全て私の綺麗じゃないもの



徹のことが好き。いや…この感情は好きなんて言葉じゃ表せない。私は徹のことを、愛してる。それは今この瞬間だって変わらない。


「…っ」


徹の瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちて真っ白なシーツに染みをつくってゆくのを、私はただじっと見つめている。そして、徹の泣いている姿を見るのははじめだなあ…とふと思った。
そう、徹は。私の前で泣いている姿を見せたこともなければ、弱音を吐いたこともない。
インターハイ予選で白鳥沢高校に敗退した時でさえ、徹は私の前で涙の一滴すら見せなかった。
どれだけ悔しかったんだろう。
どれだけ苦しかったんだろう。
それでも徹は私を真っ直ぐに見つめながら「春高で勝つ」と、力強くそう言ってのけたのだ。
今思えば、それは徹なりのプライドだったのかもしれない。それでも私は、徹の弱さを見せてほしかった。徹が辛い時は私が支えたかった。


なんで、どうして、私じゃだめなの。幼馴染の岩ちゃんの前ではきっと泣けるのに。私はこんなにも徹のことを愛してるのに…っ。


すごくすごく、寂しかった。
徹にとって私はそこまでの存在じゃないんだと言われている気がして、胸がズキリと痛んで苦しかった。


ーーだから。徹は私の前でも泣けるんだ…なんて、少しホッとして、それ以上に嬉しかった。
徹は私のことを好きじゃない。だけど、徹と付き合ったこの三年間は、辛いこともたくさんあったけど本当に幸せだったんだよ。
はじめてのデート。
はじめてのキス。
はじめてのセックス。
そのどれもが私にとってはキラキラと輝く宝物のようで、別れてからもずっと私の心の中に在り続けると思う。


「………なんで?」


ポツリと、まるで独り言のように徹が呟いた。その声は今までに聞いたことがないくらい、弱々しくて微かに震えている。



「他に好きな男ができたから…?だから俺と別れるの?」
「ううん、違うよ」
「じゃあなんで?俺が烏野のマネちゃんに声かけたから?怒ってる?」
「……それも違う、」
「じゃあなんでっ!!!!」
「ごめん…もう無理なの…ごめん…」
「はっ…なんだよそれ…意味わかんねえよ…」


徹のことを愛してるから、徹に愛されないままこの関係を続けるのは無理だと思った。
だって徹は知らないでしょう?私ってめちゃくちゃ欲張りな人間なんだよ。
私だけを見てほしい。私だけに優しくしてほしい。私だけを甘やかしてほしい。私だけを愛してほしい。
本当は徹にきゃっきゃっしてる女の子がだいっきらい。徹に彼女がいるの知ってるくせになんで人の男に甘い視線を向けれるの?彼女に悪いと思わないの?そもそもたいしてかわいくもないくせに本気で徹に相手にされると思ってるの?


徹は知らない、私の真っ黒な部分。
でもこれが、本当の私の姿。


徹に愛されないなら…せめて徹にとって綺麗な記憶のままさよならしよう。これが私の最初で最後の…わがままだから。


「別れよう」


自分の意思が揺るがないように、徹の顔を真っ直ぐに見つめながらそう言った。


「やだ」
「とおる」
「やだ、ぜっっったいやだ。別れない。ひまりと別れるとかマジでむりだから」
「、徹、ちゃんと聞いて」
「…仲直りするならちゃんと聞く」


瞳に涙の膜を張って鼻をズピズピと啜りながらそう言う徹はなんだか子供みたいでかわいらしく見える。本当は私も徹と仲直りしたいよ。いつもみたいにぎゅうって抱きついてチューして甘えたい。だけど…。


「徹の好きと私の好きは、違うから」
「は?」
「このまま一緒にいても辛くなるだけだよ」


そう言った瞬間、徹に頭をよしよしと撫でられて、目をパチクリとさせる。


「何が違うの?」
「え?」
「俺はひまりのことを誰よりも何よりも愛してるよ。ひまりは違うの?俺のこと好きじゃなかった?愛してないの?」


嘘をついているようには見えなくて、少しばかり動揺してしまう。それでも全てを信じられるほど、私は頭の悪い人間ではない。


「…烏野の美人なマネの子に告白されたら付き合ってたでしょう?」
「はぁ!?彼女がいるからって振るよ!!」
「自分からナンパしといて?」
「あっ…れはナンパじゃないし」
「どう見てもただのナンパだったよ」
「違う。マジで違うから。ちゃんと弁明させて。岩ちゃんも証人だから!!」
「……私がどんな気持ちでっ…」
「え?」
「徹はかわいい女の子なら誰でもいいんでしょう!?いっつも私の目の前で見せつけるように女の子にデレデレしたり優しくしたりして!!もう我慢するのはいやなの!!今更好きだとか愛してるとか言われてもそんなの信じられないよ…っ」


せめて最後くらいは綺麗な別れ方がしたかったのに。もうこんなの最悪以外の何者でもない。
視界が涙で滲んで、乱暴に手で拭う。こんな情けない姿を見られたくなかった。徹の前ではいつだって、かわいくて綺麗で優しい私でありたかったのに…。



徹の手が伸びてきて、パシッとその手を払う。
徹は目をまん丸に見開いて、そして「ひまり…っ、俺の話を聞いて。頼む。頼むから。少しでいいんだ。お願い」と何度も私に泣きながら懇願した。それでも一度溢れ出した悲しみは自分では抑えることができなくて、こんな状態で冷静に徹の話を聞けるとは思えなかったから、「今日は一人にさせて」と、渋る徹を半端無理矢理部屋から追い出した。












それからどれだけの時間が過ぎたのだろう。
今日はママは夜勤で、パパは相変わらず仕事が忙しくて帰りは深夜のはずだ。カーテンを開けると辺りはもう真っ暗で、そろそろご飯でも作ろうかな…いや食欲ないしまだいいか…なんて思っていた矢先にスマホがブーブーと震えはじめて、電話?誰だろう?と画面を見てタップする。


『おい起きてっか』
『寝てたら電話にでれないよ岩ちゃん。バカなの?』
『あ゛!?お前が電話にでるのが遅ぇから心配したんだろがクソ女!!』
『え〜?心配?』
『あー…お前今家?』
『?うん。どーしたの?なんかあった?』
『今外でれる?』
『なんで?』
『いや…実は今お前ん家のすぐ近くまで来てるんだわ』
『え?!』
『ちょっと話そ。クソ川のこと。色々』


今はもう何も考えたくないのに…誰かに縋りたくなるのは、きっと私が弱い人間だから。