる始末。
この二人にここまでさせるとか、幸村はどれだけ暴れているんだ。


「貸し一つ」


あのミーティング中に唯一助け舟を出してくれた(見事に轟沈したが)真田の頼みだった、良心が酷く痛むので"貸し"ということで取り敢えず願いを聞いてやることにする。
心底ホッとしたような顔をした二人。ただし、と付け加えると空気がピリと張り詰めた。


「あくまで幸村のご機嫌を治すだけ。臨時マネージャーの話を引き受けるわけではないからね」

「やはり苗字は手強いな」

「それでも構わん!このままでは部員の消耗が激しいのだ!」


柳は溜め息を吐くが、真田はまるで救世主(メシア)を見たかのように喜んだ。そして我々三人はテニス部部室へと向かうこととなる。



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「苗字さん!引き受けてくれる気になったのかい!」

「違います」


部室前で幸村と出会う。
嬉しそうな幸村にピシャリと否定。
他の部員たちは既に練習を始めているようだ。幸村が私に話しかけて来たのを見届けてから、真田と柳は着替えのために部室へ入っていく。


「じゃあ何しに来たのさ」


むっとした顔で文句を言われた。
この顔が可愛くて、つい意地悪を言ってしまいそうになるのをぐっと(こら)える。頑張れ私。


「かっこいい幸村くんの見学に」

「え、ほんと?」


乗せられ上手な幸村はパアとその目を輝かせた。周囲には花が咲き乱れる幻覚。なんだかデジャヴを感じる。


「あと君の監視も兼ねて」


そう言うと不思議そうな顔をして首を傾げた。なにそれ可愛い。幸村はいちいち"大人のツボ"を刺激してくる。これを所構わずやってしまえば未成年淫行が後を絶えないよ。私はギリギリ持ち(こた)えた。セーフ。


「君が昨日から大変ご機嫌斜めだと部員達から苦情が届いております」

「む、文句言った奴らは校外100周だな」

「こらこらそういうところだよ」


てっきり校庭○周かと思っていれば学校の外回りとはいやはや恐れ入った。君はこの学校の敷地がどれほど広いのか理解しているか。100周なんてさせてみろ、夜が明けるぞ。

そのまま二人でコートの近くまでやってきた。
流石私立の全国常連強豪校なだけあり、大会と同コンディションで練習ができるハードコートとは別に、人工芝コートやクレイコートまで取り揃えてある。更にはテニス部が独占利用できるグラウンド。超高待遇である。

見物目的のファンは主にハードコートのフェンス外に集まっているようで、気を使ってくれたのか人工芝コートのベンチまで通される。


「ふふっ」

「なあに、面白いことでもあった?」

「噂を流した張本人なのに気を使ってくれているのが嬉しいのよ」

「苗字さんが苛められるのは本意じゃないからね」

「幸村は優しい子だね」


おかしいな、仁王の報告では常に眉間に皺を寄せ、人を殺しそうな目力で、実際に何人か殺ったかのような表情をしていたらしいのだけれど。
目の前の幸村は穏やかそのもので、もしや騙されたのではと思い始めた頃、丸井とジャッカルが人工芝コートの入り口までやってきた。


「おっす苗字」

「名前!俺の天才的妙技やっと見る気になったのかよ!」

「お邪魔してます」


二人と挨拶を交わしてすぐに異変に気がついた。彼等は凄く離れた位置で立ち止まり、それ以上近寄ってくることがない。
ジャッカルの額は異様に汗ばんでいて、丸井もいつものフーセンガムを噛んでいない。これは。


「お前ら、早く練習したら?」


幸村が二人の方へ振り向いて低い声でそう言うと、はい!と良い返事をしてコートに立った。私の見えない位置では"仁王の報告通りの顔"をしているに違いない。

パコン、パコン、と気持ちの良い音が耳を擽らせる。プラチナペアの二人はシングルスで打ち合いをするらしい。曰く、パートナーの気持ちをよく知るためだそうで。
彼らの打ち合いを横目に、改めて幸村へと向き直った。


普通の男子高校生な幸村はチョロそう
20190516 お肉