日常編14



(side桑原)


毎日続けている走り込み、中学の頃よりも5kgずつ重たくしたパワーアンクルの負荷にもそろそろ慣れてきて、テストから解放された気持ち良さも相まって少し遠くまで走りに来ていた。

鎌倉広間緑地を抜け夫婦池公園と笛田公園を経由して鎌倉中央公園まで来た。でもまだまだ走り足らなくて、ただこのまま北上すると小町通りに差し掛かってしまいランニングには向いていない。だから銭洗弁天や佐助稲荷の方に足を向けて、鎌倉特有のぐねぐねと曲がりくねっていて高低差の激しい道をとにかく走った。

走って走って身体が熱くなってきた頃、前方にまた公園があるのに気付いて、知らない公園だったけど他の場所でもそうしたようにグルリと一周走ることにした。
そうしたら、遠くの方にぽつんと建つ東屋に見覚えのある制服を着た人物がいるのに気が付いた。


(柳と、苗字……?)


あの二人は同じクラスだから一緒にいることは不思議ではないかもしれないけど、見ようによってはデートともとれるその姿になんとなく心の中がモヤモヤと霧がかった。
とりあえずせっかく見かけたんだし挨拶くらいはしていかないと、と東屋にズンズンと歩を進める。


「俺はお前の行動原理や理念をいつまで経っても理解できない」


柳の凛とした声が耳に届く。
まだ挨拶を交わすにしては距離があって、でもなんとなく只ならぬ空気を感じて思わずその身を木陰に隠す。
こんな時、ブン太や仁王みたいに目立つ頭髪を持っていなくて良かったな、なんて思ったら少しおかしくて笑いそうになった。

ここからでは二人の会話は断片的にしか分からないが「成人女性」だの「高校生」だの「大人」だの聞こえてきて、柳のお姉さんの話をしているんだと思った。そんな時。


「やはり俺は、苗字が好きなのだと思う」


またも、柳の声がハッキリと聞こえてきて、その内容に先のモヤモヤの正体が分かった。
ブン太が気になる人として苗字の名を挙げていて酷く驚かされた時のことを思い出す。俺はこれからブン太の恋路を応援するもんだと思っていたから、だからさっき柳と苗字が二人でいる事にモヤモヤしたのだ。


「ジャッカル、そこにいるのだろう」


恐らく苗字の物であろう足音が遠退いた頃、俺の名が呼ばれて肩がビクリと跳ねた。


「悪い、盗み聞きするつもりは無かったんだけどよ……」


柳にはなんでもお見通しなんだな、と一頻り感心してから、ジワジワと湧いてくる申し訳なさのまま謝りながら顔を出せば、柳は「構わないさ」と大人みたいな顔で微笑んだ。


「内容はほとんど聞こえてなかったから心配すんなよ」

「そうか、それは残念だな」


残念……?
まるで盗み聞きしてほしかったとも取れる言葉に、俺の頭の中は疑問符で溢れかえる。柳の怪しく笑う顔がほんの少しだけ怖くなった。


「邪魔して悪かった」


なんとなく居心地が悪く思えて、走り込みを再開しようと身体を反転させると背中から制止する声が聞こえる。


「ジャッカル、お前は傍観者か?」


どういう意味か分からず首を捻ると、柳は「丸井のことだ」と付け加えた。
さっきの話の続きだろうか。


「わり、時間ねえから行くわ。柳またな!」


このまま柳と話していたら心が丸裸にされてしまう気がして、柳の問いには答えず走り出した。



▼▲▼





走っている最中も、家に帰って飯食っても、風呂入っても、ベッドに横になっている今も、ずっと柳の言葉が頭の中でリフレインしていた。


≪やはり俺は、苗字が好きなのだと思う≫


俺が言われた訳ではないのに、なんでこんなに頭にこびり付いて離れない。
自分でさえも理解できない心のモヤモヤに恐怖する。

あの時の柳の問いに、俺は一言肯定すれば良かった。柳の気持ちを知ったところで俺がブン太を応援するのは変わらない事実だ。
……じゃあ何故肯定せずに逃げ出したのか?


「もしもし、急に悪りぃな」

『ようジャッカル』


一人で考えていても答えを見つけられる自信がなくてブン太に電話を掛けたら、ワンコール鳴り止まぬうちに出てくれた事になんだかホッとした。


『お前から電話とか珍しくね?』

「あー、そうだな」

『んだよぃ、なんか悩みでもありそうな声じゃん』


こういう時、ブン太が俺のパートナーで良かったと心底思う。持ち前の明るさでいつも俺を引っ張って照らしてくれる。
自意識過剰と思われるのを恐れずに言えば、それはきっとブン太も同様で、俺たちは互いの明るさと前向きさでブーストを掛け合っているのだと思う。


「なあ、ブン太は苗字のこと好きなんだよな?」


こいつの明るい声を聞いてたら一人で悩んでいたのが馬鹿らしく思えて、苗字のことを訊ねたら、電話の向こう側からゴチンと痛そうな音が響いた。そのあとすぐに『いってぇ……』と聞こえてきて、驚いてどこかにぶつけたのだと窺えて思わず笑う。


『おいジャッカルお前笑ってんじゃねーよ!』

「ハハハッわりぃ」

『んで?なんで急にそんな事聞くんだよ』


そう言われて言葉に詰まる。
結局俺は自分がどうしたいのか分からないままだった。だから柳の事は伏せて、ブン太に恋のライバルが出来たことだけを伝える。


『ライバルねぇ……それジャッカルのこと?』

「は?え、は?!」

『いや驚きすぎだろぃ』


ケラケラと笑うブン太の声が頭に響く。


『まあ、この天才ブン太様にかかればジャッカルだろうが誰だろうが相手じゃねーって』

「……ハハッお前らしいな」


ブン太の悪い冗談に俺は否定しなかった。
柳の問いに答えなかった時とは違い、今度はハッキリと理由が分かる。


『俺たちはプラチナペアだろぃ?』

「――おう」

『まあでも腹は立つから明日なんか奢れよ!んじゃおやすみぃ』

「おい待てそれはちげーだろ!おいブン太!」


耳のそばでツーツーと規則的な機械音が鳴る。

ブン太の応援をするつもりなら、ブン太が苗字の名前を挙げた時にあんなに驚かなかった。勉強会で現国教わってる時にブン太を巻き込むことだって出来た。漢字の対策プリントだって断れた。英語の勉強教えるなんて言わなかった。それにプリントを届けてくれた日、クラスメイトに彼女と茶化された時だってもっと強く否定出来た。
全部全部、ブン太を応援してるやつの行動とは思えなくて、自嘲するように笑う。

だってあいつが初めてなんだよ。
いつだってブン太のオマケだった俺なのに、ちゃんと目を見て話してくれる。誰かのついでじゃなく俺を俺として認めてくれる。
付き合いたいとかそういう感情はまだないし、このままずっと友達でいたい気持ちもある。でも俺という存在を大切にしてくれる苗字を、俺は決して手放しちゃいけないんだと思う。

明日はブン太に何を奢らされるのかと財布の中身が心配な筈なのに、それに反し俺の表情は緩んでいた。



実は立海で一番好きな男です
20190804 お肉