一晩ぐっすり眠れば肉体的な疲労はほとんど取れていて、改めて十代の肉体は凄いと思う。しかし知らないフリを続け、余計なことを口走らないように気を張り続けていた為、やはり精神的疲労は完全に取れていない。そんな中、さらに私の精神を追い詰める事案が一つ。
「どういう事かちゃんと説明しろよ」
目の前で、可愛らしく着飾った女の子が苛立ちを隠さないまま口悪く捲し立てる。上履きのカラーは三年生である事を意味している。
つまるところ、先輩からの呼び出しである。
「なんであんたがブン太といんだよ」
「ですから、先ほどもご説明した通り――」
「口答えすんな!」
ドン、と肩を押された。
ど突かれても相手は女の子なので踏みとどまれる程度だが、何を言っても彼女の怒りは収まりそうにない。これは困った。
全ての原因は今朝まで遡る。
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合宿中は少しの寝不足が続いたせいか、普段より十数分ほど遅く起床する。いつもコンビニに立ち寄り昼食を買ってから登校する為、いくら学校まで徒歩5分の距離と言えど流石に焦る。
そうして家を出る頃にはいつもよりほんの数分遅いだけの時間だったので、これなら遅刻はしないだろうと悠長にコンビニで昼食を選んでいた。
「あ、名前じゃん」
今日の昼食を決めてそれを手にしたところで、隣からグリーンアップルの香りと共に聞き馴染みのある声が聞こえた。
おはようと挨拶を交わし、買い物を済ませて二人でコンビニを出る。
「俺いっつもあっちのコンビニ使うんだけどさ」
歩き始めてすぐ、丸井はそう切り出す。
「今日は名前いねぇかなーってこっち来たんだよ。そしたら本当にいたから驚いたぜ」
「ふふ、そんなに私に会いたかった?」
「――は?あ、うん、そうだな」
茶化してみれば肯定されて、少しドキリとする。
"私に会いたかった"らしい丸井は、「そっか俺会いたかったのか」なんて呟いている。自覚なしに行動してしまうところが彼らしくて、そしてそんな可愛らしい男子高校生に心を揺さぶられる。
会いたくていつもと違うコンビニ来ちゃうとか、一体私をどうしたいんだ。そんなの余りにも可愛すぎる。本人はそんな事知らないだろうが、大人を揶揄うもんじゃない。
そのままあーとかうーとか唸る丸井と一緒に登校すれば、やはり昇降口付近で周囲の視線が痛いほど突き刺さる。分かってはいたが、顔の整った目立つ赤髪と一緒にいれば、そりゃそうなるか。
「ブン太くん彼女と別れたの?!」
ローファーから上履きに履き替えたところで、そんな声が聞こえてきた。2-Bの下駄箱はすぐ隣だから、驚いて横を向くと丸井と目が合った。
「丸井、彼女いたの?」
「あー、まあ一応な」
そこで私の思考は一度シャットダウンする。
……いやいや、冷静に考えよう。友達(だよね?)とは言え恋人がいる男の子が他の女の子と登校するのは良くないだろう。いやそれ以前にだ、LINEのやり取りだって、彼女からしてみたら不安要素の一つになり得る。
いくら"紙面上創作物"としての彼を知っていたとしてもここはパラレルだし、今まさに彼は生きている。
顔の良い年頃の男の子だ、恋人の一人くらいいるだろう。それを思いつかなかった自分に腹が立ってきた。と同時に、何故教えてくれなかったのかと丸井に抗議の声を上げる。
「せめてその情報は教えて欲しかったよ……」
「は、わざわざ言う必要なくね?」
なんで?と首を傾げる丸井に思わず溜め息が出る。これは重症だ、女心がまるで分かっちゃいない。
「ちょっともう、ああ」
「なに唸ってんだよぃ。早く教室いこうぜ」
急かす丸井に「先に行ってて下さい」とワントーン落とした声で言えば、「意味わかんねー」と言いながら不機嫌そうに階段を登って行った。
意味がわからないのは君の方だよ、と彼の後姿を眺めながら心の中で悪態をついた。
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そして冒頭に戻るのである。
「先輩、話を聞いてください」
「うっさいな!言い訳すんじゃねーよ!」
昼休みが始まり、いつものように屋上へ行こうと教室を出てすぐに、今目の前にいる女の子に呼び止められたのだ。「あんたが苗字名前だよね?ちょっと来て」と後ろを着いて行けば、辿り着いたのはB棟の裏手、所謂"校舎裏"というやつである。
「人の彼氏に色目使うとか信じらんない」
未だ怒りが収まらない先輩は、ここに到着してからずっとこんな調子で私にその怒りをぶつけてくる。ああ、不運だ。
丸井の恋人であるこの人は、私の話を全て"言い訳"、"口答え"と一蹴する。彼に恋人がいる事を知らなかったとは言え、一緒に登校してきた私にも非があるので無碍にもできない。
これでは昼休みが終わってしまう、困ったなぁ、とぼんやり思い始めた時だった。彼女が右手を振りかぶるのが見えて、これは叩かれるのだな、と覚悟を決めて瞼を閉じた。
しかしいつまで待てど痛みはやって来ず、ゆっくりと瞼を開くと、目の前の彼女は私の後方を見つめ固まっていた。右手を振りかぶったままなのが少しおかしく思えて、笑いそうになるのを頬の内側を噛み締めてグッと堪える。
「――ブン、太」
彼女がポツリと呟くと、背後から「よう」と今朝聞いたばかりの声が聞こえた。
「そんなとこで何してるワケ?」
「え、と」
「お前女に手上げるタイプだったの?」
「ちが――」
先輩に対してタメ口なのは恋人同士だからだろうか、それでも丸井の声色がいつもより数段低く機嫌が悪いのだと窺えた。
私は振り向いて口を開く。
「丸井こそこんなところでどうしたの」
「柳に言われて来たんだよぃ」
私が先輩に連れて行かれたのを見た柳が丸井に伝えたのだろう。データマンの彼ならチームメイトの恋人も把握しているだろうし、どこに連れて行かれたのかも検討が付いていそうだ。あのお節介焼きめ。
「私は先輩とお話ししていただけだから」
「はぁ?どう見ても叩かれそうだっただろ」
私の所為で一つのカップルが険悪になってしまうのが嫌で彼女を庇えば、そう返されて言葉が詰まる。そうです、今まさに叩かれようとしてました。
それでも、彼女が不憫に思えた。
「先輩、すみませんでした。もう必要以上に近づかないので許してほしいです」
私は先輩に向き直り頭を下げた。
丸井が登場してからずっと硬直していた先輩はハッと我に返る。確実に私にも非があったし、彼女は丸井が好きだからこそこうして当たってきたのだ。人の恋路を邪魔するやつは何とやら、だ。
「うん……あたしも、ごめん」
先輩の言葉に嬉しくなる。
ありがとうとごめんなさいをきちんと言える人間に悪い人はいないのだ。彼女もいきなり呼び出した事と手を上げようとした事を謝罪してくれた、それだけで私は満足できた。
「丸井、そういう事だから」
このままでは本当に昼食にありつけなくなりそうなので、私は先輩にもう一度お辞儀をしてから足早にその場を立ち去った。後ろから丸井が何か言ってきたが一度も振り返らなかった。
一階から屋上まで階段を登る元気もなく、大人しく教室に戻り昼食を食べだすと、予想通り柳が話しかけてくる。
「大丈夫だったか」
「君のお節介のお陰で私は大丈夫」
"私は"と強調して言えば、「何がそんなに不満だ」と少しだけムッとして返してくる。
何が不満と聞かれれば、丸井の思わぬ登場であのカップルにヒビが入ってしまった事である。叩かれるのは趣味じゃないにしろ、素直に謝ってくれた先輩の事だから、話さえ聞いてくれれば誤解も解けた筈なのだ。
「ごめんね柳」
「今度はどうした、忙しい奴だな」
「君に八つ当たりしました」
それでも一発貰わずに済んだのは柳のお陰。ありがとう、と言えば今度は少しだけ驚いた後「どういたしまして」と微笑まれる。
五限の予鈴が鳴り、柳との会話も一区切りつく。
切原に今日の放課後は空けておくように言われているので、それについて連絡する為にスマートフォンを取り出せば、柳もそれ以上話しかけてくる事はなかった。
ご安心ください。逆ハーです。
20190701 お肉