日常編11



漸く雨が止んだと思えば、まるでタイミングを見計らったかのように定期考査が始まるということで、全ての部活動は一週間お休みである。

あれから切原と丸井は上手く仲直りをしてくれたようで、チーム青春のグループトークも今は通常通り頻繁に(主に切原と丸井が)動いている。


『勉強会しましょ!』


そんなメッセージがグループトークで切原から送られてきていて、何も考えずに了承してしまった数時間前の私をぶん殴りたい衝動を鎮める。
丸井から『逃げんなよ』とご丁寧に個人トークまで送られて来ていたが、最初はなんのこっちゃと思っていた。だってまさかテニス部みんなで勉強会するだなんて思わないじゃないか。

のろのろとテニス部のミーティングルームへと足を進める最中に、隣を歩く柳を訝しげに見つめるが、彼は涼しい表情で微笑むだけだった。


「やあ苗字さん!早かったね」

「お邪魔します」


ミーティングルームには既に幸村と真田がいて、柳と共にパイプ椅子に腰を落とすと静かな空気が辺りを支配した。
さっさとノートを開き勉強を始める三人に、私だけはなんだかそわそわと落ち着かない気分になる。冷静に考えたら立海三強(ビッグスリー)と謳われる三人と同じ空間にいるだなんて、前の人生では思っても見なかった。この厳かな雰囲気に気圧される。

そうして少し経った頃、外から聞こえてきた楽しそうな声に萎縮していた身体がやっと解放される。その声達は徐々にこの部屋へと近付いてきて、ガチャリとドアが開く音によって完全に空気が変わった。


「よっしゃーやるぜーぃ」

「なに早速アルフォート出してんスか」

「そんな事言うヤツには分けてやんねーぞ」

「丸井先輩カッコイイー!好き!」


ガヤガヤと騒ぎながら着席するチーム青春、それに続くように仁王と柳生も二人仲良く着席した。
しれっと私の隣を陣取る丸井に少しだけ背中がひやりとする。丸井と切原が仲直りしてくれたまでは良かったが、結局丸井の"抱きたい"問題は解決していない。しかも当の丸井はまさか私がその話を知っているだなんて思っていないだろうから、だからこそ歯痒い気持ちにさせられる。


「名前ー、理科の選択なにとってたっけ」

「生物」

「んだよぃ。化学じゃねーのか」


当たり障りなく返事をして視線は手元のノートに落とした。ミーティングルーム内は勉強を教える者・教わる者以外の声はなく、カリカリとシャープペンシルを走らせる音が耳につく。
隣から香るチョコレートの甘ったるい匂いと、視界の端に入る丸井の腕がなんだか気になってしまい、思わず席を立った。


「ねえ柳生、ここ教えてもらえる?」

「ええ、構いませんよ」


ここ最近柳と幸村の二人とは丁度いい距離感を保てているか不安で、あまり男子高校生の心を刺激してはならない、と結局柳生の隣に腰を落ち着かせた。
虚数を使った方程式だなんて、高校生の勉強はこんなにややこしい事していたんだな、と過去の私に感心してしまう。


「苗字さんは飲み込みが早いですね」

「復習みたいなものだか、ら……」


つい、本当につい口から溢れてしまった言葉に顔から血の気が引いていくのが分かる。言っている最中に気付いても一度出た言葉が引っ込む事はなく、手の内側がジワリと湿る。


「なんじゃ、予備校でも行っとるんか」

「ほら、テストって授業の復習でしょう」


生身の仁王は意外とピュアで鈍いかもなんて思っていたけれど、今回は流石に分かりやすく動揺してしまったかもしれない。鋭く突っ込まれたのをなんとか誤魔化してはみたが、納得いかなそうな表情で「ほおん」と返ってくる。


「苗字はその授業であまり集中していないように見えるが」


話を聞いていたのだろう、柳まで会話に入ってきて、参謀と詐欺(ペテン)師おっかない、と内心震える。


「私を観察している柳も集中できてないみたい」

「む」

「柳、苗字さんに一本取られたね」


ついに隠し事がバレるかもしれない、と心臓が煩く騒ぎ立てているが、冷静を装い柳に言い返せば、助け舟のように幸村が茶化してくれて空気が幾分か和んだ。

彼らにしている隠し事は二つ。
一つ目は人生二周目で中身は立派な大人である事、二つ目は創作物として彼らを知っているという事。そのどちらも、仮に打ち明けたところで理解を得られる筈が無かった。
バラしても「頭のおかしい奴」というレッテルを貼られておしまいだろう。それでも彼らを傷つけていまい兼ねない事実であるから、私は何がなんでも隠し通さなくてはならないのだ。


「……ふぅ」

「疲れたか?」


目の前に広げた数字の羅列達を一頻り片付け終え一息つくと、それに気付いたジャッカルがペンを止めて視線を上げた。


「少しだけね」


数字を見続けるのがしんどくなってきたので、現代文でも復習しようかと教科書に手を伸ばす。ジャッカルの視線は私の手を追いかけていて「現国……」と小さく零した。


「教えようか?」

「いいのか?」


分かる範囲でだけど、と付け足しても、彼が目をキラキラと輝かせるので面倒を見る事にした。
題材は吉本ばななのバブーシュカで、今回のテストではこれがメインに出題されるのだろう。ジャッカルは登場人物や作者の気持ちを読み取るのは得意なようだが、やはり漢字の読み書きが怪しいみたいだ。


「センサイな心……こういうの読む事はできても書けないんだよな」

「あ、それ分かります!ニイガタとか読めても書けね〜」


テストで出そうな漢字を想定して簡単に出題してやるが、ジャッカルの言う事は尤もで、現代人の多くが「読めはしても書けない」状態だろう。
隣で英語を勉強していた切原がジャッカルに同意するように入ってきた。切原、新潟という字は小・中学生の頃に学んでいるはずだよ……。


「ゴウカイな……こうだっけか?」

「あ、惜しい」


豪快の豪の字、棒が一本多くなっていた。


「ねえジャッカル、少し時間をくれたら対策用の漢字プリントいくつか作るよ」

「マジかよ!助かるわ」


人生二周目が始まったあの日から、ほとんど手を加えていない自宅を思い浮かべる。シュレッダーがあるあの部屋にはパソコンやプリンターもあったから、テストを想定した簡易的な漢字テストくらいならば作れるだろう。

現代文の復習も終え、少し休憩しようとミーティングルームを出る。みんな切原と丸井の勉強を手伝うのに集中していたから、隣の柳生にだけ小声で断りを入れたが、まあ大丈夫だろう。



▼▲▼





「やっと見つけた」

「あれ、幸村も休憩?」


放課後で無人となった薄暗い食堂の中で、自販機で買ったお茶を(あお)っていた時だった。困ったような顔の幸村が少し早足で近付いてくる。


「探したよ」

「柳生には声を掛けたんだけどな」

「俺は聞いてない」


このわがままボーイめ、と出かかった言葉をお茶と一緒に飲み込む。勉強はいいの、と聞いたが「ばっちり」なんてにこやかに返ってくる。そういえば立海の王子様たちは勉強苦手な子があまりいないんだっけ。


「苗字さんってさ」


普段の幸村なら隣に座ってくるはずなのに、何故だか今日は対面の椅子に座りそう切り出した。


「俺たちに何か隠し事してる?」


薄暗い食堂の中、妖しく光る幸村の瞳が私を捕らえて離さない。ひたひたと雨の滴る音がやけに大きく聞こえる。


「人間誰しも、秘密の一つや二つあるよ」

「また誤魔化すの?」


誤魔化していると分かっていても、いつもなら笑って見逃してくれるじゃないか。
耳の内側でドクドクと血液が脈打つ音が聞こえる。
もう不誠実な事はするな、と聞こえもしない神様の声が聞こえたような気がして、テーブルに置いていたペットボトルを乱暴に掴んでから立ち上がる。


「私は幸村が思っているような人間じゃない」

「どこ行くのさ」


身体を反転させると、背中に納得のいかなそうな声がぶつかった。きっとまた頬を膨らませているんだろうな、とむくれた幸村の顔を想像して、その可愛さに強張っていた表情筋が少しだけ弛緩する。


「疲れたから今日はもう帰るね」


ヒラヒラと手を振って食堂を後にする。
やっぱり背中には純度100%の不満の声がぶつかってきたが、今の不誠実な私にはそれを受け止めるだけで精一杯だった。


そろそろタイトル回収です
20190727 お肉