「ヴァイオリニスト、赤格子夕霧。10歳の時に音楽界に突如現れた無名の少女。繊細な音色の中には人間の生々しい感情が滲み出ており、容姿とのギャップを生む。突然の雨の様に身体を濡らし、恋人に甘えるように擦りつき、かと思えば激情に任せるように痛々しく、ティーンの恋愛のように青臭くて、乱暴で過激で、気付けば火花のように儚く散っていく音色は人々を魅了した。

ヒーロージウの実の娘で、ピアニスト深海初春の一番弟子。母親に関する情報は上がってこない為、死別か離婚かと一時期話題にもなったが直ぐに娘の話題に興味が移る。デビュー当時から他者とは一線を画す才能を持ち主。特別秀でた容姿ではないにしろ、一度目にすれば記憶に残る透明さを持っている少女に、世界は光を浴びせた。

あらゆる角度から彼女は調べられた。年齢、性別、生年月日、趣味、幼稚園、小学校、中学校、どこの音楽スクールに通っていたか、など。そして、何故深海は彼女を見つけたのか。好きな男の子はいたのか、仲良しのお友達は、どんな色が好き、どんなものが好み、憧れのヴァイオリニストはいるの、目標にしている人はいる、ヒーローは好き?お父さんとお母さんの出逢いは聞いたことある?ねぇ、ジウってお家じゃどんな感じ?ジウの娘として、君は誇らしい?ねぇねぇ、お父さんのこともっと教えてよ。君のことも教えてよ」


壁一面を受け尽くすほどの夥しい量の写真、写真、写真、写真、写真、写真、写真、少女の写真。純白のセーラー服をその身に纏う少女の控えめな笑顔、周りの女子に比べてもその黒の密度が一層濃い漆黒の髪。まるで、星ひとつない夜空を切り取ったような黒髪だと思った。他に目を向けるべきところと言えば、他の少女達に比べ服の上からでも分かる膨らみの大きさか。華奢な身体には少しアンバランスだが、それが良いじゃないか。写真の中にいる少女に匂いはないのに、白百合の香りがする。こんな壁じゃ足りないくらい、段ボール箱に詰め込まれた少女の山に顔を埋めた。古臭い、黴の匂いがする。ふわりとスカートの裾を翻す写真、撮られていることに気付かない少女は無防備に歩く。すらりと伸びた足のその先はどうなっているのだろうか、まだ男を知らないのではないか。膨らむ想像は男の象徴を刺激する。彼女は男が求める理想の少女の姿そのものじゃないか。


「ヒーローの娘である彼女は今、ヒーロー養成校の名門雄英に進学し、ヒーローとなるべく日々精進している。父親同様にヒーローを目指す、入学後より本業優先の為にコンサート出演回数が減っている」


ネット上の書き込みには、彼女の熱狂的なファンが転がっている。彼女のファンはヒーローよりもヴァイオリニストの道を進んでほしいと強く願っている奴らが多く見られた。


〈彼女にはヒーローよりも音楽の道に進んでほしい〉
〈彼女の指に傷一本傷付けてみろ雄英襲撃してやるからな〉
〈今度の体育祭参加するのかな。怪我しないか心配〉
〈こないだの事件があったのに体育祭開催するってすげーよな〉

人気ヒーローの娘でヴァイオリニストで、名門女子校の出身、ヒーローとしての価値観、正義感を持ち合わせ、見ず知らずの人も救いに行こうとする。天は二物を与えずっていうけど、彼女には沢山の物を与えてるよね。

有名動画サイト上がっている動画を何度再生したことだろうか。
それは2年前のコンクールの動画。シックな黒いドレスを身に纏い、赤いリボンを首に結んだ女。ただの動画、目をひくものなんて何一つない。画質の悪い動画に目が痛くなると思った。だけども、彼女が弓を弾いた瞬間。

もしも、彼女がTシャツとジーンズという場違いな格好で演奏したとしてもきっと彼女はその存在感を放つだろうと思った。正直な感想。



圧倒された。

異才の持ち主。底知れぬ。いや、底の見える水面を覗き込むような演奏。透明なはずなのに、その水面の深さは計り知れない。それどころかその水面は本当に冷たいのか。触れれば死に至らしめる程の熱を持った水なのではないか。ただ音が大きいだけじゃない、この音を聞いている人間全ての思考をどろどろに溶かして煮詰めて、冷やして再び固めるような感情のこもった音色。死神の囁きのような音色。

彼女を音楽の世界に引き戻したいと思う気持ちが分かった。この演奏は神の啓示にも似たものだ。常人では出せない色。頭の螺子が飛んでないとこの領域には達することが出来ないと以前同じようなタイプの人間を取材した時に知った。しかし、この少女はどこからどうみても螺子が飛んでいるようには見えない。

ただ、あの指先から奏でられる音楽はどこまでも孤独で、どこまでも透明なのだと思った。
確かに、この才能を捨てることは惜しい。


なら、そんな大衆の願いを俺が叶えてやろうじゃないか。
あの美しい神様をもう一度あの世界に連れ戻そう。






灰色を基調とした制服。あの頃よりもずっと短くなったスカートの丈、だけど少しでも肌を隠そうとするのか高校生にしては珍しいスパッツを履いていた。良くないねぇ、高校生ならその肌を惜しみなく晒すべきだ。じっくりと眺め、嘗め回すようにその姿を見つめた。あの頃よりもずっと楽しそうに生きる姿は年頃の少女そのもの。嗚呼、良いな。どうしようもなく邪な想像が膨らんで、現実にしてしまいそうだ。





「赤格子夕霧さん」

振り返った少女の瞳は静かにこちらを映す。俺は警戒されないように笑顔を作った。

「ちょっとだけ、お話いいかな?」
「すみません。今急いでいますので…」


そうだよな、普通なら見ず知らずの人間に声を掛けられたらそういうよな。でも、これを見たらどうかな、君はどんな反応をするのかな。右手を胸ポケットに忍ばせた。これを見せた時君はどんな反応をするのかな。

「俺ね、どうしても君に見てもらいたいものがあるんだ」

期待を込めて、スマートフォンの電源を入れた。
画面に映るものを君は目にした君は――――――。


「夕霧!」
「!」
「どうした、大丈夫か?…………あの何か用ですか」

突然現れた二人組の学生。彼女と同じ灰色を基調とした制服。雄英高校の制服を身に纏った生徒。
こちらに警戒する様子を見せる少年少女。これは分が悪い。これ以上何かしようものなら学校に報告されそうだ。
それは今後に差し支えるので、今は大人しくすべきと察した。

できるだけ不自然ではないように、この場を切り抜ける為に安っぽい言い訳をするとしよう。



「ごめんごめん、ちょっと道を聞きたくて」

スマートフォンの画面をもしもの時のためにブックマークしておいたページを開いて見せる。


「人と約束をしていてね。初めて来たから少し迷ってしまって、マップを見てもよく分からなくて」

この年で迷子だよ。たははっと恥ずかしそうに笑えば警戒を解いたのか、少しだけ硬かった表情が柔らかくなる。
オレンジ色の髪の少女がこの場所を知っているので良ければ案内しますよ、と気遣ってくれた。本当に?助かるよ。なんていって彼女らの後を続く。

ちらりと赤格子夕霧の方に目を向ければ、彼女の眼は穏やかに二人に向けられていた。友達に向ける信頼、信用、前を歩くヒーローの卵に目が眩むような錯覚を起こしているような。
しかし、こちらに向ける視線は静かな鋭さを宿していた。警戒とは違う。水晶玉のような透明な瞳、怒りではない。もっと静かなもの。彼女の眼は静観を極めていた。驚いた。あの赤格子夕霧がこんな目を他人に向けるなんて初めてだと気付いた。君に興味を向けてからまだ一年しか経ってない。中学生の頃の君は他人と線を引くように生きていた筈だ。

それほどまでに特別なのか。それとも君はこの子達の行動に何かを見出そうとしているのか。





「(……どうやら、君を甘くみていたようだ…)」


写真の中の君を静かに犯すだけじゃ、物足りなくなってしまった。

目的の場所に到着し、別れた俺は歩き出す。一度だけ振り向いて、彼女達の後ろ姿を見送れば、同じ制服の携帯を弄っていた少年と合流してから駅の入り口に消えいった。

敵に襲撃されたと聞いていたがどうやら別のクラスの出来事らしい。
彼らの顔にはその影は微塵も落ちていない、寧ろ逢魔が時のように静かに忍び寄る影を宿しているのは赤格子夕霧の方だと気付いた。



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