自主練でもしているのか、誰かが壁打ち用コートにいるのが見えたので何も考えずに近付いた。
「あれ、君は」
不二周助。
今日の午後練習では彼の肉親と色々あった訳で、こんなにすぐ出会ってしまったかと少し複雑な気持ちになる。
「ごめん邪魔しちゃったね」
「いや、もう切り上げようと思っていたから。君さえ良ければ少し話さない?」
何となく気まずいのでその場を立ち去ろうとするが敢え無く断念。彼は側にあるベンチに腰掛け、隣をトントンと叩く。
座れって事だよね。私にはもう彼等と関わらない選択肢なんてない。
「裕太が世話になったね」
「苗字が同じだと思ってたけど、彼のお兄さんだったんだ」
知っている事に、また知らないフリをする。何度やっても不誠実に悪い事をした気分になってしまい心地が悪い。
「アイツが迷惑掛けていないかい?」
「不二は頑張り屋さんでいい子だよ」
私が彼の弟を不二と呼んだ事への驚きか、今まで優しく閉じられていた瞼が開く。露わになった栗色の瞳にそのまま吸い込まれてしまう気がした。
それくらい彼は驚いていた。
「裕太の事をそう呼ぶ人があまりいないから驚いちゃったな」
「それ不二も言ってた」
そうして目を合わせて、二人でクスクスと笑う。
男子高校生以上に不二周助という男は何を考えているのか理解出来ないが、ただ弟を大切にしている事だけは分かる。
「それで、ボクの事はなんて呼ぶつもりだい?」
「不二のお兄さん」
「フフフ、君は不思議な子だね」
ここ最近言われ慣れた不思議という言葉が少しむず痒い気持ちにさせる。私からすれば彼等の方が不思議だ。あの有り得ないテニスは何なのだと言いたくなる。
結局呼び名の事は解決しないまま、不二の様子を見に来た手塚により会話は途切れた。
「そろそろ夕食の時間だ、戻れ」
「手塚、わざわざ悪いね」
「じゃあ私はお先に――」
手塚がわざわざ来たのだから、きっと不二に言いたい事でもあったのだろう。邪魔してはいけないと立ち去ろうとするが、手塚に呼び止められる。
そのまま何故か三人で合宿所へ戻る事になった。
「お前がDチームのメニューを考えたと大石から聞いた。それに良く働いていると他の部員達からの評判も良い」
「そういえば英二も世話になったとか」
「二人ともやめてよ、ただ与えられた仕事をしただけだから」
「そう謙遜するな」
どうやら手塚は評価してくれているようだ。部長格に褒められるのは素直に嬉しいが、これに付け上がってはいけないと緩みそうになる頬を無理やり正す。
それにしても手塚という男は、どうやっても男子高校生には見えないな、なんて失礼な事をぼんやり思っていた時だった。
いつの間にか合宿所の入り口まで辿り着いたが、そこで待ち受けていた観月が冷たい目をして言った。
「立海だけに留まらず、今度は青学もですか」
「何が言いたいんだい」
「うちの裕太君まで誑かしてくれたようで」
不二がそんな事を言っていたなと思い出す。彼に私の事を用心しろと言った張本人だ、ヒシヒシと感じる猜疑の目になるほどなと思った。
それにしてもやっぱり不二のお兄さんと観月は馬が合わなそうだな。彼等の間にバチバチと見えない火花が散っているようだ。
「お兄さん、大丈夫だよ」
「随分と余裕そうですね」
「観月、やめないか」
「手塚も大丈夫だから」
何故か庇おうとしてくれる二人には申し訳ないが先に戻るように伝える。納得していなさそうだったけど巻き込む訳にはいかないので無理やりにでもお帰り頂いた。
観月と二人で話をしようと今日何度目かのランドリーへ歩き出せば、彼も黙って付いてきた。
▼▲▼
「こんなところまで連れてきて、色仕掛けでもする気ですか?」
「君達相手に色なんか掛けないよ」
観月は警戒しているのかランドリーの入り口に立ったままだが、私は気にせずベンチに腰掛ける。
しかし色仕掛けとな。いくら
「疑うのは結構、でも他の人は巻き込まないで欲しい」
「なるほど今度は点数稼ぎですか」
相変わらず冷たい目をしたまま、その癖掛かった髪を一房クルリと指に巻きつけた。絵になるなあ、なんて場違いな考えを急いで引っ込める。
「ただの臨時マネージャーだよ。居たくてここに居るわけじゃない」
「ええ聞いています。それでもあの立海が女性を連れてくる事が如何にイレギュラーであるか」
「そんなの知らないよ」
少しぞんざいな態度を取ってしまうのは許して欲しい。
でも私だって来なくて済むなら来たくなかった。そりゃ来て良かったなと思える事柄もあったが、そもそも他人のお世話というのは疲れるし、ずっと知らないフリを続けなければいけなくて気が張っていた。
「一体どうやって手懐けたんです?納得のいく答えでお願いしますよ」
ああ、これは面倒臭い。
仁王や忍足に似たような事を聞かれたが、同じ様に答えても観月が納得するとは到底思えなかった。
ううん、これは。
「面倒臭い……」
「おや?答えたくないのですか」
「んー、なんていうか、ごめん」
「謝罪が欲しいわけでは――」
「ちょっと休憩」
観月の言葉を遮って、ゴロンとベンチに横になった。
「ねえ観月」
「なんですか。貴女が何をしたいのかさっぱり分かりません」
「お腹空いたねぇ」
お腹が空いてきたから素直にそう言えば、返ってきたのは大きな溜め息。
「よくマイペースだと言われませんか?」
「うーん、最近やたらと不思議ちゃん扱いはされる」
そんな事ないのにね、と言っても観月は何も言わなかった。
もう面倒臭いしこの件は保留だ、そんな事より夕食だ。そう思ってランドリーから出ようとするが、相変わらず入り口に立ったままの観月が邪魔をするので出られない。
「観月、夕食の時間だよ」
「言われなくても分かってます」
それでもその場から動こうとしないので首を傾げる。何か考え事でもしているのだろうか、男子高校生のよく分からない言動シリーズがここでもか。
それでも待っている。と。
「……なんだか貴女の事を考えるのが馬鹿らしくなってきました」
「うん、その時間をテニスに費やした方が絶対有意義」
「そうですね、時間の無駄でした」
そう言ってランドリーから出て行った。なんだったんだ一体。私がそのまま立ち尽くしていると観月が足早に戻ってきた。
「何ボケっとしているんです、夕飯に間に合わなくなりますよ」
「あ、はい」
不器用な彼に頬が緩んだ。
次回やっと立海
20190521 お肉