「幸村、そろそろ機嫌を治したら?」
「苗字さんが臨時マネやってくれないからいけないんだ」
「責任転嫁」
「じゃあ引き受けてくれる?」
可愛らしく小首を傾げて聞いてくる。絶対王政を敷いている幸村のことだから、疑問符など無しに有無を言わさぬオーラで圧力をかけてくるかと思ったのだが。
「その可愛い仕草は一体どこで仕込んできたの」
えへへ、と笑い誤魔化された。
彼は私の扱いを心得ているようで、可愛くアピールされればすぐ許してしまう私には効果抜群だった。むしろ一撃必殺だ。ヒットポイントは0だ。
「苗字さんが引き受けてくれないと、俺このまま部員たちをこき下ろして殺しちゃうかも」
「可愛いトーンで恐ろしい事を言う子だね」
「ね、お願い」
私のブレザーの袖をちょんと摘んで上目遣い。やめろ、その顔は私に効く。
男子高校生の甘えた姿に思わず良い返事をしそうになるが、直前に言った殺しちゃう発言を思い出し踏みとどまる。危ないよこの子。
「臨時マネージャーはやらない」
「ちぇ」
「でもこのままなのは困ったね。私はいつもの優しい幸村が好きなのに」
そうして少しの間。
幸村は何か考え込みだしたので、返事が来るまでコートの様子を見る事にした。一見丸井が優勢に思えるが、この調子だとスタミナの差でジャッカルが勝つかもな。
「ねえ、苗字さん」
「はいな」
「俺を口説いてる?」
今度は私が考え込む番だ。
どこをどう解釈したら口説いている事になるのやら。男子高校生というものはいつも突拍子がない。
そもそも口説いてるというならば幸村の方だ。突然ミーティングに参加させられたかと思えば臨時マネージャーをやれだなんて、しかも断れば断るほど周りを巻き込み食らいついてくる。
口説かれてるのは私じゃないか。全く君というやつは。
「口説いているのは君の方でしょう」
たっぷり時間をかけてからそう返せば、幸村はハッとした後にそうかもね、と微笑んだ。
なんて綺麗な笑みなんだ。やはり幸村の微笑みはこの世の物とは思えないほど儚くて美しい。まるでアート作品だ。
「一生懸命な幸村は好きだよ」
「うん」
「でも怖い幸村は嫌」
「うん」
「部員に八つ当たりも良くない」
「うん」
「もちろん物に対してもね」
「うん」
「周りを巻き込んじゃだめだよ」
「うん」
「私も巻き込んじゃだめ」
「う、っ……それは約束できない」
「残念。釣られなかったか」
二人同時にふふ、と笑う。
こうやって穏やかに過ごしているだけならただの可愛い男子高校生だ。結局仁王の言っていた表情は一度も見る事が出来ず、ジャッカルの勝利を見届けてからテニスコートを後にした。
▼▲▼
水曜日、私は屋上へ向かっていた。
まだ誰もいないそこに入り、いつものベンチへ腰掛けて昼食を一口齧る。近くの花壇をぼうっと眺めながら二口目をまた齧ったところで扉が開く音、幸村が入ってきた。
登校してから柳に聞けば幸村の機嫌は元通り、どころか今までにないくらい機嫌が良くなっていたそうで、それはそれは感謝された。テニス部諸君、校外を走らせていた鬼は私が退治しておいたぞ。
幸村と挨拶を交わしてもさもさと昼食を食べ進める。途中幸村が
「ごちそうさまでした」
「ふふ、俺もごちそうさま」
手を合わせてそれぞれお茶を一口。
例によって屋上庭園を彩る草花の話をする。今日は藤がテーマだ。藤棚を作る提案は美化委員の先輩がしただとか、花言葉は"恋に酔う"だとか、
幸村は話し上手で、草花に纏わる話を分かりやすく丁寧に教えてくれるので、私も素直に興味を持って聞けた。この時間が結構好きなので、やはり昨日のお昼休みも嫌がらずに来ればよかったと少し後悔。
関わらないからと露骨に避けるなんて余りにも大人気なさすぎる。テニス部としての彼らと男子高校生としての彼らを割り切れば良い話なのだ。
そして予鈴が鳴る。
いつも幸村を残し私だけ一足先に教室へ戻っていたので、今日も例に漏れず立ち上がりまたね、と挨拶を交わす。
そして扉の前で振り返る。
「幸村、私引き受けるよ」
「――え?それって!」
"いつも通り"、手をヒラヒラと振り屋上を後にした。
鶴岡八幡宮の白い藤棚が好き
20190517 お肉