「さとる」


甘く澄み通った美しい声が、私の耳に響く。

ザザ降りだった雨が、ポツポツとした小雨に変わってゆく。
五条さんは後ろを振り返ると、すぐにその女性の元に駆け寄り、ぎゅうっと愛おしそうに彼女のことを抱きしめた。


ああ、この人が、


「久しぶり。ねえ…私のこと、覚えてる?」


ふっと笑う彼女と視線が交わる。あの頃より洗練された美貌に驚いて、目を見開く。まああの頃はお互い中学生だったし、成長しているのは当たり前かと勝手に頭の中で納得したけれど。


清宮なまえ。


昔から嫌味なくらい、顔が綺麗な女だった。
中学に入学してすぐにファンクラブが結成されて、他校から噂を聞きつけた男子達が校門の前で待ち伏せしては、まるで本物のアイドルのように清宮を見てちやほやともてはやしていた。
サッカー部のエース、三年のかっこいい先輩、同級生の目立つチャラ男。校内でも有名なモテる男子から次々と告白されても振るばかりで、気付けば「あの女調子乗ってない?」なんて女子から陰口を言われるようになっていた。


私も最初はその中の1人だった。


単純に男子達にちやほやされているのが気に食わなかったから。私の方が愛想良いのに。私の方が優しいのに。私だって、かわいいのに。


「清宮って顔は綺麗かもしれないけどいっつも髪ボサボサじゃね?」
「分かる〜もしかしてお風呂入ってないんじゃね?」
「はwwwやばwwww」
「腕とか傷だらけだし。あんな汚ねえ女のどこがいいんだか」


クスクスと笑いながらわざと清宮に聞こえるように悪口を言っても、清宮からの反応はいつもない。泣くわけでも怒るわけでもなく、まるで何も聞こえていないような顔をして、いつも通りただ本を読んでいるだけ。

むかつく。
私達のことなんてまるで眼中にないみたいなその態度が、余計に私達をイライラさせた。







中学一年の冬。クリスマスが目前に迫ったある日に、入学してからずっと片想いをしていた二年生の先輩に勇気を出して告白した。少し困ったような顔をする先輩に、振られてしまうんだとすぐに悟った。まあ、先輩はかっこいいけどバスケ命なところがあるし、今はわざと恋人を作らないのかもしれない。


「ごめんなさい…」


勿論ショックだけど…私はまだ先輩を諦めるつもりはないし、先輩の部活が落ち着いた頃にまた告白しよう。この時はそんなことを思っていた。











その数日後だった。先輩が清宮に告白して振られたという噂が耳に入ったのは。
ショックだった。振られた時とは比にならないくらい。なんで…なんで清宮なの?顔が綺麗だから?たったそれだけで、あの女は私の好きな人を奪ったの?
落ち込んでいた気持ちは、日に日に怒りに変わっていって、いつしかそれは憎悪になった。


あの女がいなければ、今頃先輩は私のモノになっているはずだったのに。あの女のせいで、私は先輩に振られた。あの女さえいなければ、私はーー。



殺したいと思った。だけど流石にそれは犯罪だし、警察に捕まるのは御免だ。じゃあどうしたら、あの女は死んでくれるの?


あ、そうだ。
自殺に追い込めばいいんだっ!


我ながらナイスアイデアだと思った。
そして早速次の日から実行に移した。

清宮の教科書や体操服を盗んで、ボロボロにして学校のゴミ箱に捨てた。上履きに画鋲を忍ばせた。机の中に大量の虫の死骸を詰め込んだ。
流石に泣くかな?そんなことを思っていたのに、清宮はまるで何も気にしていない様子で、驚くほど普段通りだった。そんな姿に死ぬほどイライラして頭がおかしくなりそうだった。
泣けよ。泣いて泣いて、悩んで苦しんで死にたくなれよ!!!



こんな優しいものじゃ駄目だとようやく気付いた私は、清宮を嫌っている女子達を上手いこと言いくるめて、集団でいじめるようになった。それは徐々にエスカレートしていって、殴ったり蹴ったり、時にはモップで頭を殴ったりもした。それでも清宮は泣かなかった。それどころか痛みすら感じていないような顔をして、「もう終わり?」なんて挑発的にそんなことを言ってくる日もあった。
ここまでくると気が強いとかそういうレベルではない。もはや感情を持たないロボットのように思えてきて、流石に薄気味悪くて二年に上がってクラスが別々になったのを機にいじめを辞めてそれから清宮と一切関わることはなかった。











「………わすれるわけ、ないでしょ」


あんな気狂い、忘れる方が無理だ。

震える声でそう言えば、清宮はふわりと柔らかく微笑んで「良かった〜♡」なんて声を弾ませる。…清宮って、こんなに表情豊かな人間だったっけ。


「私もねえ、美々ちゃんのこと、ずうっと覚えてたよ♡」


目がすっと細められて、ぞわりと背筋が粟立つ。
その得体の知れない恐怖に、全身から嫌な汗が吹き出す。やっぱりコイツは、あの頃から何一つ、変わっていない。怖い。怖い。逃げたい。ひっ…と思わず尻もちをつく私に、清宮を抱きしめたままの五条さんはまるでゴミを見るような目で私を見る。


「お前がなまえにしたこと、僕はぜーんぶ知ってるよ」
「あっ…」
「偶然デート中になまえがお前のこと見つけて、そして僕に教えてくれたんだよ。中学の時、お前がどれだけなまえに酷いことをしたのか」
「……っ」
「僕はねえ、なまえのことを愛してる。誰よりも、何よりも。だから…ね?僕の愛してる彼女を傷付ける奴は、例え過去の事だろうが許すことができないんだよねえ」
「……ゃっ…」


五条さんが清宮から離れて、ゆっくりと此方に向かって歩いてくる。口角は釣り上がっているはずなのに、その瞳はどこまでも冷たくて。あまりの恐怖に、身体が硬直して、逃げることすらできない。



「だから僕決めたんだ。
美々ちゃんの大切なものを、奪おうって」



目の前まで来た五条さんは、まるで無邪気な子供のような笑顔で、そんなことを言う。
目を見開く私に、五条さんはニコニコしながら私の首を指差す。


「本当は消そうと思ったんだけど、なまえがそれじゃつまらないって言うから。僕のお姫様はワガママなんだよねえ。ま、そんなところもかわいくて好きなんだけど♡」
「ちょっとさとる〜だぁれがワガママだって〜?」
「ん〜?なまえちゃーーん♡」
「もぉ!私ワガママじゃないもん!」
「ハイハイ♡なまえちゃんは優しくて良い子だもんね〜?」
「なにその言い方クソむかつく!!!」


2人の声がだんだんと遠ざかっていく。消すって…五条さんは私のことを殺そうとしていたの?自分の恋人が昔いじめられたから…?
確かに私は清宮に酷いことをしたのかもしれない。でもだからって、じゃあいじめた奴殺そうってなる?
…五条さんは、異常だ。
清宮も五条さんも、普通じゃない。
後ずさる私に、五条さんはにっこりと笑う。


「このクソ忙しい中、美々ちゃんのことたくさん調べたんだよ。優しい旦那に、かわいい子供。幸せいっぱいの三人家族。
正直かなりムカついたよねえ。僕のなまえにあんなことしといて、よくもまあ平然と生きてられるなって」
「……っ」
「だから優しい旦那とかわいい子供を奪おうと思って」
「……今までのは、そのための…私と五条さんが不倫してるって思わせるための、演技だったの…?」
「うん♡じゃなきゃお前みたいなクソ女抱きしめるわけねーじゃん」
「悟、その話はやめて」
「は〜〜〜嫉妬してるなまえマジでかわいい…」
「本気で怒るよ?」
「ごめんなさい」


頭の中で走馬灯のように、五条さんと出会った時の記憶が蘇る。五条さんが財布を落としたのは偶然ではなかった。あの時に財布を拾わなければ…今頃私は旦那と息子とありふれた…だけどかけがえのない幸せな時間を過ごせていたはずなのに…っ。
視界がじわりと滲んで、ポタポタと涙が地面に落ちてゆく。


「辛い?」
「……」
「なまえはもっと辛かったよ」
「…ご、めん、なさい、」
「そういうのは僕じゃなくて、本人に言うべきじゃないの?」



五条さんの言葉に、ちらりと清宮を見る。視線が交わって、そのあまりの美貌に思わず視線を逸らしてしまう。


「………あの時はひどいことをして、ごめん、なさい…っ」
「ちゃんと私の顔を見て言って?」
「ごめっ…ごめんなさい…っ」
「え〜〜どうしようかな〜〜」
「……っ」
「ふっ。もしかして今イラッとした?」
「ち、ちがっ」
「図星かよ。ほんとクソ」


「……ぐは…っ!!」
「あの時の仕返し♡私優しいから〜これで忘れてあげるね♡」


一気に距離を詰めた清宮に思いっきり蹴り飛ばされて、地面に身体が打ち付けられる。口の中が鉄の味で広がって、全身が痛くて、呼吸も苦しい。


「なまえ〜こんなんでいーの?」
「うん。まあ正直いじめられてた時もブスの僻み乙〜くらいにしか思ってなかったし〜」
「駄目。僕が許せないの。コイツがなまえにしたこと、一生かけて後悔させてやる」
「だからってハグはしてほしくなかった…」
「ん。それはごめん。機嫌直して?」
「いっぱいぎゅーしてくれなきゃ許さない…」
「は?かわい。今夜は寝かせないから」
「ん、期待しとく♡」


…後悔なんて今死ぬほどしてる。もう二度と戻ることない日常に絶望しながら、ぷつりと意識が途絶えた。

















「あのクソ女さあ」
「クソ女?」
「なまえのこといじめてた奴」
「ああ」
「あの後すぐ離婚して旦那に親権取られて全く息子に会わせてもらえない挙句慰謝料も請求されてるらしいよ。ウケる」
「ふはっ。ご愁傷様〜♡」
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