日常編09




「――切原と喧嘩?」

「俺は悪くねーからな。あいつが悪い」


相変わらず雨が続いている。
立海テニス部は屋内でトレーニングメニューをこなしていたそうなのだが、今日はこれから更に雨脚が強まるとかでどこの部活動も中止になったらしい。と、そんな情報を綴ったメッセージが丸井から送られてきたので、雨にも負けず久しぶりにチーム青春で寄り道しようと相成った。筈なのだけれど。


「原因はなんなの?」


放課後教室で待っていろと言われたので、大人しく待っていれば現れたのはプラチナペアの二人だけ。切原を待たずに帰ろうとするものだから理由を問えば、丸井と切原が喧嘩した、と。


「名前には関係ねーだろぃ」

「おいブン太」


もうクラスメイト達は下校してしまい、C組の教室には私たちの声と雨音だけが木霊する。
丸井は柳の机の上に腰掛けていて――お行儀が悪いが今注意すると機嫌を損ねそうなので言わない――切原との喧嘩を思い出したのかさっき舐め始めたばかりの飴をガリっと噛む音がした。


「理由くらい話してくれてもいいじゃない」


丸井は私の言葉をスルーしてガリガリと飴を噛み砕き「もう帰ろうぜ」と私の手からスクールバッグを引っ手繰った。思わずジャッカルの方を見れば彼とパチリと目が合って、互いに肩を竦めてから教室を出て行く丸井の背中を追った。


「あー雨うぜー」

「丸井は癖っ毛だから大変そうね」

「ジャッカルだけずりぃよな」

「ブン太も坊主にしようぜ」


三つの傘が並んだ帰り道。本当ならばこれが四つだったのだろうか、と居ない切原を思い浮かべる。
丸井とジャッカルは至極普段通りで、男子高校生にとって喧嘩というのは日常に過ぎないのか、私だけが気にしすぎているのだろうか、なんてグルグルと思考を巡らせていればあっという間にいつものコンビニ前に着いてしまう。


「名前じゃあなー!」

「気をつけて帰れよ」

「うん。二人ともまたね」


買い食いをするのだろうか、二人が傘を畳んでコンビニへ入っていくのを見届けてから、ここから1分もしない自宅へと足を進めた。

帰宅してすぐに切原へメッセージを送ってみたが、月が昇ってからも、太陽が顔を出してからも、既読を知らせる文字が表示されることは無かった。



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翌日の放課後を迎えても相変わらず切原は音沙汰なく、かと言って休み時間に一年生の教室に行くのもなんだか気が引けてしまって、結局何もできないまま一人下校していた時だった。
目の前を走るバスを見て、ハッと思いつく。


「――やっぱりここにいた」


少し前に彼に連れてこられた"ホーム"に足を運べば、やはり彼はそこにいた。お気に入りだと言っていた筐体で一人きり、データを相手に闘う切原の肩をポンと叩くと分かりやすく全身を跳ねさせた。


「え、え?先輩?!」

「雨だから人いないねぇ」

「そうなんスよ、対戦相手いないんス……ってチゲー!なんで名前先輩がこんなとこいんスか!」


こちらに振り返ったと思えば忙しなく目を白黒させる切原に何てことないように返せば、面白いくらい綺麗なノリツッコミが返ってきてくすりと笑う。
切原の背後には『YOU LOSE』の文字がデカデカと表示されていて、私がそれを指差せば彼は小さく「あ」と呟いた。


「邪魔しちゃったお詫びにクレープでもいかが?」

「え、いや、これNPCだし」

「うーん、とりあえず付き合ってよ」


いつも私が男子高校生たちにされているように、彼のゴツゴツとした手首を引いて返事も聞かずに歩き出す。後ろから困惑したような切原の声が聞こえるが、それでも決して振り払おうとはしないので、嫌ではないのだと勝手に決めつけてクレープ屋さんまでやって来た。
ご馳走するよと笑いかければ、彼は観念したように「コレがいいっス」と前にも飲んでいたタピオカの炭酸ジュースを指差した。


「ゴチです!」

「どういたしまして」


店員さんから手渡されたそれを嬉しそうに受け取ってお礼を伝えてくれる彼がどうしようもなく可愛くて、緩んだ頬がバレないように顔を背けた。
外は雨が降り続いているので、ゲームセンター内の休憩スペースまでやってきて、安っぽい合皮のソファに深く腰掛ける。


「で、結局なんでここに先輩が?」


切原はズルズルとタピオカを啜りながら半身をこちらに向けて訊ねてきた。ストローを咥えたまま話すのはお行儀良くないよ、と注意してから問いに答える。


「切原がいる気がしたの」

「え?俺?」

「そう。君とお話ししたくて来ちゃった」


ポカンとした表情がじわじわと赤みを帯びてきているのに気付き、ああ、また言葉を間違えた、と少しの後悔。
大人が未成年を誑かしています、といつか本当に通報されてしまうのではないかと、ありもしない未来に心の中で怯えるポーズを取る。


「え、先輩俺の事めっちゃ好きじゃん……」

「あの、うん、後輩としてめっちゃ好き」

「は?傷ついた泣きそう」


泣きそう、と言う割にはジトリとこちらを睨み付けてきているが、そんな表情までもが可愛く思えてしまって、この切原赤也という男は本当に罪深いと思う。


「丸井と喧嘩したって聞いたから心配で」


私がそう言うや否や、彼はガラ悪く「ああその事」と声を低くする。


「俺に説教しに来たのかよ」


切原が遠くを見つめてそう言った。
その表情が余りにも無機質に思えて、声にも抑揚がなくなんの感情も読み取れなくて、いつもの可愛い敬語じゃないという事には気が付かなかった。


「どうして喧嘩したのか聞いてもいい?」

「……俺は名前先輩の味方だから、だから丸井先輩にムカついたんスよ」


彼の遠回しな言葉を理解することが出来なくて、続きを促すように首を傾げて見せれば、彼は視線を床に落としてぽつりぽつりと話し始めた。



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タピオカドリンクの容器が結露して手の中で水溜りが出来る。私の指の間を縫ってそれが滴り落ち、床に染みを作った。


「……なるほど」

「だから俺許せなくて」

「うん、ありがとう」


全くもって理解したくはないが、切原の話を整理するとこうだった。

丸井が恋人と別れたのをきっかけに、彼に対して色んな女子生徒からのアプローチが始まった。当然次なる恋人の座をゲットしようと告白する者が現れたが、丸井は「気になるやつがいるから」という理由で断り続けていたと言う。

彼が能動的に一人の女子生徒を好きになるなんて珍しい、と瞬く間に噂になり、切原含むテニス部のチームメイト達がトレーニング中に茶化していた時だった。
ある部員がその人はどんな人物なのか訊ねると、丸井は「顔も身体も普通なのになんか抱きたくなるんだよな(原文ママ)」と言ったそうで。

そうしてトレーニングが終わり帰宅途中に切原が思い切ってその想い人が誰かと聞けば、あろう事かそれが苗字名前だと。同姓同名でいてくれという切原の――ついでにこの話をされた私の――願いむなしく、彼は確かに「C組の名前」と言ったそうで。
切原は、丸井が私に対して所謂"ヤリ目"であるという事に酷く腹を立て、そうして言い合いに発展し現在に至る。

最初にも言ったが、全くもって理解したくない。


「つか先輩自分の事なのになんでそんな平気そうなんスか」

「切原が私の代わりに怒ってくれたからかな」


実のところ、こんな話をされても丸井に対しそんなに腹は立たなかった。以前丸井に元恋人の話をされた時も、身体の相性が〜と言っていたし、今時の男子高校生らしい恋愛なのかなと割り切っている。
ただ、腹は立てないが少なからずショックは受けた。彼の刹那的な恋愛感情が自分に向けられていると知っても、私にはどうする事も出来ないからだ。いっそ付き合えてしまったら良かったのに、私の中の大人な部分がそれを良しとしないのである。


「というか、抱きたいってどういう意味だろう」

「え?!それは、そのー、アレっスよ!」


セックスがしたいだけなのか、或いはぬいぐるみを抱き締めたいような意味なのか、それがハッキリしないので呟けば、切原は慌てたように手をワタワタさせて顔を赤らめた。
ごめん切原、そういうことじゃない。


「いやほら、ただ抱き締めたいだけ、という捉え方もできるじゃない?」

「あ、え?そうゆうこと?!」

「まあ文脈的にセックスと取るのが普通か」

「セッ……?!」


熟れた林檎のように顔を真っ赤にさせた彼は、中途半端に区切られたその言葉を最後にピシリと固まってしまった。
この反応は間違いなくチェリーボーイだ……。


「ごめん、少し明け透けに言い過ぎた」


ポンポンと彼の頭を撫でてやれば、我に返った切原が「アンタはもうちょっと女らしくしてくださいよ」と小さく不満げに零した。


「切原のお陰で私は怒ってないから、早く丸井と仲直りするんだよ」

「えー」


別々のバス停へ向かう道すがら、傘の分だけ距離が離れた切原にそう伝えれば、彼は「えー」なんて言いながらも少し晴れ晴れとした顔をしていた。

離れていく彼の背中にありがとう、と呟くと、しっかり聞こえていたのかサムズアップが返ってきた。


ヤリ目でも許しちゃうよね
20190714 お肉