あなたの場所で生きるだけ



「及川先輩と別れてくれませんか」


真っ直ぐに私を射抜いて、そう私にはっきりと言う女の子の瞳は怒りに燃えている。見覚えのある顔についため息が溢れてしまうのは許してほしい。この子、つい最近徹に手作りのお弁当を渡そうとしていたあの女の子だよね?あの時はっきりと徹はファンの子に伝えていたはずなのに、なんでまた、彼女の私にそんなこと。″めんどくさい″とそのまま気持ちが顔に出ていたのか、その女の子は眉間にぐっとしわを寄せてギロリと私を睨みつける。


「私、及川先輩のことが好きなんです」
「そうなんだ」
「高校に入学して及川先輩に一目惚れしてからずっとずっと好きで。及川先輩に彼女がいるって知っても諦めきれなくて」
「ふふ。一途なんだね」
「からかわないでください!!」


大声でそう叫んで、怒りを露わにする女の子。思わず本当に徹に頬を染めながら手作りのお弁当を渡していた子と同一人物なの?って疑いたくなってしまうくらいの変わりようだ。でもまあ、女の子なんてみんなそんなものか。誰だって、恋する相手には可愛くみられたいもの。


「別にからかってないよ?」
「っ、貴方のそういう余裕ぶってるところ、本当にむかつく」
「ひどい嫌われよう」
「ちょっと有名なモデルだからってなんなの!及川先輩がいるのに他のバレー部員の人たちともイチャイチャしたりして!どうせ及川先輩のことも外見しか見てないんでしょ!?本気じゃないならさっさと別れてよ!!」


え。イチャイチャ…イチャイチャした覚えないんですけど。バレー部員…誰のこと言ってるんだろう。…岩ちゃん?あ、岩ちゃんかな。確かに岩ちゃんとは仲良いけど、岩ちゃんは私と徹が付き合ってること知ってるし、普通に友達だし、お互いに恋愛感情がないの分かってるし。ていうか彼氏である徹にならともかく赤の他人にそんなこと言われる筋合いはないんですけど。


「えーっと…徹以外の男の人とイチャイチャした記憶ないし徹のこと本気で好きだから別れる気はないよ」
「は!?」
「あと…仮に私と徹が別れたとしても、徹私にべた惚れだから、私のこと諦めないと思うけど」
「っ、そんなのわからないじゃない!とにかく及川先輩は貴方に相応しくない!私の方が及川先輩とお似合いなんだから!」


ぎゃんぎゃんと騒ぐその声が耳障りで眉を寄せる。うるさいなあ。

そもそも、さあ。


「え?まさか本気で私から徹を奪えると思ってるの?」


単純に疑問。
今のところ貴方が私に勝てる要素が見当たらないし。容姿にしろ、スタイルにしろ、中身は……私はここまで自分勝手な人間じゃないと思うから私の方がまだいいとして。そのレベルでごちゃごちゃ言われても″恥ずかしくないのかな?″くらいにしか思わないし全く心に響かないんだよね。まあ、少しくらい同情はするけど。


「バカにするのも大概にしろッ!!!」


ぱちん、音ともにじんわりと痛む頬に手を当てる。えー…私今この子にビンタされたの?後輩なのに。親にもそんなことされたことないのに。流石の私もカチンときちゃうよ。


「及川先輩と別れて」
「いやだって言ったら?」
「っ。そんなの許さない」
「うん。分かった」
「えっ」


何を勘違いしたのかパァっと表情が明るい期待に彩られる女の子にこてんと首を傾げてから、そっと携帯を取り出す。


「別れてくれるの!?」
「今から来てもらうね」
「え?誰に…」
「彼氏」
「は?」


目を見開く女の子を無視して着信履歴の一番上にある徹の名前をタップして耳に当てると、すぐに『もしもーし。ひまり?』なんて私の好きな少し鼻にかかった声が聞こえてきて思わず頬が緩んでしまう。やっぱり徹の声、好きだなあ。


『今どこにいるの?』
『今ね、裏庭にいるの』
『裏庭?なんで?』
『徹のファンの子に呼び出されて』
『は?』
『徹も来てくれる?』
『すぐ行くからちょっと待ってて』


焦っているような怒っているようなそんな声色でそう言われてすぐに通話が終わる。不安そうな顔で私を見つめる彼女ににっこりと笑いながら「徹ね、すぐここに来るって」と伝えると、その顔が一気に青ざめる。


「私は徹と別れたくないから、徹に直接言ってくれるかな」
「え、ちょっ
「だって別れてほしいんでしょう?」
「そ、そうだけど、でも
「それともなあに?私には言えるのに、徹には言えないの?
ーーーなんで?」


悔しそうにぐしゃりと顔を歪ませる彼女。はぁ、とため息を吐きだして髪をかきあげる。


「徹は私の彼氏なんだよね」
「…っ」
「徹は私のことが好きで、私も徹のことが好き。申し訳ないけど、貴方の入る隙なんて一ミリたりともないの。その意味分かる?」


顔を覗き込むようにしてそう言えば、綺麗にメイクされたその目に涙が浮かぶ。え。泣きたいのはこっちなんだけど。いきなり裏庭に呼び出されて徹と別れてなんて言われて挙げ句の果てにはビンタまでされて。うん。やっぱりどう考えても今貴方が泣くのはおかしいよね。怒りがふつふつと沸いてくる。


「徹は私のだから」


言って、じわりと涙が滲む。

徹がモテることなんて知ってる。だって徹はかっこいいから。それにバレーをしてる徹の姿なんて見たら、もうだめ。あんなの好きにならない方がおかしい。うん。分かってる。分かってるんだけど…頭で理解していても、心が追いつかないの。徹は私の彼氏なのに。なんで他の女が私の彼氏を好きになるの。好きになんてならないでよ。私から徹を、奪おうとしないで。


ぽたぽたと涙が地面に落とされる。


「ひまり?」


聞き慣れた声にハッとして視線を向けると、驚いたように目を見開いている徹と視線が交わって。そしてすぐに私のところに駆け寄ってきてそのまま腕の中にぎゅうっと閉じ込められる。


「なんで泣いてるの?!」
「とおる、」
「っ、ほっぺ赤いじゃん……ねえ、まさかビンタされた?」


隠すことでもないからこくん、と頷くと、スッとその端正な顔から表情が消える。


「ーーー君?俺の彼女に手を上げたの」


鳥肌が立つ程の殺気を滲ませながら、徹はその子に問いかける。


「あ、及川先輩、わたし…っ」
「質問に答えて」
「ごめんなさい、ごめんなさい…っ」
「謝るってことは、君は俺の彼女に手を上げたって、そういうことだよね?」
「わたし、ほんとに及川先輩のことがすきで…っ」
「俺言ったよね?彼女のことが大切だって。誰よりも何よりも、俺はひまりが大切なの。
申し訳ないけど君のことなんてこれっぽっちも好きじゃない」


私のことを抱きしめたまま、冷たく刺すような声で淡々と言葉を繋ぐ徹は何だか私の知らない人みたいで。だって、こんなにも怒っている徹を、私は今まで見たことがない。知らない。


「…っ、ひっく、ふっ」
「謝って」
「…えっ?」
「聞こえなかった?謝れって言ってんの。ひまりにきちんと、謝罪して」


涙でぐちゃぐちゃになった顔で、その子は私に視線を向けて、頭を下げる。


「ひどいことして、ごめんなさい…っ」
「……」
「わたしっ、わたしっ」
「ひまりになに言ったのか知らないけど、なに言われてもなにされても俺たちは別れないし、ひまりのこと好きな気持ちは変わらないから」
「…っ」
「今後一切俺たちに関わらないで。次もしひまりになにかしたらーー女でも容赦しないから」


私を抱きしめる力がさらに強くなって、徹が守ろうとしてくれているのが伝わってきてこんな状況なのに胸がドキドキと高鳴ってしまう。だってこんなの、ずるい。さっきまで嫉妬で苦しかったのに、今はもう大好きと幸せな気持ちでいっぱいに満たされている。ああ、なんて単純なの。


「…っ」

涙を流しながら走り去る女の子に冷めた目を向けながら、徹は私の頭を優しく撫でる。


「ごめん」
「…なんで徹が謝るの?」
「っ、ひまりのこと、守れなかった」
「ううん。徹は私のこと、ちゃんと守ってくれたよ」


両手で徹の頬を挟んで、ちゅ、と唇を重ねる。


「ありがとう」


嬉しかったんだよ。徹がすぐに来てくれたのも、普段は女の子に優しくて穏やかな徹があんな風に怒ってくれたのも、全部全部、嬉しかった。ああ、私って愛されてるんだなあって、そう思えたんだよ。


「…ほっぺた、痛い?」
「ん、ちょっとね」
「赤くなってる、」
「思いっきりビンタされたからね」
「っ、ほんっとあの女、クソむかつく」


ぎゅうっと苦しいくらい強く抱きしめられながら、「俺もビンタすれば良かった」なんてボソボソ言ってる徹にクスリと笑う。


「ねえ、徹」
「なあに」
「徹はかっこいいから、これからもたくさんの女の子達が徹のことを好きになると思うの」
「俺は…
「でもね、私は誰にも負ける気ないから。徹は誰にも渡さない。だからね、私達はきっと大丈夫だよ」


くしゃりと笑ってそう言えば、徹は目を丸くして私を見つめる。


「″きっと″じゃなくて″絶対″だよ」


見つめ合って、顔を寄せて、また唇が触れ合って。
愛おしいなあって思う。
愛して、愛されて。ああなんて幸せなの。


「俺も誰にも負けるつもりないよ。ーー一生ひまりは俺のものだから」


まるでプロポーズみたいなその言葉に、胸がドキドキと高鳴った。

きっとこの先たくさん喧嘩したり、すれ違うことだってあると思う。もしかしたらもう嫌いって思うこともあるかもしれない。

だけど。


「一生私を大事にしてね」


徹とならどんなことがあっても、乗り越えていける気がするよ。

徹は私の言葉にキョトンとして、そしてすぐに嬉しそうにふにゃりと笑う。


「もちろん!」