合宿編01



金曜日、世間は平日。
転入前に行われた関東圏私立校対象の大型模擬試験の振替休日だそうで。普通は日曜日にやるのでは、と柳に疑問をぶつければ、模試には氷帝学園が絡んでいるとか。まあそんな事だろうと思った。

起きたのは午前4時でまだ外は薄暗い。バリスタマシンのスイッチを入れ、コーヒーが出来上がるまでの十数秒で昨日のうちに纏めておいたスポーティーなバックパックの中身をもう一度確認する。よし、忘れ物なし。

顔を洗い髪も整え、軽く化粧を施す。

下地として日焼け止めを塗りベビーパウダーを軽くはたく。足りない眉を書き足し、パールラメの入ったアイシャドウを薄く乗せ、目尻にだけ細くアイラインを入れる。まつ毛はホットビューラーで上げてからブラウンのマスカラを一度塗り、乾かしている間にコーラルピンクのチークを薄く広げて、仕上げに色付きのリップクリーム。

これが登校前にしているいつもの化粧だ。どうせ化粧直しをする暇なんてないだろうから全てを薄く、地味な顔を1ミリだけレベルアップさせる程度の。

朝の準備を済ませてから、この前なんとなく買った女性向け雑誌をバックパックに詰め込んでいざ出発。



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4時40分
正門前に着いた。
真田と柳は既に到着しているようだが、想像通りすぎて大して驚かない。二人と挨拶を交わし残りのメンバーを待つ。

4時45分
幸村と柳生が同時に到着。
今いる五人で、誰が遅刻してくるかの賭けをする。幸村と柳は切原に、真田と柳生は切原・仁王に賭けた。私は遅刻者ゼロに賭ける。
ちなみに真田が怖いので、賭けではなく勝負と言ったら乗ってくれた。

4時51分
丸井とジャッカルが到着。
どうやら心配したジャッカルが早めに家を出て丸井を迎えに行ったらしい。迎えが無ければ怪しかったかもな。

4時56分
仁王が到着。
目を瞑ったまま歩いてきてこれには流石に驚いた。柳生曰く、低血圧で朝が非常に弱いとの事。実は私も。
この時点で真田と柳生は賭けに負ける。

4時59分
遠くから切原が走ってくるのが見えた。頑張れ。
切原に賭けている幸村と柳は驚いていた。そして幸村が呪詛のように転べ転べと言っていて怖い。愛する後輩になんてことを望んでいるんですか。

5時0分
切原到着。


「ふふ、また遅刻かい?」

「え〜!これはセーフっスよ!」

「精市と俺の勝ちか?」


ドヤ顔のお二人。
しかしちょっと待ってほしい。


「柳、今日の集合時間は?」

「5時……ふむ、そうか」


5時までに(・・・)とは一度も言っていない。配られている合同合宿の資料にもそんな文言は一つも見当たらない。つまり、この勝負。


「私の一人勝ち」


言葉の穴だが。
これも大人気ない言動に含まれてしまうだろうか、でも勝ちは勝ちだ。賭けているのが合宿中のご飯の御菜(おかず)なのが男子高校生っぽくていいよね。


「切原、大変よくできました!」

「俺話ついてけてないんスけど、え?これセーフなんスよね?」

「苗字さんに免じて今日は見逃してあげる」


よっしゃー!と喜ぶ切原。
真田は腕を組みながらそれを見守りうんうんと頷いている。子の成長を見守るお父さんか、というツッコミは心の中に留めておこう。



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流石に朝が早かったからかバスの中では瞑想中の真田、読書中の柳と柳生以外はみんな爆睡だった。勿論私も例に漏れず。

到着したのは8時半を回った頃。
ぞろぞろとバスを降りて目に飛び込んできたのは合宿所とは到底思えない建物、まるでホテルだ。それも結婚式や披露宴なんかも出来てしまいそうな格式高いホテル。


「これ本当に合宿所?」

「そっか、苗字さんは初めてだもんね」

「俺も最初はひっくり返るかと思ったぜ」


ジャッカルがひっくり返ったところは少し見てみたい。
ここは今回の合同合宿の主催者が所有している正真正銘の合宿所らしい。主催者ねえ。お察しの通り氷帝の王様(キング)

開会式の9時まではまだ時間があったので、暇そうにしていた切原を連れて少し散策することにした。


「俺ここ来るの二年ぶりだ〜」

「あらどうして?」

「去年は中高合わせての合宿ひとつもなかったんスよ」


そういえば切原は少し前まで中三だったのか……。うわ、考えただけで犯罪臭がする。今彼の隣に立っていて大丈夫か、通報されないか、同じ空気を吸ってたら怒られないか。


「今回も高校生だけ対象だし」


心底不服そうな顔をして言う。
多分自分が一番下っ端なのが気にくわないのだろう。普段からあんなに凄い先輩達に囲まれて、それを中一からやってきたとなるとそりゃそうなるか。たまには後輩いびりたくなっちゃう年頃だよね。


「でも後輩っていいじゃない」

「名前先輩は後輩好きっスか?!」


そういう意味で言ったわけじゃないのだけど、とは今更言えまい。嬉しそうに食い付いてくる切原を見たら、可愛い弟が出来た気分になり頬が緩んだ。
そんな時。


「なんや立海がマネ連れてくるっちゅう話はほんまだったんかいな」

「あ?」


背後からそれはそれはエロティックな声が聞こえてきたので振り向くと、鬱陶しそうな前髪から覗く丸眼鏡。態とらしい関西弁で話しかけて来たのはアダルト代表、忍足侑士。
会話の邪魔をされたのが嫌だったのか切原は機嫌が悪そうだ。


「なんだ忍足さんか」

「なんだとは失礼なやっちゃな」


探るような視線に寒気がする。
気持ちは痛い程に分かるのだけれど、こういった視線は未だに慣れない。他校と言えども数年間共に切磋琢磨してきたテニス仲間達が、突然見知らぬ女を連れてくれば不審に思うのは仕方ない。
しかしそれでも。忍足侑士のそれは全身を隈無く、舐めるように見回してくる。ゾワリ。


「そないに警戒せんといて。えらい別嬪さんや思て、挨拶しにきただけや」

「はあ、どうも」

「うちのマネなんスから手出さないでくださいね!」


警戒しているのモロバレだったか、少し不躾だったかな、と適当に返事をする。切原は先輩行きましょ!と私の手を引いて立海が集まっている方へ歩きだす。
このまま去るのも悪いので、一応小さく会釈をしておいた。



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開会式では参加校の部長挨拶と、監督として来てくれている顧問の紹介、この三日間の簡単なスケジュールなどが発表される。

参加校は我らが立海、主催の跡部率いる氷帝、リョーマを除いた青学、そして何故か三名しか来ていない聖ルドルフ。
豪華だな。

続いてマネージャーの紹介をする、と跡部が言うので促されるまま皆の前に立つ。マネージャーは私を含めた四人。

氷帝の滝萩之介、青学中等部の竜崎桜乃、聖ルドルフの観月はじめ。それぞれ跡部の紹介の後簡単に自己紹介をする。
滝は今回のマネジメントリーダーで、観月は選手兼マネージャーとしての参加、桜乃ちゃんは竜崎スミレ先生にお手伝いとして駆り出されたとか。

三人の紹介が終わり、いよいよ自分の番。
跡部が此方を見る。


「最後に立海のお前、挨拶しろ」

「只今ご紹介に与かりました、立海大附属高等学校二年の苗字名前と申します。未経験の身ではありますが、微力ながら精一杯努めさせていただきます。三日間、どうぞ宜しくお願い申し上げます」


深々とお辞儀をし三拍、そうして頭を上げると唖然とした顔の選手達が目に入る。あれ、これはもしかしてもしかしなくても、うん。やり過ぎたパターンだ。
唯一柳生だけが、素晴らしい挨拶です、と拍手をしてくれた。
でもこれで一応、私を連れて来た幸村の顔は立っただろうから今はそれで良しとする。

ハッと我に返った跡部が開会式を再開させ、我々マネージャーは選手達の列へと戻る。
前の人生で身に染み付いた挨拶だったが、よくよく思い返せば今はただの高校二年生。この合宿中は高校生らしく生活しなくては、と改めて気を引き締めた。

最後は榊太郎の挨拶だ。


「実りある合宿となるよう各自練習に励むように……それでは、行ってよし!」


これを生で聞けただけで、合宿に来た甲斐があったな。


ビジネスマナーを炸裂させて男子高校生たちを困らせていきたい所存
20190518 お肉