すべて奪われたかった



岩ちゃんとは、徹と付き合ってから仲良くなった。


「岩ちゃん岩ちゃんっ」
「あ?なんだよ」
「紹介するねっ。俺の彼女の栗原ひまりちゃんでーす!」
「は、はじめまして…」
「…どもっす」


徹が一番最初に私のことを“彼女”として紹介してくれたのが、徹の小学生からの幼馴染でバレー部のエースで副主将の、岩泉一だった。
青葉城西のバレーの試合を初めて見た時から岩ちゃんの存在は知っていたけれど、話すのはこの時がはじめてで少しだけ緊張していたのを覚えている。
だって…試合を見た時に思ったの。徹と岩ちゃんは、お互いがお互いを信頼している、特別な関係性なんだって。だから、そんな人に私のことを彼女として紹介してくれたことが、凄く凄く…嬉しかった。


岩ちゃんは徹に対しては特に言葉遣いが荒くて一見ぶっきらぼうに見えるから最初こそそこまで印象は良くなったけれど、岩ちゃんのことを知れば知るほど、どんどん岩ちゃんのことを好きになっていった。
男気があって、頼れる優しいお兄ちゃんみたいな岩ちゃん。
岩ちゃんの彼女になれる子は幸せだろうなあ。岩ちゃんのことを好きになれば良かった…。何度もそう思って、それでも私はどうしたって徹のことしか愛せなくて、その現実に胸が締め付けられる思いをした。


「徹が女の子に告白されてるの見ちゃった…」

「徹が女の子達と肩組んで写真撮ってた…」

「徹が烏野のマネの子ナンパしてた…」


毎度毎度懲りずにもうやだ…辛すぎる…と泣きべそをかく私に岩ちゃんはいつも「及川が好きなのは栗原だから大丈夫だって。ま、俺にはあのクソ川のどこがそんなにいいんか全くわからんけどな!」なんてニカっと歯をむき出しにして笑って髪の毛をくしゃくしゃにされた。
そんな岩ちゃんなりの不器用な優しさにどれだけ私が救われてきたか。岩ちゃんがいなかったら私と徹はきっとここまで続いていなかっただろうな、と本気でそう思うから。
私にとって岩ちゃんの存在は、それだけ大きいものだった。




「ハッ。ひっでー顔。それでも人気モデルかあ?」
「…読モでも泣いたら目腫れるしブサイクになるんですぅ」
「泣いたんか?」
「ん…」
「…彼女を泣かせるなんて、クソ川もひでえ男だなあ」


ぽんぽんと頭を優しく撫でられて、止まったはずの涙がまたぽろぽろと目尻から流れだす。


「…オイ、今泣いたら俺が泣かせたみたいになるだろ」
「いわ、ちゃん…」
「ん?」
「とおると、わかれた」
「…おう」
「…つらいよぉ…っ」


岩ちゃんに腕を掴まれてぐいっと引き寄せられる。
岩ちゃんの身体に包み込まれるように抱きしめられて、そのまま背中を優しくさすられる。


「え?え?」
「あ?なんだよ」
「岩ちゃんがそんな優男みたいなことができるなんてびっくりなんですけど…」
「喧嘩売ってんなら買うぞ?」
「…岩ちゃん、」
「あ?」
「ありがとう」
「ン」
「このまましばらくぎゅっとして」
「………おう」


ドッドッドッ
岩ちゃんの心臓の鼓動の音が聞こえてくる。…もしかして岩ちゃん緊張してる?ハグなんて、当たり前だけど今まで一緒にいて一度もされたことないから、驚いてしまう。


「わっ…」
「カップル?」
「リア充爆破しろ」
「ねたみ乙〜」
「あ゛ぁん?」


隣を通りがかった男の人達の声にバッと岩ちゃんが身体を離す。その瞬間、男の人達と私の視線がぶつかって、片方の人に目をまん丸に見開かれる。


「は?え?うそだろ、栗原ひまり?!」
「え?誰それ」
「はあ?お前ひまりちゃん知らねえの?!めちゃくちゃ人気のある読者モデルだよ!表紙も飾ってる!」
「し、知らねえ」
「お前赤ん坊から出直しこい!!」
「そこまで!?!?」
「……いやでもまさかひまりちゃんに彼氏がいたなんて…はあ…」
「あんだけかわいけりゃそりゃ彼氏の一人や二人いんだろ」
「ひまりちゃんはそんなあばずれじゃねえんだよ!!!!」
「バッ!おまっ!声でけーよ!聞こえるだろ!」


いやもう全部綺麗に聞こえてますけど…。
岩ちゃんを見上げると気まずそうに頭をポリポリと掻いていて、なんとなくそんな岩ちゃんが可愛らしく思えてクスクスと笑ってしまう。


「…なに笑ってんだよ」
「私達カップルだって」
「…まぁ、あんな場面見られたら誰だってそう思うだろ」
「噂になっちゃうかもね?私と岩ちゃん」
「そしたら全力で否定しろよ!!!」
「別に良くない?お互い今フリーなんだし」
「はあ?俺は彼女いるかもしんねえだろうが」
「え?岩ちゃん彼女いるの?」
「…い、いねえけど」
「ほらぁ、やっぱりぃ」
「うっぜえ!!!!」
「…ふはっ」


思わず吹き出して笑うと、岩ちゃんがキョトンとして、そして目を細めていつもみたいに頭をぽんぽんと撫でられる。


「お前は笑ってる顔が一番可愛いよ」
「…えっ」
「な、なんてな!!!」
「あー…うん」
「…おう」


思えば岩ちゃんにバカとかアホとかうざいとかクズとか数えきれないくらいの悪口は言われてきたけど、可愛いなんて面と向かって言われたのははじめてかもしれない。…いや、絶対にはじめてだ。だからなのかな?可愛いなんて言われ慣れてるはずなのに、こんなにも顔が熱くなってしまうのは。


「…及川と栗原はさ」
「ん?」
「すげー似てんだよ。マジで。ウザいくらい」
「ふはっ。ウザいくらい似てるってなに?」
「お互い好きで好きでたまんねえのに肝心なことは何一つ言えねえの。めんどくせぇったらありゃしねー」
「……岩ちゃん、徹は、」
「栗原のこと好きじゃないって?」
「うん…」
「はぁぁぁぁぁ……」
「え、なに…」
「お前は勉強できんのになんでこういうことになると途端に大バカになるんだよふざけんな」
「え?もしかして私ディスられてる?」
「及川はめちゃくちゃ栗原のこと好きだよ。バレー部の中じゃ有名だべ?及川が彼女にぞっこんすぎてやべえって」
「……」
「まだ信じらんねえ?及川のこと」
「…岩ちゃん、ありがとう。でももういいの、もう終わったことだから」


「勝手に終わらせないでよ、ひまり」


え?と声のする方を振り向くと、建物の物陰から少し拗ねているような徹が出てきて、目をまん丸に見開く。


「…とおる?」
「岩ちゃん、ありがとう。めちゃくちゃありがとうなんだけど!!俺の彼女を勝手に抱きしめたりなんかこう…良い雰囲気になるのだけはやめて!!!マジで!!死ぬほどヒヤヒヤしたわ!!!」
「あ?彼女泣かせる奴にんなこと言われたくねえな」
「ぐっ…ぐうの音も出ない…っ」
「これに懲りたら二度とコイツ泣かせんなよ。じゃあな」
「くそっ…岩ちゃんのクセに男前…っ!!!」
「あ゛ぁ?!」


岩ちゃんが徹にブーブーと文句を言いながら去って行くのをぼんやりと見つめていると、徹に後ろからぎゅうっと抱きしめられる。


「とおる、」
「逃げないで、お願い」
「……」
「俺の話を聞いてほしい。頼むから…」
「…なんで?」
「え?」
「徹なら変わりの女の子なんてたくさんいるでしょう?なんでそんなに私に必死になるの?」
「…それ本気で言ってるの?」
「うん」


こくんと頷けば、徹にぐいっと身体の向きを変えられて、目の前には徹がいて…。胸がドキドキして、もう、だめだと思った。


「俺にはひまりしかいない。バレーと、ひまりがいればそれでいい。この先どんなことがあっても、ひまりしか愛せれない。変わりなんていない。俺にとってひまりは、誰よりも特別な女の子なんだよ」


真っ直ぐに徹の瞳に射抜かれて、この顔見たことあるなあ、なんて思って、目が離せなくなる。ああ、そうだ。この顔は、コートの中にいる時にしか見られない、徹の顔。
私は徹のこの顔が、どうしようもないくらい、好きなの。