Case1 プリン事件
「おいコラ、オレになんか言うことあるだろ」
ソファで膝を抱えて座り込み携帯をいじる彼女の後頭部に、出来る限り低い声を投げつける。今日こそは許さねぇ、と意気込んで。
オレは今朝からずっと浮かれ気分だった。一虎くんが発注ミスをして同じ商品が馬鹿みてぇに届いても、一虎くんが閉店時間五分前に犬の餌をフロアにぶち撒けても、「なにやってんすか」ってただ笑って流せるぐらいには。それはもう心弾む気持ちだった。何故なら、今日という一日の終わりに何よりも楽しみなことがあったから。それだけの為に今日の仕事を頑張ったから。頑張ったのに。
「え?千冬くんに言うこと?」
「何のことか分かんねーなんて言わせねぇぞ」
昨日、久しぶりの休日を潰してまで早朝から並んで手に入れた人気店のキャラメルプリン。同棲する彼女の分とオレの分、ちょっと欲張りたいから二つずつ、計四つを冷蔵庫にぶち込んでいた。明日仕事から帰ってきたら食うんだってめちゃくちゃ楽しみにしてた。なのに黄金に輝くそれは一つ二つどころか四つとも姿が見当たらない。まさか全部食ったのか?とんでもねぇ、とんでもねぇ話だ。
「うぅん、なんだろう」
「オレめちゃくちゃ怒ってるからな」
「ええ…」
彼女がどうしても許せないのはこれが初犯じゃないからだ。細っこいくせに食べる事が大好きな彼女。美味しいね、って幸せそうに目尻垂れてハムスターみたいに口ぱんぱんにして、そりゃもうすげぇ可愛い。可愛いんだけど、それとこれとは別だし、さすがにプリン4つはねぇだろ。欲張りたいってのも本音だけど、彼女に食われてしまうことを危惧したから多めに4つ買っておいたのに。次からいくつ買えばいいんだよ。
「あ…えっと、」
ソファから立ち上がりぺたぺたと音を立てながら冷蔵庫の前に佇むオレの前にやってきた彼女は、オレの服の裾を握って申し訳なさそうにおずおずとこちらを見上げる。可愛い。じゃなくて、そんな顔したって今回ばかりはマジで許してやらねぇからな、とキッと出来る限り鋭い視線を刺して威嚇した。
「あの、千冬くん」
「言い訳できるもんなら…」
「愛してるよ」
「は?」
最近、ちゃんと言葉にして伝えてなかったもんね、不安にさせちゃった?ごめんね、大好きだよ。
耳たぶまで赤らめて気恥ずかしそうに俯いて、キュッと抱き着いてきた小さな身体に思考が停止する。愛してるよ、愛してるよ、脳内にダイレクトに反響した声を反芻して飲み込んで、やっと意味を理解したところで、不意打ちを食らったオレも中坊みてぇに顔真っ赤にして俯いてしまった。本当に、本当にとんでもねぇヤツだ。
「抱く」
「ええっ!今から!?お風呂まだだよ!千冬くん仕事から帰ってきたばかりでしょ」
「そうだよ、めちゃくちゃ楽しみにしてたのに」
「え?そ、そんなに今日ずっとえっちなこと考えてたの?」
馬鹿じゃねぇの、プリンの話だよ、プリン!もう訂正するのも面倒で、緩む口元を隠すように手で覆った彼女を抱き上げ寝室に足を運んだ。フッと身体が宙に浮いた彼女は「千冬くん、力持ちだねぇ」なんて子供じみた笑顔で足をばたつかせてはしゃいでいる。マジでこの女、どうしてやろうか。
「あ、ねぇ待って、私今可愛い下着つけてないよ。着替えるからちょっと待っててね。可愛いのとセクシーなのどっちがいい?」
「…………」
「ねぇねぇ千冬くん」
オレを見上げる瞳は目を逸らしたくなる程無垢で透き通っているのに、ぷっくりとした唇の隙間から溢れる音は色欲を孕んで甘ったるい。
つい先程までメラメラと心の内で燃え上がっていた闘志は一瞬にして鎮火して、代わりに腹の底から湧き上がった獣じみた爛れた欲がオレの腰を重くさせる。オレが単純なのが悪い訳じゃない、全部ぜんぶ、食い意地張った上にとんだ勘違いをする彼女が悪い。
「わっ、待って待って、着替えたいの」
「ばか、暴れんな、そのままでいいって」
「やだやだ!千冬くんにはちゃんと、いつでも可愛いって思われた、っ、んぅ、んー!!」
シーツに身体を優しく下ろして、でも少し乱暴に口を塞いで部屋着を引っ剥がしてやった。舌を突っ込んだら甘ったるいキャラメルの味がして、ふとプリンへの未練が呼び覚まされる。親におもちゃを取り上げられた子供のような、何とも言えない表情を浮かべたオレを見て、彼女はぱちくりと目を丸めていた。惨めだろ、笑えよ。
けれどもその後、彼女が下記のように述べたので、この度は全てオレの勘違いだったという事でプリン事件は幕を閉じる。
「目に見えるところにあると食べちゃうから、お味噌と缶ビールの後ろに隠したの。千冬くんと一緒に食べたくて、私の分ももう一つ残してあるんだよ」
勘違いして理不尽に責めたオレを一切咎めることもなく、「後で一緒に食べようね」そうへにゃりと弓形に目を細めて笑った彼女にギュンッと心臓が締め付けられて、大概単純で馬鹿なオレは絶対この子と結婚しようって心に決めた。
「オマエもう…マジでさぁ〜…」
「どうしたの、もしかしてプリンが消えたと思って怒ってたの?なにそれ、可愛いね、千冬くん、大好きだよ」
「………オレも好き」
「へへ、でもやっぱり着替えたいから、ちょっと離して欲しいな」
「……可愛いやつ」
「ん?」
「可愛いやつにして」
「了解!じゃあ、千冬くんが好きな水色にするね!」
ぴょんっとベッドから飛び降りた彼女の背中を見て、飛び降りるなよ、ガキかよって。コイツ、天然でどっか抜けてて、危なっかしいから放っておけねぇし、やっぱりオレが一生面倒してやらねぇと。ってのはまぁ充分すぎる建前で、真実はオレがただ、ただベタ惚れでどうしようもねぇってだけの間抜けな話。
short
Storehouse