ヒーロー殺しステインは概念である。
身勝手な正義を振り翳す、名誉と名声に溺れた偽物を排除し、本来の意味を忘れ去られた英雄を取り戻す為に行為するもの。
顔を覆うは血と泥で汚れきった襤褸。


これは顔を隠すためのものではない。
これは仮面ではない。これは顔なきモノの証、存在なきモノの印。

ヒーロー殺しステインの足は止まらない。止まることはない。社会が正しく在る為に、世界が過ちに気付く為に、止まるわけにはいかない。いや、止まる術さえ怪物は知らなかった。ただ、信念があればいい。貫き通す意志があればいい。駆け続ける足があればいい、刀を振るい続ける腕があればいい、問い掛ける言葉を忘れなければいい。
走れ、走れ走れ走れ、止まるな。振り返るな。必要なのは英雄だ。この世界のただ一つの真実だ。絶対的な光だ、希望だ、未来を導く存在だ。手を伸ばせ、届くことのない光へ手を伸ばせ。オールマイトだけが、この世界の英雄だ。この偽物もので溢れ変える世界は間違いである。

間違いは正さねば成らない。
間違いは正さねば成らない。
間違いは正さねば成らない。

過ちは正さねば成らない。
過ちは正さねば成らない。
過ちは正さねば、ーーーーー誰かが!

地面に無造作に転がされたヒーローと名乗った偽物。両腕を切り落とされ、腹から鮮やかな臓物を撒き散らし、事切れているのとは誰がみても明白だった。
濁った瞳は闇を見つめているのに、息絶えてもその目に宿り続ける感情は、曲げようもない憎悪。

誰も気付かない。
誰もこの行為の意味を理解しない。
何故、自分がこのような目に遭ったすら理解していない。無知は罪なり、知らぬ存ぜぬで目を瞑むる社会へ警鐘を鳴らせ。

背を向け歩き出す。路地裏の暗さから光の下へ出れば、その眩しさで目が眩む。いつか、この光に焼かれる日がくるのだろうか。

構いはしない。俺はこの社会の影に生きるモノ。
影そのもの。影に形はあっても、姿はない。黒く塗り潰され、笑うことも泣くこともない名前のない存在。



*  *  *


四月中旬、夜空から降り注ぐ雨により道行くものの視線を奪う桜は儚くも散っていた。
地面に広がる薄桃色の花弁、水溜りに沈む花弁、美しいと人の記憶に焼き付いた光景は今やただの欠片となって人の記憶から消えていく。新緑の生い茂る季節に変わりつつ、春も終わを告げようとしていた。


季節が変わるというのは、何かを忘れていく感覚に似ていた。

からん、氷が薄いグラスの中で揺れる音がした。口にした酒の味も分からないまま、空になったグラスを置く。それを美味いとは思えなかった。氷で冷やされた液体が喉を焼くような感覚を味わうだけ、それだけである。それは単純にステインが“酒の味も分からない男”だからだ。飲めればそれでいい。こだわりも、好みもない。口に出来るものならなんでもよかった。

バーテンダーも、酒を作る女もいない。たった一つの裸電球の明かりだけが室内を照らす無人の酒場にステインは一人、酒を口にしながらスマートフォンを操作していた。
オールマイト関連のニュースに一通り目を通していると、一つ気になる記事を見つけた。詳しい内容が知りたい。
画面をタップして記事を開こうとしたが、先に開いたのは画面の記事ではなく非常口の扉。指を止め、電源を落とす。


「待たせたわね」

その女はこの埃臭い空気を更に刺激するような臭いを纏っていた。人工的に作られた臭いは悪臭に近く、一息吸い込めば肺がどろどろに腐敗している気がした。深紅のチャイナドレスから伸びる長い足は艶かしく、腰付きは成熟した女を思わせる。だが、上半身には厚手のパーカーにフードを深く被り、顔を隠していた。
女は慣れた様子でカウンターの内側に入り込み、ステインの前に立った。



「今回の分」

ステインの前に出されたのは茶色の紙袋。中身が入っているのか、女がカウンターに紙袋を乗せた時、大きな音はしなかった。どうやら中身は軽いものらしい。中身を取り出し、説明するなんて無粋なことはしない。特に言葉を交わすことなく、女が紙袋を置いたようにステインもまた同じようにカウンターに数枚の紙幣を置き、紙袋を受け取って立ち上がる。

必要以上の言葉を交わさないのは、長年の付き合いから。
必要以上の詮索をしない。必要以上の干渉はしない。必要以上のことは口にしない。


だけど、女の口からは心の中に生まれた感情を吐き出すように言葉は生まれていた。口が滑ったともいうのだろう。


「ステイン」


足を止めたステインの背中に向かって女は言葉を投げた。



「貴方は何度も避妊しないといけないような女を作ったの」

女は口走ってしまった言葉を今更ながら後悔した。



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