日常編13



定期考査最終日。
時折雲間から太陽が姿を見せ、そろそろ梅雨も終わるんだろうな、と解き終えた世界史の答案用紙をぼうっと眺める。

今日は柳と約束をしていた日。
彼の知りたい事に何でも答えてやる日だ。



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鶴岡(つるがおか)八幡宮の程近くにある大きな公園は、平日の昼下がりだから来ているのは小さな子供連れか散歩中の老夫婦のみ。
その人たちを横目にやって来たのは公園内にぽつりと存在する東屋で、ここならば静かに話ができると柳が言っていたのも頷ける。


「それじゃあ、何から答えようか」

「いざ何でも聞いていいとなると、どこから聞くべきか迷ってしまうな」

「テスト期間中いくらでも考えられたじゃない」


彼は分かりやすく溜め息を吐いて「勉強に集中する為の期間だろう」と言った。しかしいつもより集中できなかったのはお前のせいだ、とも付け足す。


「では最初はこれを聞かせてくれ」

「はいな」

「普段授業になるとグラウンドばかり眺めているお前が、何故復習などと言える」


いきなりブッ込んできたな。
勉強会でボロを出してしまった時の話をしているらしい。あの時は幸村がいたからなあなあに出来たが今日は助け舟なんて現れない。それになんでも答えると言った手前、誤魔化しは通用しないだろう。


「授業より先に学んでいる、と言ったら?」

「予備校や塾には通っていない筈だが」

「予習ってなにも予備校でしか出来ないものではないと思うよ」


嘘はついていない、ただ事実をボカして言っているだけだ。そう思い込まないと罪悪感でどうにかなりそうだった。
少し納得出来なそうな表情ではあるが、柳はそのままノートに何かを書き加えた。彼がノートに書き込むというのが、この質問の終わりを示している。


「ならばあの日、何故あんなに動揺していた?」

「他人にその事を言うつもりが無かったから」


心臓の内側がヒヤリと冷える感覚に見て見ぬフリをして素っ気なく返す。
大人というのは本当に、こうやって表面を取り繕うことだけは完璧にできてしまうんだからずるいよなぁ。でも今までそうやって世渡りしてきてしまったのだから、この悪癖はもう治らないのだろう。

それからは、勉強方法だとか学校外での交友関係だとか、そんな事をたくさん聞かれた。学校外の交友関係はゼロと言っても過言ではないが、強いて言うならばいつものコンビニの店員さんと軽く世間話をする仲なので、その人の事を思い浮かべながら答えた。


「次に家族関係についてだが」


家族、という言葉に指先が冷たくなる。
この世界で新しい人生をスタートさせてからもう一ヶ月半は経っているけれど、やはり私はこの世界でひとりぼっち(・・・・・・)なのだ。両親は未だに存在しているかどうかも危うく、親戚なんてそもそもいるのかすら分からない。


「すまない。一人暮らしをしているという事は何か事情があるのだろう、無理して答えなくて構わない」

「平気」


申し訳なさそうに眉を下げる柳を安心させるように笑ってみせる。両親は海外にいるよ、と続けると、彼はホッとしたような表情になる。どうやら亡くしたのだと想像していたらしく、その柳に対して私も少しだけホッとした。


「身近に頼れる人物は?」

「血縁者以外なら柳かもね」

「……いないわけだな」


立海の先生方は私の家庭環境――恐らくは都合よく充てがわれた偽物だろうけれど――を知っているからか、いつも気にかけて下さっているようだ。それに加えお節介焼きなクラスメイト兼お隣さんの柳がいるから、基本的に頼る前に解決されてしまうことの方が多かった。


「困った事があればなんでも言ってくれ」

「……ふふ」


柳のその言葉に聞き覚えがあって、転入初日に彼がしてきた挨拶を思い出して笑ってしまった。最初から今まで、柳はそうやって手を差し伸べてくれるのだ。
笑った私に疑問符を浮かべていた彼も、少しの間を置いて何のことか分かったのだろう、優しく綺麗に微笑んだ。


「しかし、相変わらずお前は……」


今度は私が疑問符を浮かべる。


「何を聞いても分からないんだ」

「というと?」

「俺は苗字の行動原理や理念をいつまで経っても理解できない」


行動原理、理念。
私という人間の根幹、どういう信念や価値観をもって行動を起こすのか、どういう気持ちで何を思って話すのか、彼はそれを理解できないと言う。
それが知りたくてここまで私のデータを集めていると言うのだろうか、ただのクラスメイト相手にか。そう考えたところで、彼のは単純な知識欲なんて可愛いものではなく、それをもっと凌駕した強い執着を感じゾッと寒気がした。何が彼をそこまで駆り立てるというのか。


「柳は、知ってどうするの?」

「……それすらも分からない。ただ苗字を見ていると識らなければならない気がするんだ」


柳はそう言って、手元のノートを閉じた。
これで彼の知りたい事は終わり、と安心したのも束の間、すぐにその安心感を打ち砕かれる。


「しかし、最近一つ分かった事がある」


次にどんな言葉が出てくるのか不安で、そしてぞくりぞくりと嫌な予感がして、私は返事をする事もままならない。


「もしも苗字が普通の成人女性だと仮定するならば、その行動原理や理念も分かるようになる」

「言っている意味が――」

「そもそもお前の言動は高校生らしからぬ点が多々見受けられるが、高校生という前提があるから計算に狂いが生じる」


だから、その本来当たり前の前提を前提としなければ、今まで集めてきたデータから行動パターンや思考を推測できるようになる。柳はそう言いたいのだろう。


「でも、私は確かに高校生だよ」


声は震えていないだろうか。
どくんどくんと心臓が大きく揺れている事に嫌でも自覚してしまい、この音が柳に聞こえてしまわないように胸元をぎゅっと掴んだ。


「お前は過去に何があった?」

「過去……」


柳が聞いているのはきっと"この人生"における過去なのだろう。しかし私にはこの人生での記憶や思い出がない。あるのは前の人生で二十数年間過ごしてきたものだけだ。
だから、答えられなかった。


「なにか苗字の精神が成長しすぎてしまう事象があったのではないか、と考えた」


その「精神が成長しすぎてしまう」に、もうほとんど答えが出ているじゃないか、と自嘲気味に笑えば、彼はそんな私に不思議そうな表情を見せる。
ただ柳はきっと非科学的な事象は信じないだろうし、彼なりに私の精神年齢が成人女性のそれであるには何か原因がある、と過去を持ち出した訳だ。しかし私に答えられる面白味のある過去なんてほとんどないに等しい。


「私が歩んできたのは普通の人生だよ」

「そういう性格だと?」


柳、違うよ。
私だって高校生の頃はもっとずっとキャピキャピと弾けていたのだと思う。単純に歳を重ねて落ち着いただけなのだ。でもそうとは言えずに黙り込む。繕う言葉が見つからない。


「今後苗字の行動を推測するために、大人扱いをするのは嫌だろうか?」

「大人扱い?」

「年頃の女だ、気にするのではないかと」


柳は私の行動原理・理念を理解する為に、私を大人扱いしたいと言った。
女性に対し実年齢より上に見てしまう事で嫌な気持ちをさせてしまうんじゃないか、と彼なりに心配しているようだけれど、そんなのはちっとも懸念する必要はない。
かえってその方が私も生きやすかった。


「ううん、それでいいよ」

大人ならば(・・・・・)そう言うだろうな」


柳はフッと笑ってから、今の話は記録しない、と言った。なるほど、だからノートを閉じたのか。スリーサイズは平気で言う癖に年齢に関しては慎重なのだな、と彼の妙な気遣いが可愛く思えた。
そういえば柳にはお姉さんがいた筈だから、この変なところへの気遣いもその影響なのだろう。


「やはり俺は、苗字が好きなのだと思う」


もう帰ろうと東屋から出た時に突然そんな爆弾を落としてきて、その爆弾が核兵器くらいの威力を持っているものだから、私は彼の顔も見ずに「またね」と言い残し駆け出した。
爆心地で一人取り残された柳の、持ち上がった口角になんて気付かなかった。


柳は攻略難易度が高ければ高い程燃えそうなタイプですよね
20190804 お肉