記憶の波間に
※主≠団長
「ヒイラギ、何してる?」
覗き込んだムゲンが、ヒイラギの手元に大きな影を作る。
顔を上げれば目の前には海が広がっていた。駆け回る星屑の街の子どもたちの声。シエテをはじめとした十天衆の皆が協力してくれて、今日は皆でアウギュステに旅行に来ているのだ。
ヒイラギの手には小さなガラスの容器があった。球体型のパーツと、平らなパーツ。
「騎空団の人に教えてもらったの。スノードームって言って、本来なら水が入っていて、ひっくり返すと雪に見立てたキラキラが降る仕組みなんだって。」
「すのーどーむ、つくってる?」
「そう。海だから……アウギュステドーム、かな?」
サラサラとして綺麗な砂。
小指の先に乗るほど小さな貝殻をいくつか。
浜辺に流れてついていたサンゴの欠片。
台座になるらしい平たいパーツに貼りつけられたそれらを見て、ムゲンは『小さな海だ』と思った。海の赤ちゃんだ。
潮風に乱された髪を片手で抑えながら、ヒイラギは静かに笑う。秘め事のように呟いた。
「ネハンさんにも、海を持って帰れるといいなと思って。」
穏やかで丸みのある声だった。
スーオファミリーとの取り決めで、ネハンは星屑の街から出られない。
今頃、禁薬ヘブンによる症状が出ている子どもたちの治療を続けながら一人留守番をしているだろうネハンを思って、ムゲンはうんうんと大きく頷いた。
「それ、いい。ネハン、海、楽しみ違う。でも、海、見たら楽しい、思う。」
「そうだね。」
にこにこと笑う二人のすぐそばで、潮騒が響いていた。
「……ということがあったんだよ。」
レイの前で語るエッセルは無表情だった。そう、と返す。
「可愛いと思わない?」
エッセルは真面目に言っていた。
「……可愛いわね。」
「でしょう?健気だよね。」
「ええ。健気ね。」
「ネハンを街から出す許可が欲しい。」
なるほど、そこに持っていきたかったのか。レイは穏やかに微笑んだ。
「交渉が下手ね、エッセル。今はネハンを街から出さず、常に監視をしておくことが、後々彼にとって優位に働くと教えたでしょう?」
「ん。そうだね。覚えているよ。ただお願いするだけじゃ生きていけないってのも、覚えてる。だから今日は、ちゃんと『交渉材料』を用意しているよ。……カトル!」
レイは廊下に佇むカトルに気づいていたが、単純に(反抗期だから)レイと顔を合わせたくないだけだと思っていたので、呼ばれたカトルが素直にこちらに歩き出したのに驚いた。
扉の影から姿を現したカトルは、年端もいかぬ幼子を抱っこしていたので、更に驚いて危うく床に落っこちる所だった。
「こども……。」
「ん。星屑の街の新しい仲間。多分まだ2歳くらい。」
「2歳……赤ちゃんね……。」
「レイからしてみればね。」
こどもは静かだった。賢い子だ。利発そうな目でキョロキョロ辺りを観察していたが、レイが浮いていることに気がついて、足元あたりをじっと見ていた。可愛い。レイの子達にもこんな時があった。髪がふわふわで、ほっぺがもちもちで。
思い出しながらミルクのいい匂いがしそうな白い頬に手を伸ばし……たところで、カトルがひょいとこどもを遠ざけた。
「ネハンの外出を認めてくれれば、レイにこの子と『遊ばせてあげる』。知ってるよ。スーオファミリーの面々は大きくなって、最近戦争孤児として仲間になった子はいない。近頃、小さな子と遊んでないでしょう?」
「…………まあ。驚いたわ。そんなことで交渉ができると?」
「『交渉したいなら、相手が望むものを盤上に出せ』。レイが教えてくれた。相手が普通のマフィアなら、この交渉は成立しない。でも、レイだから。効果はあるはずだよ。」
レイは黙った。
こどもを見る。
こどももレイを見ていた。申し訳程度に生えた薄い眉毛の下、クリクリとした目がぱちぱちと瞬いて、レイを見てあどけなく笑った。
「………………………………………1時間よ。」
「一日。深夜零時まで。」
「ダメ。………………半日。これ以上は譲歩できないわ。」
「夜10時まで。飲んでもらえないなら、この子はこのまま連れて帰るよ。さっきお昼寝から起きたばかりだから、おやつをあげないとね。」
「……アシャ。」
「はい、ママ。果物でしたらすぐに用意ができます。」
静かに控えていたアシャが含み笑いで返事をしたので、レイは溜め息をついた。
「日暮れまでよ。その代わり、行き来はワムデュスにお願いして扉で連れて行ってもらうこと。カトルとエッセルとヒイラギとネハンの4人のみで行くこと。ネハンから目を離さないこと。それが条件。」
「分かった。ありがとう。」
エッセルはホッとしたように笑った。全くお粗末な交渉術だが、一方的に他者に庇護を願っていたあの時と比べたら、成長したのだろうか。
今回は交渉に負けた訳では無い。エッセルの成長に免じて大目に見てあげるのだ。うんうん、と頷くレイの横で、ついに噴き出したアシャが慌てておやつを取りに出ていった。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「海に?」
ネハンは耳を疑った。
「ん。ヒイラギと二人で行ってきて欲しい。」
嗅覚、視覚、味覚に続いて聴覚もおかしくなったのかと思ったが、おかしいのはエッセルの頭だったようだ。
「何故」
「ネハンへの労いだよ。いつも頑張ってくれているから」
「不要だ。俺は俺がしたことの贖罪をしているに過ぎない。」
突っぱねると、チラ、とエッセルがカトルを見た。カトルは溜め息をついて「……というのは建て前で、」と言う。
「本当は、僕と姉さんからヒイラギへのプレゼントなんです。ほら、彼女最近仕事に熱心でしょう。ネハンの手伝いをするために、植物についても勉強していると聞いています。」
「……それと俺が海に行くことには何の関係がある?」
「ヒイラギがネハンと行きたがっているので。」
脳裏に浮かんだのは数日前に貰った贈り物。
『ネハン先生にも、海のおすそ分けをしようと思って。』
アウギュステの砂や貝を使って作ったという小さな海の置き物は、今はネハンの部屋の棚の上に飾られている。
「……そういうことなら、理解はできる。だが、スーオファミリーとの契約があるはずだ。」
「レイからの許可はもう貰ってる。行き帰りはワムデュスの力を借りて、向こうでは私とカトルが見張っていれば、日暮れまで自由。」
「……ワムデュスは、」
「もう呼んでる。」
反論の余地など端からなかったではないか。
「では、ワムたちはこの辺で遊んでいるので。」
転移が終わった途端、ワムデュスはカトルとエッセルの手を取って言った。
「ワムちゃん達は遊ばないの?」
「ワムたちは用事があるので。ネハをしっかり『えすこーと』して、海を楽しませるのが、ヒイラギの役目かも。」
「エスコート?」
オウムのように繰り返したヒイラギは、時間をかけてジワジワと意味を理解したようで、麦わら帽子の下の頬をバラ色に染めた。
「がっ、がんばります!」
使命感に燃えている。
「じゃあ、楽しんできて。」
エッセルの柔らかな声に送り出されて、ヒイラギはネハンの左手を取った。
ヒイラギが着ているふわふわのワンピースは、歩く度に潮風にふわふわ揺れた。
対するネハンは傷跡に日光は色素沈着を起こすからと、アウギュステにも関わらずシャツを着込んでいるが、スーツ姿の普段と比べて比較的軽装な部類である。
「ネハンさんは海は好きですか?」
「……好き嫌いについて考えたことは無かったな。風や雨、山、森、そういったものと同じだと思っていた。」
少しだけ嘘だった。
子供時代、奴隷として他の少年たちと一緒くたに扱われていた時に通りかかったことがある。
死んだ仲間の身体を捨てろと言われて、騎空艇から海に投げ捨てた。懐かしむことさえ許されないような、ヒビ割れた記憶だ。
昔のことについて考える度、自分の周りに仄暗い檻がある錯覚をする。それでも生への執着を捨てられなかったのだから、己というのはどこまでも意気地のない男だ。
あの時死んでいればーーーー、
ぴとり。
言うことを聞かない左側の体に寄り添う人がいた。
砂浜に慣れないネハンが倒れてしまわないよう、杖の動きと足元に注意しながら、ペースを合わせて歩いてくれている。
水色のワンピースに白い麦わら帽子がまるで夏の空のようなヒイラギは、潮風に優しく目を細め、ネハンが自分を見ていることに気づくと零れるように笑った。
光が差す。
檻などなかった。
「私、少し海に入りますね!」
ヒイラギがビーチサンダルを脱ぎ捨てた。
「ネハンさんは……、」
「俺も行こう。」
え。とヒイラギが驚いた顔をする。
「せっかく来たのだから、少しくらいは。」
支えてもらって靴を脱いだ。ヒイラギのサンダルの隣に揃えて、ズボンの裾を捲りあげる。シャツの腕も捲った。初めて裸足で踏んだ砂浜は、思っていたより熱く、柔らかく、気持ちが良かった。
ヒイラギが促してくれて、数歩波打ち際へと歩く。それだけで足首まで波が届くようになって、足の指の間を海水が通り抜けた。
「驚いた……。砂浜は熱かったが、水は冷たいんだな。」
「日差しが暑いくらいですから、水が気持ちいいでしょう?」
「ああ。」
一方向に流れる川と違い、前からやってきたと思った衝撃が、今度は後ろからやってくる。倒れないように足を踏ん張ると、随分と粒の小さな砂で出来た地面にはネハンの足の指の形の跡がついた。
顔を上げるとヒイラギがいて、背後に広がる海はキラキラと日差しを反射している。
海に付き纏っていた死の匂いと暗い檻のイメージ。上書きされていく。
少し深いところまで行こうとしたら、転ぶと危ないからとヒイラギに止められた。早々に海から上がったが、拭くものがないことに気がついて二人で笑った。
岩場に腰掛けて、砂がつかなくなるまで足を乾かすことにする。
「良かったぁ、ネハンさんも楽しんでくれて。この間星屑の街のみんなと来た時、とても楽しかったから、ネハンさんとも来れたらいいのにと思っていたの。」
ふにゃふにゃとした笑顔に、何と返そうか迷った。
ネハンひとりでは絶対海になんて来なかったろうと思う。特段興味もなかったし、そもそも外出が許される身の上では無いから。
迷って、ただ一言、
「ありがとう。」
と言った。気遣いが嬉しかった。
ヒイラギの方も嬉しそうに笑ってくれて、海は綺麗な思い出になった。星屑の街、ネハンの部屋のサイドチェストに置いてある小さな海の置物を見る度に、今日の日を思い出すだろう。
「ありがとう、ヒイラギ。」
願わくば、日暮れまでの時ができるだけゆっくり過ぎますように。
(20240411)