日常編10



(side切原)


雨のせいで全然テニスが出来なくて、トレーニングルームとか適当な廊下でやる地味な練習に嫌気がさしてきた時だった。
二年の部員達にヤイヤイと囲まれている丸井先輩に気付いて、なんか面白そーな話してんな、と近付いた。


「しっかしブン太がな〜」

「うるせー!なんでもいいだろぃ」

「うちのクラスも今日その話ばっかだったわ」

「なになに、なんの話っスかー?」


幸村部長と同じクラスのお調子者な先輩が「おうおう赤也も聞いたら驚くぞ〜」なんて肩に腕を回してくるので、その腕から逃れようともがいてみるがビクともしない。
この人腕力ゴリラかよ……。


「赤也はブン太が別れたの知ってる?」

「えー!また別れたんスか?!」

「いや俺の中では続いた方だからな」

「何言ってんだよたかが一ヶ月だろ〜?」


そういえば丸井先輩にしては珍しく一ヶ月半くらい保っていた気がする。俺が高校入って少ししてから三年の先輩と付き合いだしたって聞いてたけど、なんだ、やっぱりもう別れたんだ。
この人は男の俺から見てもイケメンだし、明るくて面倒見いいし、テニスは、まあ悔しいけどつえーし、うわ意外と完璧じゃん。モテるっていいよなぁ。


「でさ、また告白地獄始まったんだけどよ」

「地獄」


先輩達の妙な言い回しに思わず突っ込んだが「だって1日に三回も呼び出しされてんだぜ?」の言葉に、確かにそれは地獄だな、と一人納得する。


「こいつ今んとこ全部断ってんだよ」

「うわ〜!モテ自慢やめてください!」

「別に自慢してねーだろぃ!」


俺の学年でも、丸井先輩は来るもの拒まず、なんて噂されてるけど、そりゃ先輩だって一応選り好みはしてるみたいだし、たまたま好みの女がいなくて断り続けてるだけなんじゃないだろうか。
そんな俺の疑問が顔にでも出てしまっていたか、先輩達がニタニタと笑いながら口を開いた。


「赤也、聞いて驚け……!」

「『気になるやつがいるから』つって断ってんだってよ」

「ええええ?!それは初耳っス!」


丸井先輩マジスか!と問い詰めたら、あろう事か照れ臭そうに頭を掻きながら視線を逸らして「うるせー」と言うだけだった。
ええええ、あの丸井先輩が、好きな人、ええええええ、マジか……。


「んで?どんな子なんだよ」

「あー?そういや考えたことねーな」

「お前恋愛初心者かよ!」

「いやいや俺は恋愛も天才的だから」


この時期だし相手はやっぱ一年生か、いや他校生もあり得る、ブン太の事だから大学生かも、なんて先輩達の考察が飛び交う。
丸井先輩は「どんな奴、どんな奴?うーん」と真剣に考えているらしく、スクワットをしながら顎に指を掛けた。トレーニングの仕方まで一々器用だな。


「顔も身体も普通なのになんか抱きたくなるんだよな」


丸井先輩のスクワットに見入っていたら――いやフォームがめちゃくちゃ綺麗だったんだよ――丸井先輩はポツリとそう呟いた。
考察していた先輩達は「まさかのセクシーフェロモン系!」と興奮気味に食いかかっているが、俺は丸井先輩が女とエロい事してる想像をしてしまって、気まずさが勝って少し距離をとってからトレーニングを再開させた。



▼▲▼





「赤也ー、早くしろぃ」

「待ってやれって。コンビニは逃げねえぞ」

「ムリ腹減りすぎて死にそう」


雨降ってるとか関係なく、いつも通り丸井先輩とジャッカル先輩と寄り道して帰ろうと部室を出た時だった。
フと浮かんだ疑問に足が止まると、少し前方を歩いていた丸井先輩が「おい赤也ー?」と振り返る。


「結局先輩の好きな人って誰なんスか」


ジャッカル先輩が「え、ブン太お前好きな人いんの」なんて驚いている。確かにジャッカル先輩はそういう噂話とかに疎そうではあるけど、アンタら一応ダブルスのパートナーだろ。


「……名前」


丸井先輩は斜め下の方を見ながら小さく呟いた。俺とジャッカル先輩の驚きの声がダブる。
名前って名前先輩の事?んな訳ねーよな?


「んと、すんませんフルネームで――」

「だから苗字名前だよ」

「えっブン太まじか」

「いや好きっつーか、なんか今はアイツ以外に付き合いたいって思える奴がいねえだけだから」


ジャッカル先輩は壊れた人形みたいに、まじか……まじか……、と繰り返していて、丸井先輩はそれを少し愉快そうに眺めている。
フルネームで聞いてもやっぱり認めたくなくて、同姓同名の可能性もある、と更に口を開きかけたが、それを見越したかのように「C組の名前」と遮られて目の前が真っ暗になる。


「……アンタ、最低っスね」

「は?いきなりなんだよ」


だって丸井先輩、さっきどんなところが好きかって聞かれて、あんな事言ってたじゃねーか。
確かに名前先輩は他の女みたいに顔とか人気だけで俺らに近付いてこねーし、びっくりするくらい優しいし、笑うとめちゃくちゃ可愛いし、だから丸井先輩だけじゃなくて他の奴らが好きになる気持ちも分かるけど。
丸井先輩のはちげーじゃん。


「アンタのこと見損ないました」

「お前さっきからなんなの?」

「おいどうしたんだよ。二人とも落ち着けよ」


顔も身体も普通なのに抱きたい?
腹の底がグルグルと回るような、全身の血がぼこぼこと沸騰するような、そんな感覚を覚える。
ジャッカル先輩が物理的に俺たちを遮って何かを言ってくるが、俺の耳にはもう届かない。


「最低な事言った自覚ないんスか?」


俺はキレやすいし、キレたらすぐ周りが見えなくなる。でも前にやった合宿で名前先輩に迷惑かけたから、今にも出そうになる右手を必死に抑え込んだ。
頭が熱い。目が痛い。クソっ。


「はぁ?お前何言ってんの?」

「丸井先輩がそんな人だと思いませんでした」

「あ、おい赤也!」


ああ、目がチカチカする。
そろそろ右手を抑え込むのも限界で、俺は逃げるようにその場を後にした。傘も差さずに無我夢中で走っていたら、身体を打ち付ける雨が冷たくて気持ちよくて、お陰で少し冷静になれた。
好きとか嫌いとかよく分からないけど、ただ丸井先輩が名前先輩の事エロい目で見てんのがスゲー嫌だった。



▼▲▼





次の日もその次の日も、名前先輩やジャッカル先輩が送ってきたLINEは全部未読無視した。
でも時間が経ってもムシャクシャした気持ちは一向に治まらなくて、ホーム行って常連のおっさんボコしてやろうと足を運んでみる。当然天気のせいか人なんて全然いなくて、仕方なくNPC相手に起き攻めを食らわせていた。

そしたらなんでか名前先輩がいて、またあん時みたいに一緒にタピオカ飲んで、丸井先輩と喧嘩した話して、。
名前先輩は俺が代わりに怒ったから平気だって笑って、丸井先輩と仲直りするように言ってきた。先輩は本当に全然平気そうにしていて、俺も先輩見習って大人になんなきゃいけないなって思えて、次の日丸井先輩に謝った。


「先輩、すんませんした!」

「あーうん。とりあえずジュース買ってこい?」

「既に買ってきてます!」

「うわマジ?お前ほんとに赤也?」


丸井先輩が学校でよく飲んでいるリプトンのピーチティーを献上したら、それを素早く受け取ってから俺の顔をジロジロと覗いてくる。この先輩失礼だな。いや待て我慢だ俺は大人になるんだ。


「結局なんでキレてたワケ?」

「それは、その、ヤリ目だったから」

「は?」

「名前先輩のこと抱きたいって」

「……は?」

「え?」


二人して顔を見合わせる。


「いや、おま、抱きたいってそういうんじゃねーよ!」

「え?……え?!」

「こんのエロガキめ!」


訳が分からないという顔をしていれば、丸井先輩はゲンコツを作ってうりうりと俺の頭にめり込ませてくる。
先輩痛い!それ痛い!やめて!


「くっ付きたいって意味だろうが!」

「いや丸井先輩が言うと違う意味に聞こえ、いやちょっとタンマ!それほんとに痛いっス!」


俺の勘違いで――丸井先輩の言葉のチョイスも悪いけど――突っかかってしまった事が申し訳なくなって、改めて頭を下げたら丸井先輩も笑って許してくれた。
それどころか、キレた時に目が充血してたのに手が出なかったことを褒められた。俺も大人に近付けてんのかな。


「でも、そういう意味でも抱きてえな」


やっぱり俺、大人目指すのやめます。
丸井先輩のつま先を思い切り踏みつけた。


切原は真っ直ぐで可愛い
20190714 お肉