7
時計の針が丑三つ時を示そうかといった夜も更けた深夜2時。
玄関で大きな音がして尾形は思わず駆け付けた。
凉夢が約束を果たしに来たのだ。
「……遅くなったな、」
「動くな!…喋らなくていい、体を預けろ」
その姿に尾形は一瞬掛ける声すらも失った。
脇腹がヒグマにでも噛まれたかのように抉られ、溢れ出る腸を片手で抑えていた。
全身からの出血が激しく、足も腕も片方は折れているようだ。
骨が変な所から飛び出ている。
顔は蒼白で、唇の色はもうない。
尾形に体を預け、凉夢は飛びそうな意識を手放さないように強く握った。
凉夢を抱えた尾形が歩く度に廊下に小さな血溜りを作っていく。
凉夢の指示で凉夢をソファーに座らせた尾形は、片方の手に血に塗れた白い箱があるのを見付けた。
凉夢は折れた腕でそれを尾形に突き出した。
「食べよう、門出祝いだ」
「バカか、お前、本当に、」
「やっぱ祝い事にはケーキだよな、尾形はまだケーキ食べたことがないだろ、この時間にやってる所探すの疲れたんだぞ、」
「…お前がやりたくて、やってるんだよな」
「私はいつもそうだよ」
ソファーに血が染みていく。
吸収しきれない血が床に垂れていく。
尾形は台所から箸を持って来て、その箱を開ける。
中には綺麗に装飾されたケーキが2つ入っていた。
白いものと茶色いものだった。
尾形はそのうちの一つに口を付ける。
甘いチョコレートの味が口に広がった。
美味しい、うまいよ。
そう言いたいのに尾形の口は震えるだけだった。
口の中に微かに広がる血の味は凉夢の物なのか、それとも強く唇を噛んで流れた物なのかは分からなかった。
「私は、普通じゃなくても、いい人生だったって思うよ」
「お前あの時、聞こえてたのか」
「そうじゃなきゃ、尾形と出会うこともなかった」
「ああ、」
「間違いだから、通れた道があったと思う、」
「…そうだな」
尾形が白い方のケーキを1口凉夢に食べさせてやると、凉夢は少し笑った。
尾形も少し笑っていたかもしれない。
いや、もしかしたら泣いていたかもしれない。
凉夢は尾形に手を伸ばし、その髪を撫でつけた。
力の入っていない、酷く冷たい手だった。
「でももし、、もしまた出会うことがあれば、友達にでも、なってみるかな、」
「ああ、お前を探すよ、凉夢」
尾形は自分が消える、ということをその時何故か感じた。
自分の手や体が透け始めていることに気付いた。
じきに自分の声も届かなくなるだろう。
「ありがとう」
凉夢の手が尾形の頭から滑り落ちた。
もう触れることすら出来なくて、尾形は凉夢の脈が止まったのかすら確認出来なかった。
尾形も感謝の言葉を述べたが、それが凉夢の耳に届いたのかはもう分からない。
しばらくして、そこには死んだ女が独りソファーで横たわっていた。
パソコンがパッと付いて、全てのデータが消えていく様が映し出されていた。
自室内の監視カメラも自室外の監視カメラも壊れ、その部屋に仕掛けられていたトラップは全て解除された。
数日後には数名が入ってきて、部屋の片づけに訪れた。
玄関から漂う、死んだ人間の放つ濃いキツい匂いに顔を顰めることもない。
「…何だぁ?これ」
何で箸が2膳あるんだ。
テーブルに広がる景色を見た人間がそう呟いた。
独り暮らしのはずだがなぜ最期にケーキを、箸2膳を準備していたんだろうか。
誰かがいた痕跡を探すも、そんなものは一切残っていなかった。
この件に関しては死に間際の錯乱状態にあったと、そう報告された。
その本当の理由を知る人間も証拠も、もうこの世にはどこを探してもないのだ。
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