転入編04



先のコンビニで買い込んだ物をリビングでもさもさと食べ、空腹で気持ち悪かった胃が落ち着いたところで私は寝室の隣に位置する部屋へ向かう。パソコンや本棚、勉強机、それとは別に広いテーブルがあるから勉強や趣味の部屋にあたるのだろうか。

まずはこのぐちゃぐちゃになった脳内を整理する為に勉強机にしまいこんである新品のルーズリーフとボールペンを取り出す。あ、このボールペン私が仕事で愛用していたやつだ。

今日感じたことや気付いた点、違和感などとにかくルーズリーフいっぱいになるくらい書き込んだ。書いた文字を最初から読み返し、酷く気分が悪くなる。そして思うのだ。


(これは本当に夢、なの……?)


この部屋の隅にあるシュレッダーを見遣る。プラスチックの容器に溜まった細切れの紙くず、あの手紙、ああ、目眩がする。

これが夢ではないことになんて、最初から気づいていたんだ。



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整理するとこうだ。
ここは越前リョーマを主人公に据えるテニスの王子様の世界、しかし手紙の主の言うとおり少し違う世界のようだ。
今日出会ったあの三人は本来中学生だったはずだ。それがどうだろう、彼らは確かに高校生と言っていた。だから時間軸が少しズレているのは間違いなかった。未確認事項として原作の未来であるかは不明。

そして自分は若返って、高校二年生として今日から寿命が尽きるまで、この世界で生きていかなければならないのだ。
何度頬をつねろうが痛かった。ベランダから飛び降りようとしたら足が竦んだ。風が冷たかった。目から零れた涙は暖かかった。生きていた。
あの三人も、生きていた。


(とんでもないことになったなぁ)


本当なら冷静でいられるはずがないけど、私の気持ちとは裏腹にこの高校二年生の身体と精神は随分強く、事実を受け入れている。

既に一度高校生やっているんだ、何をビビっている、もう一度やればいい。普通に進学して普通に就職して、夢の外、いや、元人生と同じように普通に生きていけばいいんだ。

正直考えてもキャパオーバーだった。
醒めない夢、という非現実的な現実を受け止めなければどうにかなってしまいそうで、余計なことは考えないようにいつもより幾分か熱いシャワーを浴びた。もしかしたら朝はいつもの日常かもしれない、と1ミリの期待を抱いてベッドに入れば、疲れていたのかすぐに睡魔がやってきてそのまま意識を手放した。



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起きたら広くて綺麗な部屋で、もう諦めたので素直に学校へ向かい昨日会話した先生に連れられ今は2-Cの教室前。これから朝のSHRだ。

もう割り切ろう。私は大人だ。大人だから受け入れよう。いつまでもウジウジ悩んでいたって仕方がないのだ。新しい人生を与えてもらったのだ。

程なくして先生に呼ばれる。よくある転校生らしい挨拶をして、言われたまま窓側最後尾の席へ座る。転生特典か転校生特典か、所謂特等席ってやつだ。

朝のSHRが終わり一限までの空き時間で教室内の生徒たち(主に女の子)がドッと集まり質問攻め。冷静にこなすがさすが女子高生、エネルギッシュでパワフルで少し気圧されした。予鈴が鳴りまた後でね!と自席へ戻っていくクラスメイト達を見送ったところで隣から視線を感じる。


「初めまして苗字さん」


柳蓮二。
キリリとした表情で挨拶をされる。

確かにここは私のよく知る世界であるし、もしかしたら生であの超次元テニスが見られるかもなんて考えていたけれど、正直なところ関わる気まではなかった。昨日の三人もあの場のノリでもう会うことはないのだろうな、くらいには思っていたのだ。
それがまさか、隣の席とは。


「柳蓮二だ。隣の席なのも何かの縁だろう、困った事があれば気軽に聞いてくれ」

「苗字です、どうも」


想像してたよりもずっと優しそうで、面倒見も良さそうだ。それにこの世界の王子様たちの中でもとりわけ柳蓮二は落ち着いていて大人っぽい。クラスメイトとしては頼る機会があるかもしれない。

そうして四限目まで難なく学業をこなす。休み時間はクラスメイトが代わるがわる挨拶や質問などをしてくるので"休めない時間"ではあったが、久しぶりに味わう学生生活に充実感を得た。

お昼は昨日コンビニで買った物があるが、このまま教室にいると流石に気持ちが休まらないので、一緒に食べようと誘ってくれた女の子達をやんわりと断り教室を出る。もちろん向かうは屋上だ。

小学生の時は屋上へ入れたが、その後中学高校と屋上へ入ることはなかった。禁じられていた訳ではなかっただろうが鍵が掛かっていて入れなかったのだ。しかし学生といえば青春、青春といえば屋上だろう。

昨晩転入の手引きついでに校内図も頭に叩き込んだので屋上まではすんなりこれた。問題は入れるか、だが。


(お、開いた)


カチャリと小気味のいい音をたてながらドアが開く。
そして目に飛び込んできたのは、緑。

まるで学校の屋上とは思えないほど整備されている。煉瓦で整えられた道、脇には人工芝、そのさらに外側は季節の花々が植えられていて、所々に形の良い植木やアーチ。まるでどこかの大きな庭園だ。

随所にベンチやパラソル付きのテーブルが置いてあり、お昼を食べるにはもってこいの場所である。立海の生徒はここで青春するのだろうか。


「君、誰?」


適当なベンチに腰をかけ、コンビニ産の昼食を一口かじったところで不意に声を掛けられる。綺麗に咲いている花々に意識を取られていたせいか、屋上に人が入って来たことに気がつかなかった。
それにしても第一声が誰とは失礼だな、誰でもいいじゃないか。声の方に視線をやり、失礼と思ったことを後悔する。


「ねえここ、あまり勝手に立ち入って欲しくないんだけど」


なるほど、そうでしたか。
声の主は癖がかった藍色の髪を揺らし、フサフサの睫毛に縁取られたガラス細工のような瞳を鋭く光らせた、神の子。
整った顔立ちと中性的な声だけ見れば本物の王子様のようだ。ただ一つ、その瞳だけは威圧感で溢れている。これが王者立海を纏めていた部長か。


「立ち入り禁止でした?」


口の中に残る昼食をもぐもぐとゆっくり咀嚼してから飲み込み、当たり障りなく敬語で返せば神の子はほんの少し目を見開いて首をかしげた。


20190511 お肉