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「彼、浮気したらしいんだよね」

店に着くと、先に来ていた彼が急に土下座をしてきた。
取りあえず落ち着かせて席に着いてもらい話を聞くと、どうやらこの一ヵ月の間に浮気をしたらしい。
彼が何やらトラブルに巻き込まれたのはこれのことだったのか。
浮気をされてしまえば、もう私が彼の隣にいる必要性はなくなってしまうのだ。

彼にさようならを告げて、店を出た。
彼は優しいから、私を追って来るようなこともなかった。
そのまま家に帰る気にもなれず、適当に漫喫に行った。
私の重装備は漫喫には不釣り合いのようだ。
居心地の悪くなった私はそうして家に帰ることにした。

「まさか浮気してたとは思わないからビックリしたよ」
「もし彼が浮気をしていなかったら、芽唯子はどう返事するつもりだったんだ」
「断ってたよ」

征十郎と再会して、10年前の居心地の良さを私は思い出した。
小学生の頃征十郎に出会った。
それから9年間、私達は自分が相手の物だと互いに認識してきた。
その感情は愛情よりも所有して欲しいという欲望にずっと似ていた。
それが恋であることに気付いたのは失ってからだった。
征十郎に出会ってから10年前まで、ずっと征十郎が好きだった。

それと同時に、彼への好意がないことに気付かされた。
彼が私の傍にいただけで、私が彼の傍にいた訳ではなかったのだ。

「多分、私はずっと彼のことを好きじゃなかった」

私に初めて告白してきた人だった。
友達の延長でずっと何年も今まで過ごして来ていたんだろう。
彼に体を許したのも、自分の足りない愛情を示したかっただけなのかもしれない。
今まで交際を中断させる理由が見つからなかった。
でも今回の浮気は、私が交際を止めるのに適した理由だと思うのだ。

「征十郎のおかげで気付けたような気がする」
「どういたしまして」

征十郎を見るといつもの様に薄く笑っていた。
征十郎は赤司家を継いだ訳だけれど、征十郎は変わっていなかった。
それがとてつもなく嬉しいと感じるのだ。

「それで、さっき征十郎が言ってたことなんだけど」
「ああ」
「初恋の人ってもしかして私のことだったり」
「そうだ」

もしかして征十郎は最初から分かっていたのかもしれない。
私が彼と惰性で付き合っていたこと。
最終的に私が結婚を断ること。
そして征十郎のことが好きなこと。
もしそうだとしたら、征十郎は相変わらず恐ろしい男だ。

「取りあえずこのマナーの本を頭に叩き込んでおいてくれ。父に挨拶に行くから」
「用意周到だね。いつまでに?」
「明日だ」
「わかった。でも私明日が休みって征十郎に教えてたっけ」
「知らないが、予測することは誰にだって出来るだろう」

征十郎が意地の悪い笑みを浮かべていた。
テレビには相変わらず魚ちゃん達が泳いでいた。
私はこの水槽から出ることが出来たのだろうか。








それから征十郎によってテーブルマナーなどを叩き込まされた。
かなりのスパルタだった。
あのキセキの世代のキャプテンだっただけある。
征十郎の指導が終わったのは時計の針が12時を過ぎた頃だ。
私にしてはよく頑張った…
ソファーで項垂れていると征十郎がクラッカーとチーズを持ってきた。
それとココアとコーヒーも。

「芽唯子、好きだ」
「私も好きだよ」

私はずっとこの言葉を待っていたような気がする。
愛してる何て大人じみた言葉より、好きという方が私達には似合っている。
ココアを飲むとじんわりと体が温まるのだ。

「芽唯子はよく泣くんだな」
「征十郎だってよく泣くよね」

征十郎が三度目の涙を流した。
征十郎の涙は宝石のように美しい。
それだけはずっと変わらないことなのだ。
征十郎のマグカップに花が咲いている。
春はもうすぐそこに来ているようだ。



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