日常編06



幸村とのデートの日から毎日シトシトと降り続ける雨にいい加減うんざりしてきた今日この頃。そんなに顕著でないにしても、低気圧の影響か頭を金槌で打ちつけられるような痛みに思わず顔を顰める。


「どうした苗字、気分が悪いのか」


二限が終わり、襲い来る頭痛を静かに耐え忍んでいると、隣から不安そうな柳の声が聞こえた。


「ちょっと頭痛。気圧のせいだと思う」


こういうのは頭痛薬を飲んで小一時間横になっていれば良くなることが多いのだが。私の頭痛など露ほども知らないクラスメイト達は休み時間だから話に花を咲かせていて、その喧騒が一々頭に響く。
見兼ねたのだろう柳は私の背中にそっと手を添えた。その手は大きく暖かくて、優しく撫でられると酷く心地が良い。


「先生には俺から伝えておくから保健室で少し休んでくるといい」

「数学は皆勤狙ってるから」

「……抱えて連れていってもいいが?」


人生二周目にしても数字の羅列というのは理解するのに少し時間がかかるし、大人達に散々言われてきた「後悔するから学生のうちは真面目に勉強した方がいい」という言葉を大人になってから理解したので(まさに身を以て後悔した)、なるべく授業には出ておきたいのだ。
しかしやはりこの男は見逃してくれないらしい。態とらしく大きく溜め息を吐いた後、抱えて連れていく、だなんて物騒な事を口にするから、大人しく礼を言い保健室へと足を運んだ。



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重たい足取りで保健室に辿り着き、ドアを優しくノックをするがなんの反応も返ってこない。養護教諭は不在だろうか、と首を傾げつつ「失礼します」と声を掛けてドアを開けるが、中はやはり無人のようだった。

入室ボードに必要事項を記入してから、備え付けられた水道に向かう。近くのコップに適当に水を入れ、教室を出てくる際にスクールバッグから持ち出してきたバファリンを2錠グッと飲み込んだ。

"眠くなる成分は入っていない"と謳い文句が書かれたパッケージを眺めるが、プラシーボ効果というやつなのか、薬を飲んだら眠くなるという方程式が身体に染み付いているのだろう。段々と頭がぼうっとしてくるので、ふらふらと覚束無い足取りで保健室のベッドへとダイブした。

目を閉じて、今まさに夢の中へ旅立とうとした時、ガララとドアが開く音がしてハッと意識が覚醒する。あともう少しだったのに、フワフワとした気持ちよさを邪魔された気分になって、ベッドの中で小さく溜め息を吐く。


「誰も……いない」


入ってきたのは養護教諭ではなかったらしく、消え入りそうな誰かの声が聞こえてくる。少し掠れた低めの声で、男子生徒なのだと窺えた。
そのまま様子を探っていればペタペタと足音が聞こえてきて、それが徐々に大きくなってきて、あっと思ったのとシャッとカーテンが開けられたのは同時だった。


「――うわっ」

「なんだ仁王だったのね」


仁王が短く驚きの声を挙げていて、普段騙す側の彼が吃驚している様子が面白くて笑いそうになるのを必死で(こら)える。
彼はすまなそうな顔をしているように見えた。


「またサボり?」

「まあ、そんなとこじゃ」


少し覇気がないのが気になって軽口を叩いてみるものの、彼はフイと顔を逸らして雑に返すだけだった。普段の彼を良く知らないが、飄々としている彼の事だから探られるのが嫌なのかも知れない。
そのままカーテンをぞんざいに閉めたと思ったら、隣のベッドからギシリとスプリングの軋む音が聞こえた。


「ほどほどにね」


隣に聞こえるように言ってみたが、返ってきたのは衣擦れの音だけだった。



▼▲▼





微睡みの中でぼんやりと意識を浮上させる。
私を苦しめていた頭の痛みはもうどこかへ行ってしまったようで、ポケットの中にあるバファリンの箱を褒めてやるようにそっと撫でる。
むくりと上体を起こしてスマートフォンの時計を確認すれば、もうすぐ三限が終わる時間だったので、そのままベッドから降りて上履きを履く。


(あ、そういえば)


カーテンを開ける前に、ふと隣のベッドでサボっている筈の仁王の存在を思い出す。そうして耳を澄ませてみれば微かに聞こえるのは唸り声。
何故……?


「仁王?」


控えめにカーテン越しに声を掛けてみても返ってくるのは唸り声だけで、流石に心配になって「開けるよ」と断りを入れてから恐る恐るカーテンを開いた。

目に入ってきたのは眉間に何本もの皺を作った真っ青な仁王の顔で、瞬時に体調が優れていないのだと分かる。


「大丈夫?どこか痛む?」


掛け布団越しにそっと胸の辺りを撫でてやりながら声を掛けてみても、ぎゅっと辛そうに閉じられた瞼が開くことはない。寝ているのだろうか、何か悪い夢でも見ているだけならいいのだが。それでも止まらぬ唸り声が、その可能性を否定した。
居ても立っても居られずに、撫でていた手を止めトントンと軽く叩くと、彼の瞼が薄っすらと開かれる。


「苗字、さん……?」

「仁王平気?つらい?」


掠れた声で私を呼ぶが、寝起きのせいか焦点が定まっていないようだった。虚ろな瞳をゆるゆると彷徨わせていて、いつか見た彼のキラキラの琥珀とは掛け離れたそれに酷く不安を覚える。
彼は瞬きを緩慢に繰り返した後、顔を顰めたまま口を開いた。


「ああ、ちょっと、頭が痛くての」

「薬は?」

「先生おらんけ、飲んどらん」


ポツリポツリと単語を区切りながら喋り出す彼に合わせて、私もなるべくゆっくりと返す。


「バファリンしかないけど飲む?」


ポケットの中から、お世話になったばかりのバファリンを取り出して見せれば、彼はそれをぼんやりと眺めるだけだった。
黙っているので勝手に肯定と捉えて、水道まで行きコップに水を入れてからまた彼のいるベッドへと戻る。


「はい。一回2錠ね」


私が戻っても尚ぼんやりしたままだったので、ベッド脇のサイドテーブルに水と薬を置いてからもう一度彼を見る。


「お大事にしてね」


彼が保健室に入ってきた時にもっとちゃんと確認してやれば良かった。大体仁王の事だから、サボるのにわざわざ養護教諭がいる可能性のある保健室に来ることはないだろう。気付けなかった自分に腹が立つ。

いつまでも側にいては気が休まらないだろう、とカーテンに手を掛けてそれを閉めようとした時、彼の口元が僅かに動いていた気がしたが、ちょうど良く鳴り響いた三限の予鈴に掻き消されてしまい分からなかった。


ロキソニン派です
20190708 お肉