はじめはほんの些細な変化だった。
最近、おっぱいが少し張るなあ。子宮の当たりがチクチクするなあ。
そこで私は思った。あ、もうすぐ生理くるわ…。
ため息を吐きながらスマホのアプリを起動する。もうすぐあの憂鬱な一週間が始まると思うと気分がどんよりと曇っていく。これは絶対女の人にしか分からない苦痛だし男の人も絶対月一で同じような苦しみを味わうべきだと思う。なんで女ばっかりこんな目にー。ムカつくー。死ねー。心の中で呪詛を吐きながら画面を見て、あれ?と首を傾げる。
画面に表示されている生理予定日が、ちょうど一週間前の日にちだったからだ。
…まあでも最近悟や硝子は勿論のこと、学長にですら顔が死んでいると心配されるくらいの激務だったから、もしかしたら生理が遅れているのは疲労やストレスが原因なのかもしれない。
はじめはそう深く考えなかったし、ましてやそれを悟に相談するなんてこともなかった。
だけど日にちが経つごとに、身体の変化が少しづつ増えていった。なんとなく身体がだるくて、めちゃくちゃ疲れやすくなった。いつもなら簡単にこなせるような任務ですら、終わった後に座り込んで息切れするようになってしまって、流石に働きすぎなのか自分、とストレスがより一層高まって元々短気な性格がもっと短気になってくだらないことで悟と喧嘩することが増えた。
はーー…と深いため息を吐きながら廊下をすたすたと歩いていると、前方から悟が資料片手に歩いてくる。昨日も喧嘩してまだ仲直りしていない身としては少し気まずい。そのまま横を素通りしようとしたら、ガシッと片腕を掴まれて なに? とその顔をギロリと睨みつける。黒いアイマスクが目元を覆っていて今どんな表情をしているのか分からないけど、とにかく私は今凄く怒ってるの。昨日私が楽しみにしていたプレミアムプリンを勝手に食べた罪は重いからな!
「…ごめん」
「……それは何に対してのごめんなの?」
「なまえのプレミアムプリン、勝手に食べちゃってごめんなさい…」
しゅんっとしながら小さな声でポツリとそう呟く悟に思わずふっと笑みが零れる。天上天下唯我独尊。そんな男が人のプリンを勝手に食べてそれに対して謝罪するなんてただただ愛おしいでしかないでしょう。もう、かわいいなあ。基本旦那様ラブの私なんてこんな感じでチョロすぎるのだ。さっきまでのイライラなんてこんなに簡単に吹き飛んでしまう。
「もう、今回だけだからね」
もうすでに四度目ですけどね。あれ?仏の顔も三度まで…って言うけどつまり私は仏様より心の広い女神様だってこと?まあそんなこともうどうでもいいや。
なまえ〜っ!嬉しそうにぎゅううううっと抱きしめてくる悟の背中に腕を回す。ここ高専の廊下ですけどね。今思いっきり真希と棘とバッチリ目が合ったけど。
つか真希そんな汚物を見るような顔で私達を見ないで!よーく見ろ!私達顔だけなら芸能人顔負けの美貌だから!おいこら棘!お前はニヤニヤしながら写メ撮るな!クソッかわいいなあおい!
私に夢中な悟は真希と棘の存在に全く気付いていない。よっぽど私と仲直りできたのが嬉しいのか、さっきからずっと私を抱きしめながら顔をスリスリ擦り寄せてきて思わずかわいいなあと頬が緩んでしまう。結婚してからもう一年経つけど、私達は付き合った頃からずっと変わらずラブラブなのだ。
「…ねえ、」
心配気な声でそう言った悟はいきなり私からすっと離れると、おでこに片手を当ててきて「もしかしてなまえ、熱ある…?」と不安そうに聞いてきた。ねつ。熱…?そういえば最近ずっと身体が熱っぽいなあ、とは思っていたけど、まさか熱があるとは考えもしなかった。というか、そんなこと気にしていられる余裕も時間もなかったし。
「そういえば最近身体だるかったし熱っぽかったような…?」
「今すぐ病院行くよ。僕連れてくから」
「いや私これから任務あるし。悟だって授業あるでしょ?」
「任務なんて代わりのやつ手配させるから大丈夫。授業も自習にするからなまえはなにも心配いらないよ」
「いやでも…えー…てか大丈夫だよ。どうせ微熱だし」
「だめ。絶対だめ。僕の言うこと聞いて、お願いだから」
これだけ必死な悟は珍しくて、少し物珍しく思ってしまう。たかが熱っぽいってだけで大袈裟だよと思う反面、これだけ私のことを心配してくれる悟に心がほんわり暖かくなる。つまりは純粋に嬉しいのだ。「…分かった」小さくそう言うと、悟は心底安心したようにホッと息を吐いて、すぐにスマホを手に取り電話をかけはじめた。話の内容的に相手は間違いなく伊地知だろう。
ドンマイ、伊地知。
▽
病院に着いたら1時間近く待って、ようやく呼ばれて診察室に入って今までの症状を事細かく話すと、「とりあえず内診してみようか」と医師から言われて、「内診?」と不思議そうに問いかける私に対して医師は何食わぬ顔で「妊娠しているかもしれないから、とりあえず内診してみよう」と言った。
え、妊娠? 思わず目をまんまるに見開く。
ただの風邪かと思っていたから予想外の展開に少しだけ動揺してしまう。心当たりは、ある。結婚して一年が過ぎて、ようやく悟も私と同じ気持ち…赤ちゃんが欲しいと言ってくれて、その日は朝まで中出しされた。まさか…本当に?本当に私、妊娠しているの?心臓がばくばく煩くなる。
ずっとずっと、願っていた。悟と私の赤ちゃんがほしいって。悟と一生の愛を誓ったあの日から、ずーっと。
「…いますね。赤ちゃん」
「えっ」
「ほら、ここ。黒い丸っぽいのあるでしょ?これが“胎嚢”。赤ちゃんのお部屋だよ。で、ここにいるのが赤ちゃん。元気に心臓が動いていますね」
「っ」
「おめでとうございます」
穏やかな声色でカーテン越しにそう言われて、ぽろぽろと涙が溢れ落ちる。嬉しいなんてそんな簡単な言葉じゃ言い表わせないくらいの幸福に満たされて、涙が止まらない。穏やかな笑みを浮かべる医師にエコー写真を渡されて、大事にファイルに入れて、鞄の中にしまう。このエコー写真を見せた時の悟の顔を思い浮かべると、自然に笑みがこぼれた。悟、泣くかなあ。それともめちゃくちゃ喜ぶかなあ。
待合室に足を踏み入れると、すぐに心配そうな顔で駆け寄ってくる悟。そんな悟を熱い眼差しで見つめている女達にげんなりしてしまう。
残念でしたー。この超絶イケメンは既婚者ですよー。ていうか悟に釣り合う女なんてこの世に私(と硝子)くらいしかいないですから。心の中でそんな悪態を吐いていると、悟がぐいっと私の顔を覗き込んできて、「なまえ、泣いてるの!?」と焦った顔で聞いてきて、そのまままたおでこに手のひらを当てられる。
「まだちょっと熱いな…なまえ、大丈夫?泣くほど身体えらい?先生はなんて?」
本当に心の底から私のことを心配してくれていることが伝わってきて、おさまったはずの涙腺がまた一気に緩みはじめる。だいすき。愛してる。死ぬことが救いだと思っていた私に幸せを、愛を教えてくれたのは他の誰でもない、悟なの。悟は私の、生きる希望なんだよ。
「ここに、悟と私の、赤ちゃんがいるの」
お腹をさすりながらそう言えば、悟は一瞬キョトンとして、そしてすぐに満面の笑みになって「マジで!?!?!」と病院中に響き渡るくらいの大きな声でそう叫んだ。この時の悟の嬉しそうな顔は今でも鮮明に覚えているよ。
お会計を済ませて二人の住む家に帰ってきて「ここにいるのが、私達の赤ちゃんだよ」とエコー写真を見せたら、「この子が、僕となまえの、赤ちゃん」独り言のようにポツリとそう呟いて、そしてその青空のように澄んだ瞳から、綺麗な涙がぽろぽろと溢れ落ちた。
「なまえ」
「ん?なあに?」
「僕が一生をかけて、なまえと子供を守るから」
▽
すぐに4人で集まる機会を作って、悟と一緒に硝子と傑に妊娠報告をした。まだ安定期じゃないから報告をするのは私達の大事な硝子と傑、そしてもう悪阻がはじまってるから、仕事に迷惑をかける前に学長に報告すると決めていた。
硝子と傑ははじめこそ凄く驚いた顔をして、そしてすぐに満面の笑みになって祝福してくれた。硝子なんてお酒が入っているとはいえエコー写真を見せた瞬間にぽろぽろ泣きはじめて、それを面白がって悟と傑が動画で撮って気付いた硝子にぶん殴られて私はアホみたいにお腹を抱えてケラケラ笑った。
なんか学生時代に戻ったみたいだね。穏やかな顔でそう言った傑に悟は「僕達はずっと変わらないよ」と微笑みながらそう言って、なんだか少しだけ泣きそうになった。
学長に悟と報告をしたら、「あの悟となまえがついに親になるのか…」と涙ぐんで思わず二人してギョッとした。流石私達の心のお父さん…。
付き合う前から思っていたけど、悟は私に対して結構な過保護だと思う。それこそ任務が終わるのが遅かったり、硝子と遊びに行って少し帰りが遅くなってしまうとすぐに迎えに来てくれたし、任務で少し怪我をしただけで毎回血相変えて駆け寄ってきた。大事にされている自覚はあったし、何年経っても変わらないそんな愛情表現が凄く嬉しかった。
だけど妊娠が分かってからの悟は、今までの比じゃないくらい過保護だと思う。
任務は全てなくなって、出産後の一年までは学校の授業と簡単な事務仕事だけになった。これはもう本当に有難いとしか言いようがない。正直万年人手不足、the ブラック企業のこの業界で日本にたった5人しかいない特級術師の1人である私が、まさか年単位で任務を休めるとは夢にも思っていなかったからだ。悟に一体どうしたの?と聞いたら、なまえは何も心配しなくていいから、今はお腹の赤ちゃんと自分の身体を最優先にしてね。と天使のような笑みでそう言われた。
そこで私は悟った。あ、五条家でてきたな、と。
そうだ私すっかり忘れてた。悟って五条家の当主様で私のお腹の中いる天使はつまり五条家の跡継ぎになるわけじゃん。もし女の子でも、あの六眼と無下限術式の抱き合わせの悟の血を引き継いだ大切な子だ。
結婚後に本家に住めと言ってきた五条家の人間をいいように言いくるめて結婚後も二人だけで住めているからすっかり忘れてたわ…。まあとにかく有難いことには変わりないから、感謝しなくては。
妊婦検診も、私の仕事を代わりに引き受けていて普段よりずっと多忙なはずなのに、毎回必ず時間を作って一緒について来てくれて、少しづつ大きく成長していく赤ちゃんを一緒に見ては感動して涙ぐんでいた。
安定期まで続いた地獄のような悪阻も、悟がいたから乗り越えられた。トイレで嘔吐して吐きすぎて喉が切れて出血までして、あまりの辛さに「もうやだぁ…辛いよぉ…っ」と号泣する私の背中をずっと優しくさすってくれて、食欲がない私のために食べれそうなものを仕事終わりにたくさん買ってきてくれたり、作ってくれたりした。情緒不安定になってなかなか眠れない日は朝まで優しく抱きしめてくれたし、家事も全て悟がしてくれた。もう私の旦那様世界一って本気で思ったよ。
「なまえ。もうタバコ吸ってないよね?」
「吸ってないよ〜。ちゃんとお腹の赤ちゃんのために禁煙続けてますー。なんで?」
「いや、なんか煙臭いから」
「あー…さっきコンビニ寄ってきたからその時にタバコ吸ってたおっさんの匂いがついたのかも…」
「コンビニ!!!?なんで!?!!」
「えっ…なんか喉乾いたからお茶買おうと思って…」
「そんなの言ってくれたら僕が買ってきたのに!!なまえはお腹の中で1人の人間を育ててるんだから、絶対に無理だけはしないで!!!」
「いや無理はしてないよ…?」
「家事は絶対にしないでね。転んだりしたら危ないから。後仕事終わりは真っ直ぐに帰ること。なんかあったらすぐに僕に連絡して。飛んでくから」
「…うん、分かった。ありがとう、悟」
その優しさが嬉しいけど少しだけ照れ臭くてぎゅうっと悟に抱きつくと、悟は私にちゅっと触れるだけのキスを落とす。
「本当に本当に愛してる…。なまえと出会えて、なまえと結ばれて、なまえと僕の宝物を授かってくれて。幸せすぎて涙が出そうだよ。
ありがとう。なまえは僕の命より大切で、かけがえのない存在で、僕の全てなんだよ」
宝石のようにキラキラと輝く瞳が私を映しだす。綺麗、なんてそんな言葉じゃ言い表わせないくらい、碧く澄んだ瞳。その瞳に見つめられるたび、私は幸福に溺れて窒息しそうになってしまうの。悟は私を全てだと言うけれど、それは私も同じなんだよ。悟は私の全てなの。本当に、愛してるの。悟の頭のてっぺんから足のつま先まで全て愛おしくてたまらないの。
「あっ!今お腹蹴ったよな?!もしかしたらお前も泣き虫なママを心配してるのかー?」
「…泣き虫じゃないもんっ」
「嘘つき。泣いてるじゃん」
「…だって、」
「幸せすぎて泣いちゃったの?」
「…うん」
「ふふ。僕の奥様は世界一かわいいなあ」
「…一番は赤ちゃんじゃないの?」
「一番はなまえ。誰よりも愛してる。そんななまえとの愛おしい赤ちゃんだから、宝物のように大切に想えるんだよ」
うん。そうだね。私も悟と同じ気持ちだよ。
もうすぐ産まれてくる赤ちゃんはどっちに似てるかな?私かな?それとも、悟かな?
これからの生活が楽しみで仕方ないよ。
悟とこの子がいれば、辛いことでもなんでも乗り越えられる気がするんだ。だって、愛ってそういうものでしょう?
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