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「おー、ヴィーラじゃねえか。調子はどうだ?」

声をかけてきたのは操舵士のラカムだった。
当たり障りない笑顔を作って応える。

「もう大丈夫です。ご心配をおかけ致しました。」

ラカムの後ろから、オイゲンとイオも顔を覗かせた。

「幽世のやつと遭遇したんだろ。本当にタチが悪いぜ、あいつら。」
「やり方が汚いのよね。」

イオは不満げにツインテールを揺らした。変わらない様子に安堵する。
大丈夫だ。分かる。分かっている。彼らの顔も名前も、昨日あった出来事も。




「ジータも心配してたぜ。」




瞬時に心が凍った。
聞き覚えのない名前。ヴィーラが、忘れてしまった人の名前だ。

「すみません。私……」

自分がどんな顔をしたのか分からなかったけれど、ヴィーラを見上げたイオがギョッとした顔でオイゲンをどついたので、酷い顔をしているのかもしれない、と思った。





どうやら自分は、ジータという人のことを忘れてしまったらしい。『らしい』、というのは、ヴィーラ自身にはその自覚がないからだ。他ならぬカタリナお姉様が言ったから信じているものの、他の人に言われていたら笑い飛ばしていたかもしれない。
カタリナから話を聞いて、ベッドで一晩考えた。
まず、己が何かを忘れている、というのは事実だ。それがジータのことであることも。どう考えても、この規模の騎空団に団長が居ないはずないのである。
カタリナお姉様がアルビオンという鳥籠から羽ばたいた。再び戻ってきた時連れていた騎空団の面々と……なんやかんやあって、今、ヴィーラはここにいる。それは事実なはずなのに、その『なんやかんや』が思い出せない。おそらく『団長さん』が深く関わっているのだと思う。

でも、まあ。

(お姉様のことは覚えていますから……)

それ以外は些事だ。
幽世の存在とかいうよく分からないものに頭の中を弄り回されたのは癪に触るが、お姉様のことだけ覚えているならそれでいい。
無くなったジータとやらの記憶が、お姉様の記憶より大切なはずがない。
ズキンと胸が痛んだ気がしたが、気のせいだろう。






カタリナからは休んでもいいと言われたが、身体には問題がないのでその日の依頼に合流した。
内容はよろず屋シェロカルテが運ぶ荷馬車の護衛である。大型発注を受けて、騎空団が駐留しているシトロ村から隣街テルミナに商品を運ぶらしい。

「よろしくお願いします〜。この辺りは比較的治安が良いそうですが、魔物や盗賊が出ないとは限らないので〜」

にこにこと笑顔を浮かべたシェロカルテのことをちゃんと覚えていたことに少しだけホッとする。

「じゃあ、それぞれ持ち場について。無理はしないように。何かあったらすぐ誰かに報せてね」

ジータが言った。あ、今目が合ったなと思った次の瞬間には、ジータが逸らした。




その日は快晴で、荷馬車の進みは順調だった。
昼間の移動だからか野党は出ず、時々魔物の群れが襲ってくる程度。

「魔物が随分積み荷を気にしているが、中は食べ物なのか?」

狼型の魔物を斬り伏せながらカタリナが問うと、御者席に座るシェロカルテは頷いた。

「ええ〜。じゃがいもとパンが200個程度〜」
「200!?依頼人は息子と二人暮らしだと聞いたが……」
「はい〜。裕福なお宅なので、定期的にパーティーでも開催しているのでしょうね〜。2ヶ月ほど前から、数日に一回、これくらいの大口注文がありますよ〜」
「そ、そうなのか……。」

自分の生家でも定期的にパーティーを開催していたヴィーラは特に何も思わず、カタリナを狙う魔物を一匹切り払った。血飛沫が積み荷に飛ばないよう最新の注意を払う。剣を振るう指先に乱れは無い。記憶を無くした件で戦いにも支障が出たらと心配していたが、杞憂だったようだ。

「ヴィーラさんっ」

団長の声。
考えるより先に手足が動いて、背後に迫っていた羽の生えた魔物を振り返りざまに斬った。

今、名前の呼び方だけで団長の意図が分かった気がしたが、気のせいだろう。団長が自分を見ているのが分かっていたが、無視をした。なんとなく。







依頼人であるエイビス伯爵は、髭も眉毛もしっかりと整えた小綺麗な男性であった。中年太りと思われる腹回りも愛嬌と言えるほど。

「やあやあ、君たちが護衛の騎空団かね。ありがとう。お陰でいつもより荷物が早く届いたよ。」

ジータに握り込ませたのは依頼料とは別のチップだ。
やり取りは任せて、ヴィーラはエイビス伯爵家を観察した。アンティークな調度品はヴィーラの実家と似ているが、特徴的なのは飾られた数々の美術品だ。伯爵の趣味だろうか。彫刻は数えられる程度で、多くは剥製だった。蛇や狐といった動物から、果てはゴブリンまでもがまるで生きているかのようにイキイキとした姿で飾られており、今にも動き出しそうだ。骨でできた龍のような魚のような、見たことの無い不気味な生き物の剥製もあった。本物と見まごうそれらが陳列する様子は博物館のようにも見えたが、独特な薄気味悪さがあった。趣味がいい、とは言えないなと思う。
数々の剥製の中、絵画はロビーの真ん中、1番目立つ場所に1点飾られているのみだった。描かれているのは女性の肖像画。豊かな金髪と、微笑みをたたえた小さな顔が印象的である。

(綺麗な人……。)

「妻だよ。」

声をかけられた。
振り向くと、エイビス伯爵の視線は肖像画に向いていた。

「若い頃に亡くなってしまった。」

寂しげな声音からきっととても愛していたのだろうことが分かって、返事に迷う。

「美しい方ですね。」

伯爵は嬉しそうに、そうだろう、と笑った。





依頼は恙無く終了し、帰ろうとしていたところをシェロカルテに呼び止められた。

「こちら、頼まれていた品です〜」

差し出された箱を前に戸惑う。
注文した記憶がなかった。

シェロカルテは怪訝そうに「団長さんと飲むんだと仰っていましたよ?」と言った。舌打ちを飲み込み、笑顔で代金を支払う。赤いリボンがかけられた小箱は、確かにヴィーラが好んで飲む紅茶店のものだった。

(お気に入りの紅茶を……?団長さんのために取り寄せた?私が??)

思い出そうとしても、記憶の箱には鍵がかかっている。
紅茶を頼んだということは、きっとお茶会の約束をしていたのだろう。
いつだったのかは、分からなくなってしまった。







多くの人が暮らすグランサイファーは夜も賑やかなことが多いが、流石に21時を過ぎると静かなものであった。冷たい風がひやりとヴィーラの頬を撫でては通り過ぎていく。頭上には満天の星。頭の奥がくすぐったい。何か、ひっかかっているような。誰かと星を見るのが……好きだったような。

ガチャリと音がして、船室に続く扉が開いた。出てきた団長はヴィーラに気づくとあからさまにギョッとした顔をして戻ろうとしたので、「あっ……、」思わず手首を掴んでしまった。
掴んでしまった。何も言うことなんて無いのに。

「……ヴィーラさん?」

訝しげな声に怯む。
手は離れてしまった。

「……団長さんも、風に当たりに?」
「あー、うん。その……、あー、そう、だね。」

この時間はヴィーラと星を見ていることが多かった、という言葉を飲み込んだことに、ヴィーラは気が付かなかった。

沈黙。

団長の目が右に左に泳いで、ややもせず踵を返した。

「……じゃあ。冷える前に入りなよ。」

振り返る金髪を、今度は止められなかった。
船室へと消える彼女の小さな背を見送ってから、「紅茶……、」思い出す。聞けばよかった。
ほとんど息のようなヴィーラの呟きだけが、いつまでも宙ぶらりんで浮いていた。



(20240415)

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