日常編05



もうすぐ梅雨入り。
いつものように昼食をとろうと屋上へと足を運ぶが、最近気温が上がってきている上に今日はいつにも増して湿度が高く、太陽に近いこの屋上は酷く暑く感じる。その燦々と降り注ぐ初夏の日差しから逃げるようにパラソル付きのテーブルへと避難し、コンビニ産の昼食を取り出したところで幸村も屋上へやってきた。


「やあ苗字さん。今日は暑いね」

「どうも。梅雨すっ飛ばして夏が来ちゃいそうね」


二人して「いただきます」と手を合わせ昼食を口に運ぶ。
梅雨入りで雨が降ったり、本格的に暑くなってきてしまったら、こうやって屋上でランチタイムを楽しむことも無くなってしまうのだな、と思うと少しの寂しさが襲ってくる。


「幸村は今までどこでお昼食べてたの?」


お互い食べ終えた頃にふと浮かんだ疑問をぶつける。
普段この時間は草花の話ばかりであまりお互いの話をしないせいか、幸村は暫しキョトンとした後にふんわりと笑って口を開いた。


「なあに、俺のこと気になる?」

「うん。気になるから教えて」


素直に返せば「つまんないの」と口を尖らせた。


「だってこれからの季節、屋上は厳しいでしょう」

「まあね。俺はいつも教室で、一人になりたい時だけここへ来てたんだ」

「そう……」


初対面の時、それはもう威圧感マシマシで話しかけてきたことを思い出して少し笑えば、彼も同じなのかくすりと笑った。


「また涼しくなるまでは苗字さんとお昼食べられないのかぁ」

「なんだか寂しくなるね」

「……そんなこと言われたら俺期待しちゃうよ?」

「あ、ごめんそうじゃなくて」


まるで幸村とずっと一緒にいたい、とも取れる言い方だっただろうか。可愛い男子高校生を誑かすようなつもりは全くないが、もしも私の実年齢を知る者が見たら通報モノだ。


「ねえ、今度デートしない?」


少し考え込んだ後、彼はそう言った。
なんの脈絡もないのはもう男子高校生たちのデフォルトであるから私も気にしなくなっていて、二つ返事で了承した。



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その週の日曜日、部活が午前中しかないとの事で午後からデートの約束をしていた。
力の入っているあの立海テニス部が午前練習だけであることに違和感を覚え、それとなく柳に探りを入れてみれば「珍しく午前練習のみに変更になった」との事。
……幸村精市という男は職権乱用することになんの罪悪感も湧かないようだ。


「ごめん苗字さん、待たせちゃったね」

「いいえ」


デートの約束を取り付けられたあの日よりも随分と涼しい今日、私は待ち合わせ時間の30分程前から待機していた。というのも、幸村はそのルックスからよく逆ナンパされると聞いていたので心配になったのだ。
ただの逆ナンならば私もここまでしていないだろうが、彼は男の子にしては美しすぎた。逆ナンの相手におじさんと呼ばれる程の年齢の男が含まれているだなんて聞いてしまえば、大人として彼を守ってやる他ない。
未成年淫行、ダメ。絶対。


「少し歩くけど平気?」

「どこでもお伴しますよ王子様」


私の茶化した返事に少しだけ不満そうな顔をした後、それじゃあ行こうかなんて手を差し出されるものだから思わず身体が硬直してしまう。


「お姫様をエスコートするのが王子の役目だろう?」


そう悪戯っぽく笑う"王子様"に差し出された手を素直に取ってしまってから、しまったと思った時にはもう遅く、仕返しとばかりにガシリと強く握られた手に私は抗う術など持たない。
下手に揶揄うんじゃなかった。

駅から40分程歩いた頃だろうか。
彼が「ここだよ」と足を止めたのはどこかのお寺の門前で、三解脱門(さんげだつもん)と呼ぶには些か小ぶりなそれを囲うように生えている木々からは、柔らかな木漏れ日が差していて涼しげな印象である。


「ここの竹林を君に見せたくて」


そういえば、前の人生で"鎌倉にオススメの竹林スポットがある"なんて誰かから聞いた覚えがあるような気がする。
名を報国寺(ほうこくじ)というこのお寺は、確かに幸村が人を連れて来たくなる程素晴らしい場所だった。


「なんだか浮世離れしてる」

「俺からすれば苗字さんだって浮世離れしてるよ」


青々とした竹林の合間を縫うように整えられた小道を二人で歩きながら呟けば、思ってもいない返しに今日二度目の身体の硬直。
この世界の王子様たちから今まで散々不思議ちゃん扱いをされてきた訳だが、やはり私はこの世界から浮いた存在なのだろうか。この余りにも美しすぎる竹林の中で、一瞬私だけが世界に取り残された気分になった。


「……さん、苗字さん!」

「え、ああ、ごめん」


どうやらぼうっとしていたらしい。
サワサワと聞こえる竹と風の音にハッと意識を取り戻すと、緑を背景に心配そうにこちらを窺う幸村がいた。彼を安心させる為に曖昧に笑って見せたが、今自分がきちんと笑えているのか分からなかった。


「歩かせすぎちゃったかな。あっちで休憩できるから行こうか」


彼はそう言って強引に私の手を引き歩き出した。
全く、男子高校生に心配させた挙句気を使わせるだなんて、本当に情けなくなる。その情けなさのままもう一度ごめんと謝れば、彼は少し振り向いて困ったように笑うだけだった。



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「報国寺、素敵な場所でした」

「それは良かった」


報国寺の中にひっそりと佇む茶屋で、竹林と小さな滝を眺めながら飲むお茶は格別だった。人の良さそうな笑みで()てたばかりのお茶を手渡してくれた店員のおばさんに「デートですか?」なんて言われて内心照れたのは幸村には内緒だ。

まったりと楽しんだ後は、鎌倉駅に続く小町通りのお土産屋さんを冷やかしながら、抹茶のアイスを食べ歩いたりなどした。
辺りが薄暗くなるにつれ、段々と空気が湿り気を帯びてきている事に気付き、そろそろ帰ろうかと歩く速度を速める。その道中に改めて報国寺の感想を零せば、それはそれは満足そうに幸村が笑った。


「俺は君の王子様になれるかな」


本日三度目の身体の硬直。
ピタリと足を止めた私に、彼はなんでもなさそうな顔をして振り返る。いつだったか彼に、「男としてみてよ」なんて言われて抱きしめられた記憶が鮮明に思い出された。あの時は"またいつもの男子高校生の戯れか"なんて軽く受け流していたけれど、大人の癖に上手くあしらえていなかったらしい。


「幸村は王子様だよ」


私が曖昧に受け流すせいで彼の心に火を点けてしまったのだ。まだ間に合うだろうかと、暗に"私だけの王子様じゃない"と答える。
確かに最近の私は紙面上創作物と生身の彼らを割り切りつつあった、けれど。それ以上に彼らに嘘をつき続けているという事実が執拗に私に纏わりつく。大人と子供、一線を越える事は許されない。


「苗字さんはいつもそうやって誤魔化すんだ」

「そんなこと――」


そんなことない、と言おうとした刹那、私の頬にポタリと冷たい何かが触れた。
そうしてポツポツという音と共に地面が濃い色へと変化していく。雨だ、とどちらともでもない声が響いてから、幸村と顔を見合わせた後駅へと走り出す。


「あーあ、降られちゃった」


近くのコンビニでビニール傘を購入し、改めて二人で駅へと向かう途中、幸村は彼の傘の中で空を恨めしげに睨みながらポツリと零す。彼の言葉が雨に対する事なのか、はたまた別の事を指すのかは分からなかった。ダブルミーニングでないことを密かに祈る。
傘の分二人の間に絶妙な距離があって、そのもどかしい距離感がまるで今の私達の心の距離のように感じてしまう。


「この分じゃ明日も雨ね」

「なんでそんなに嬉しそうなのさ」


そう言われてハッと気付く。
多分私はこの傘の距離感に酷く安心しているのだと思う。彼らと近付けば近付くほど、前の人生で創作物として彼らを見ていた時よりももっともっと好きになってしまいそうだから。
誰にも打ち明けられない私だけの秘密が、不誠実に彼らに嘘をついているという罪悪感へ変わり、その黒いモヤモヤがいつも私の心を支配している。


「雨は心のシャワーだよ」

「……苗字さんってやっぱり不思議だね」


幸村の口からしみじみと発せられた言葉は、私の耳には入らなかった。


旬が過ぎてから言うのもなんですが、報国寺の竹林は本当に素敵なので是非一度行ってみてください。
20190708 お肉