あなたの優しさについて
※主≠団長
ヒイラギが熱を出した。
教えてくれたのは星屑の街で仕入れを任されているおませなエルーンの少女で、その時は(そうなのか)としか思わなかった。その内診せに来るだろう。
そう思っていたのに、昼を過ぎてもヒイラギは姿を現さなかった。
痺れを切らしてエッセルに言いつけ、女子部屋に乗り込んでもらった。しばらくして部屋から出てきたエッセルはムゲンを呼び寄せ、再び出てきた時にはムゲンがヒイラギを横抱きにしていた。
赤い顔でぐったりとした様子ははたから見ても明らかに体調が悪そうだ。
「何故医務室に来なかった」
思わず咎めるような声色が出た。
「……ネハン先生に移したら、死んでしまうかと思って。」
熱に浮かされたまま掠れた声でそんなことを言う。
明瞭でなく、いつもの溌剌さに欠けた声だった。
「……そう簡単に死なない。」
「死にそう。」
「死なない。」
ついムキになって言い返してしまい、ヒイラギと目が合った。具合が悪そうに白目が淀んでいる。頬は紅潮し、前髪が汗で額に貼り付いていた。
指先で掻き分けて額に手を当てる。熱い。38度はある。
「治療棟へ運んでくれ。」
「分かった。」
「エッセルは水を用意してくれるか。あの様子では朝から何も飲んでいないだろう。」
「了解。」
ムゲンとエッセルは神妙な面持ちで頷いた。ヒイラギばかりが、居心地悪そうに苦笑いを浮かべていた。
治療棟のベッドは星屑の街の中で用意できるものの中で、一等良いものを使っていた。
いつもはネハンの周りをちょろちょろと動き回って、「ネハンさん、手伝えることはありますか?」と五月蝿いヒイラギは、今日はそのベッドの中だ。苦しそうな呼吸音。こんなになるまで頼って貰えなかったことに細かく傷ついて、傷ついていることに自分でびっくりした。
体温計は39度を示している。かなりの高熱だ。
「ヒイラギ、体の症状は言えるか。」
「…………。」
「ヒイラギ。」
「……喉が、少し。」
少しと言うがかなり痛いのだろう。お喋りなヒイラギがほとんど口を開かない。唾を飲み込むのにも苦難しているようだ。
熱は39度近い。最近、喉の痛みと高熱が特徴の風邪が流行していると聞いたことがある。星屑の街では幸いまだ流行ってはいないが、街の外に品物を売りに行ったり、外交を行うこともあるヒイラギだから、何処かでうつされたのかもしれなかった。
「変な意地をはるな。症状が分からないと適切な処置ができん。」
「…………。」
「……俺は、信用ならないか?」
「ちが、違いま……ゴホッゴホッ」
咳き込んだヒイラギが口を抑える。
「喋ったら、うつって、ネハンさんが死ぬかも……」
またそんなことを言う。
「うつらない。マガザンにいた頃、一通りの病にはかかった。耐性がある。」
病は星の数ほどあるので、流石に少しだけ嘘だった。毒は割と耐えられると思うが、病はどうだろうか。
それでもヒイラギは安心した顔をした。患者を安心させるのも治療の一環。
「もう一度聞く。喉は痛いか」
「……凄く痛いです。」
「鼻水鼻づまりは」
「そんなに酷くは」
「頭痛」
「少しだけ。」
「間接痛は」
「あります。」
「寒気は」
「あります。」
カルテに書き留め、ネハンは眉を寄せた。熱はまだ上がりそうだ。熱冷ましが要るかもしれない。
「熱冷ましと咳止めを調合する。しばらく寝ていろ。」
熱で潤んだ両目の上に手を乗せた。基礎体温が低いネハンの手は気持ちがいいらしく、「先生のて、つめたい」と夢うつつな声が聞こえた後、すぐに寝息が聞こえ始める。
熱冷ましと咳止めの調薬はそう難しいものではなく、薬の準備はすぐに終わった。
起こして薬を飲ませてまた寝かせる。
そうして手持ち無沙汰になった時、急に何をすればよいか分からなくなった。思えばマガザンにいた頃、体調を崩す仲間の面倒を見てはいても、それは『治療』で『看病』ではなかった。
ネハン自身看病をされたことはない。
……いや。遠い記憶。年端もいかぬ子供の頃、はしかにかかったネハンを姉が看病してくれたことがある。「姉さんは先にかかったから。この風邪は1回かかるとかかりにくくなるんだよ。」と、先程のネハンと同じようなことを言っていた。無意識になぞっていたようだ。
『ネハンさん』
枕元で励ましてくれる姉の声を思い出したら、姉では無い人間の声も思い出した。否。思い出したと言うほど遠い記憶では無い。つい最近のことだ。ネハンは長い眠りから覚める前後で意識がハッキリしていなかったから忘れていたが、その時看病してくれた人がいた。
『ネハン、いい夢見る、よい。』
『ネハンさん、頑張って。待っている人がいるよ。』
思い出す。
呼びかけてくれた声はムゲンと、ヒイラギの声だった。
長い眠りから覚める少し前から、ネハンは周囲のことを僅かに知覚していた。けれどもそれが現実のことなのか、それとも夢なのかは判断できず、起きようという気になってはいなかった。
否。ムゲンと二人、他に誰も人がいない場所で穏やかに暮らしている夢を見ていたせいで、これが現実だといいと思っていたのだ。生きることに疲れてもいたし、この世を恨めしく思う気持ちもあった。
そんな中で、眠るネハンの手を握り、話しかけてくれる人がいた。
ムゲンとヒイラギだ。
ヒイラギは体の大きなムゲンでは出来ない細かな作業を補うために宛てがわれた人員らしく、この時ネハンとの間に面識はほとんどなかった。
「『手当て』と言うんだって。こうして手を当てるの。医学的な知識じゃないし、こんなことで治るとは思わないけど、おまじないみたいなもの。」
「手当て……ムゲン、やってみる。」
右の手をムゲンが、左の手をヒイラギが握った。
「目が覚めますように。」
「目が、覚めめすよーに」
「ふふ。『覚めますように』。」
「覚めますように!」
見ず知らずの自分にどうしてそこまで心を砕いてくれるのか。
しばらくして目が覚めたけれど、長い眠りの後の身体はなかなか言うことを聞かなかった。フュンフが診てくれたらマシになったが、それまでの間はムゲンやヒイラギの世話になることもしばしばあった。
「ネハンさん、何が食べたいですか?」
「食べたいもの……」
「手に入りにくいものですか?」
「いや。味や匂いがよく分からない。食べたいもの、と言われても、思いつかない。」
少し驚いた顔をしたヒイラギは、少し悩んで、それは見事な花や蝶々の形にカットされたフルーツの盛り合わせを持ってきた。特技なのだと言う。
「これなら目で楽しめるかと思って。」
これが優しさなのだとしたら、己のような人間がそれをどこまで享受して良いものなのか分からなかった。
そんなに前の出来事では無いのに、忘れていた。
優しい看病の仕方。ひとつ思い出すと、閉じていた本を開いたように次々思い出す。
ムゲンとヒイラギに教わっていたのだ。
ふと目が覚めた。身体は重く、寝返りのひとつさえ怠いけれど、熱は少し落ち着いたようだった。ネハン先生の熱冷ましのおかげだろうか。
「起きたのか。」
低い声が耳朶を打つ。大好きな声。
起きました。迷惑をかけてすみません。今日は調合のお手伝いをする予定だったのに。言いたいことが取り留めなく頭をめぐって、結局どれひとつ口から出なかった。手を、握られている。
なんで、とかどうして、とか、そんなことを口走りそうになったヒイラギより、ネハンが口を開く方が早かった。
「『手当て』だ。」
ムゲンに手当てだと言って手を握るのを教えた時、ネハンは寝ていたはずだ。聞かれていたのだろうか。
気恥ずかしくて顔を隠そうとしたが、手は生憎とネハンに握られていた。冷たい手。急に自分の手汗が気になって落ち着かなくなってしまった。熱があるから仕方が無いということにならないだろうか。
うろうろと視線を彷徨わせると、ふとサイドチェストに果物が置かれているのが目に付いた。林檎だ。しかも、
「うさちゃんりんご……、」
ヒイラギの視線を追って、ネハンが「ああ、」と頷いた。
「病み上がりの時、ヒイラギが果物を差し入れてくれただろう。アレを真似ようと思ってエッセルとカトルに聞いたんだが、コレしか作り方が分からなかった。」
だからと言って、作ってくれたというのか。ネハン先生が、うさぎ型の林檎を……?
頭は重く、身体は鉛のようでも、心は凄く軽くなった。看病って凄い。知らず零れた笑顔を見て、ネハンの方も安心した顔をしてくれたような気がした。
「食べるか?」
「はい。ありがとうございます。」
「栄養をとって、早く元気になるといい。お前が静かだと、部屋が静かで調子が狂う。」
貴方がくれた優しさを、私も返せるといい。
(20240331 for 愁)
このこ