花と微睡む





は、と目が覚めた。

見慣れた自室の天井を見上げて暫し固まる。ひとつ、ふたつとまばたきを繰り返し、ようやく頭と心が体に追いついたようだった。此処はグランサイファーで、グランサイファーはポート・ブリーズに停泊中で、今は深夜だ。ひとつひとつ確認する。悪夢を見た後特有の、時間や自分が分からなくなる感覚が薄れていく。
同じベッドで眠るビィが起きなくて良かったと思って、ふくふくした頬に手を伸ばしかけて、辞めた。指先が冷えきって氷のようだったので。







その日、実家での野暮用を済ませたヴィーラは数日ぶりにグランサイファーに戻ってきた。仲間たちは騒々しく、共有スペースは皆が持ち寄ったものでごちゃついていて、人が多くて一人の時間が取りにくいくらいだけれども、本物の実家より『実家み』があるのが何だかおかしい。
すれ違う団員達にただいま戻りましたと挨拶をしながらダイニングにたどり着き、そこでジータを見つけた。

「あっ、ヴィーラさん!おかえり!」

ヘイゼルナッツ色の瞳がふにゃりと歪む。違和感。
ヴィーラはにっこりした。


「ジータさん、お話があります。」


ダイニングの空気が凍りつく音が聞こえるようだった。何もおかしなことは言っていないというのに失礼なことだ。
向けられる数々の視線をものともせず、ヴィーラは笑みを湛えたまま言った。

「お茶の用意をしておきますので、今から10分後に部屋にいらしてください。」
「えっ?今から?」
「今から。」

一方的に約束をして、返事も聞かずに踵を返す。向かったキッチンで、牛乳の瓶を手に取った。






ジータは時間きっかりにやってきた。必要以上にニコニコしているのは、どうやら煙に巻こうとしているようだと理解して、腹が立った。駆け引きの必要があるらしい。

先制はヴィーラが取った。以前ルナールから聞いた『壁ドン』なるものが一瞬頭をよぎったが、多分ジータは暴力に強い。ならば、と殊更優しく頤に手をかける。大人になりきらない頬の曲線を、ツウと辿って、手のひらで包み込んだ。

「いつから寝てないのですか」

唇の間から細く息を漏らすように尋ねた。意図して優しく聞こえるよう調整された声音に、ジータが息を飲む。もう一押しかと思われたが、薄く笑った彼女はすぐに平静を取り繕った。

「なんのこと?」

小首を傾げたジータの目の下。薄い皮膚を親指の腹でなぞる。

「クマ」
「えっ!?朝は無かったのに……ッ、」

そこまで言って、ようやく自白したと気がついたようだった。ハッと口を塞いで、気まずそうに此方を見たジータの桜色の唇が、みるみる尖っていく。

「……カマかけたの」
「そうでもしなければしらばっくれるつもりだったでしょう。」
「だって大したことないんだもん。全く寝れて無いわけじゃないし」
「……昨日の睡眠時間は?」
「…………2時間くらい?」
「一般的には、それは『寝不足』と言います。」

何処まで触れてもいいものか、慎重に距離を測る。

「理由を聞いても?」

そこでようやく、ジータは観念したようだった。




「夢を見るの。カタリナや、ラカムや、イオやオイゲンやビィや……ヴィーラさんや、みんなが私を『特異点』と呼ぶ夢。段々自分が誰だか分からなくなって、自分の名前も思い出せなくなって……目が覚める。」


そう言ったジータは小さく笑っていた。

それはとても怖いことのように思われた。
特異点と呼ばれ、本人の意思関係なしに寄せられる期待や敵意。変わってやることはできないし、気持ちが分かるなんて口が裂けても言えないが、もう少し、気にかけてあげるべきだったのかもしれない。

分かりますよ、とか。
大変だよね、とか。
そんなことはきっと求められていないから、代わりに名前を呼んだ。

「ジータさん。」

榛色の瞳がキョトと動いて此方を見上げる。
腕っ節が強くて、意思が強くて、割と気も強くて、けれど繊細な、弱い所もある女の子。

「忘れていませんよ、ジータさん。」

うん、とはにかむ様は木漏れ日のようだった。





いきなり寝ろと言っても無理だと思ったので、まずは2人でテーブルを囲んだ。テーブルの上にティーカップではなくマグカップが置いてあることに気付いたジータが珍しそうに瞬く。

「今日はコレなんです」

ポットから注いだのはあたたかいミルクだった。先程キッチンから拝借してきたものである。特有の香りに混じるほのかな甘い香りに、ジータが鼻をヒクヒク鳴らした。

「メープルシロップ?」
「当たり。」
「懐かしいなぁ!子供の頃よく飲んだよ。その時は蜂蜜だったけど」

ミルクを注いだマグを両手で包み込んだジータが、ホッと息をつく。それから思い出したように、ポケットから小瓶を取り出した。

「これは?」

10センチほどの高さの、口が広いガラス瓶にはコルクで栓がしてあった。中には花が入っている。ビオラ、スイートピー、ベゴニア……とにかく沢山の種類があるようだった。


「これ食べられるんだって。」
「えっ?食べ物なんですか?」
「うん。エディブルフラワーの砂糖漬けって言うらしいよ。ヴィーラさんに似合うかなと思って買ってきた。茶菓子になるかな?」

まあ今日は『茶菓子』じゃなくて『ミルク菓子』だけど。なんて言って笑うジータが小皿に少し中身を取り分ける間、ヴィーラは少し照れていた。こんなにも綺麗なものが似合うと言って貰えるのが、嬉しかった。

「何味なんですか?」
「さあ?露店のお兄さんは『お花とお砂糖味』って言ってたよ。」
「そのままじゃないですか」

ひとつ、摘む。
鮮やかなオレンジ色をしたビオラだった。
恐る恐る唇の間に挟んでくわえてみると、口腔内に春めいた香りが広がった。食む。金平糖やべっこう飴に似た、純粋で素朴な甘み。

「どう?」
「お花とお砂糖味です。」
「情報量が増えない!私も食べよう」

ジータが摘んだのは赤いベゴニアで、まるでナッツでも食べるかのように口の中に放り込んだ。もぐもぐ咀嚼して、鼻から春の匂いの息をはく。

「……お花とお砂糖味だ。」

二人で声を上げて笑った。




花の砂糖漬けは、ホットミルクに良く合った。離れていた数日分の近況報告をしながら、時折舌で春を弄ぶ。ひとつ、ふたつと花は消えていき、ホットミルクが無くなる頃には小皿は空になっていた。
優しい甘さでお腹が満たされて、胃の腑があったかくなる頃には、ジータは舟を漕いでいた。数日眠れていないようだから無理もない。
眠気を妨げないようできるだけ優しくベッドにエスコートして、二人で寝転がった。お互いの体温で十分あたたかいので、薄手のタオルケットを1枚だけかける。

「おやすみなさい、ジータさん。」

まどろみに半分足を突っ込んだジータが、歌うように返した。

「おやすみ、ヴィーラさん。」



喋る者が居なくなった室内には、時折あたたかな風が寄り道をしてレェスのカーテンを膨らませ、眠るジータの頬にやわらかな影を落とした。
気まぐれに強くなる風を見かねて、ヴィーラは人差し指を唇の前に立てた。

「……ティアマトさん、しー。今寝たところですから。」

声が聞こえたのか否か、その後風は強まることなく、ジータが夕食まで起きることもなかった。

とある春の出来事だ。







(20250415)

すっぱい葡萄前日譚

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