譲れないもの

「…っ傑の分からずやっ!石頭っ!もう知らないっ!!」


バーーンと乱暴に扉を開けて泣きながら走り去って行く希の後ろ姿を眺めながらため息を吐く。


「俺は希を追いかけるから、傑はもう少しここで休んどけよ」
「いや私はもう大丈夫…ってもういないし」


光の速さでいなくなった悟にもう私の声は届いていないのだろう。
硝子の反転術式で傷は全て綺麗に治っているし、痛みもほとんどない。反転術式を施される度に改めて同期の凄さと有り難みを実感する。


「良いの?夏油は追いかけなくて」
「今追いかけたとしても頭に血が上った希がまともに私の話しを聞いてくれるとは思わないしね」
「あー…それは言えてる」


硝子はくつくつと笑いながら、医務室のパイプ椅子にどかっと座る。


「愛されてるねえ」
「硝子…君もしかして面白がってるだろ?」
「いんや別に?」


そう言って硝子はボールペンを指でくるくる回しはじめると、さっきまでのにやけ顔を潜めてじっと私を顔を見据える。


「まぁ今回のことはさ、呪術師として夏油は間違ってないよ。むしろ行動としてははなまるだったんじゃない?だって夏油がいなかったらその非術師の親子は間違いなく死んでたしね」
「…そうだね」
「でもまぁ希の…友達としての意見だったら、希の言い分も分からなくはないよ。攻撃の打ち所が悪かったら、実際にあんたは今頃あの世逝きだったし」
「……」
「五条に抱えられながら連れてこられた血まみれの夏油の隣で希が号泣しながら何度も何度もお前の名前を呼んでいた気持ちも、少しは分かってあげなよ」
「…分かってるよ。分かってるけど、私は」
「その続きは私にじゃなくて希に言ってやりな」


そう言ってパイプ椅子から立ち上がりじゃ、と手をひらひらさせながら医務室を後にする硝子。

希の絶望する顔が脳裏に焼き付いて離れない。











今回の任務は登山に訪れた人々が次々と行方を眩ますという怪しい山の調査だった。
何故そんな簡単な任務に1級術師である私と希が抜擢されたかというと、先にその任務に当たっていた準1級術師が亡骸となって帰ってきたからである。


補助監督に帳を降ろしてもらって山の中を歩いているとどこからともなく泣き声が聞こえてきて希と声がする方向に走り出す。そこには震えて泣いているまだ幼い男の子と、その子を庇うように抱き抱えている父親の姿があった。
父親の方は腕を怪我しているようだ。
そしてその親子の目の前には、物凄い呪力量を帯びた呪霊。
一目見て分かる。コイツはーー特級だ。
親子に呪霊は見えていないのだろう、父親は怯えながら辺りをキョロキョロ見渡していた。


1秒でも早くこの親子を呪霊から離れた場所に移動しなければ。希と目で合図して一歩進んだ瞬間、その特級が親子に襲いかかった。


ーー本当に無意識だった。気付いた時には私は全身が激痛で身体中から血が吹き出していた。


「………っすぐる!!!!」


途切れかける意識の中で、希が涙を流しながら私を抱き抱えて何度も何度も名前を呼んでいた。





目が覚めたら見覚えのある真っ白な天井が視界に映って、ここが高専の医務室であることにすぐに気が付いた。どうやら私は助かったらしい。


「すぐる…っ!!!」


すぐに苦しいくらいきつく抱きしめられて、意識を失う前に見た希の苦しそうな泣き顔とかぶって胸が締め付けられる。あんな希の顔を見るのは初めてかもしれない。きっとそれくらい心配をかけてしまった。震える希の背中に腕を回して、いつもするみたいに優しく背中をさすってあげる。


「………生きていて良かった…っ」
「…心配かけてごめんね」
「うっうっ…すぐる…っ」


しばらく抱き合っているとガラガラと扉が開く音が聞こえてきて、顔を向けると目を見開いてる硝子と悟がいた。
そしてぱたぱたとこちらに向かって歩いてくる。


「もう目覚めたの?はやっ」
「さっき硝子と明日までは意識戻らないかもねーって話してたのに。流石傑じゃん」
「…君達第一声がそれって酷くないかい?」


まぁ君達らしいけど、と付け加えれば2人はケラケラ笑いながら近くにあるパイプ椅子に腰をかける。


「もう身体は平気?」
「うん。全く痛くない」
「流石硝子じゃん」
「私を誰だと思ってんの」
「…本当にありがとうございます」
「お礼はタバコで手を打とう」
「もちろん幾らでも献上させて頂きます」
「よし言霊とったからな」
「くくっ」


硝子と悟と話している間もずっと希はグズグズ泣きながら私に抱きついている。
そんな姿に見かねた悟が希の頭をよしよし撫ではじめる。


「希。ほら、もう傑痛くないって」
「……うぅっ…」
「よしよし。希さ、制服傑の血で汚れてたからシャワー浴びて着替えこいって言ってもその間に傑が目が覚めるかもしれないからってなかなか離れなくて大変だったんだぜ」
「…そうなの?」
「どうしても離れないって聞かないから結局私が希の部屋からここまで着替え持ってきたんだよ」
「…えっと、私どれくらい意識失ってたの?」
「ん〜3時間くらい?」
「いや4時間くらいじゃね?」


じゃあ任務にでたのが朝方だったから今は昼過ぎくらいなのか。
そこでふと、重要な事を思い出した。


「あの親子は無事なのか?あの特級の呪霊は…」
「ああ、あの親子は無事だし特級呪霊は俺と希が祓ったからなんも心配いらねーよ」
「悟も来たのか?」
「流石に特級相手に、しかもパンピーと
怪我人すぐる庇いながら希一人は無理があるだろ。希が戦いながら俺に電話してくれたおかげで猛スピードで飛んで行けたよ。感謝しろよな」
「…ありがとう」
「素直じゃん。ウケる」


ケラケラ笑う悟と、何となくいつもより穏やかな表情をしている硝子。
平和な時間が流れている中で、その声はポツリと響いた。


「…………………なんでいきなりあんなことしたの」


いつもより少し低めの声。それは希が怒っている時のものだ。
希は私の身体からすっと離れると、じっと顔を見つめてくる。その瞳はまだ涙で潤んでいて、不覚にも綺麗だと思った。


「…あの場合、傑が出て行かなくても私の術式があればあの親子を守れたし、そうでなくても傑の司令する呪霊を出せば良かったじゃない。なんで傑が…っ。あの呪霊が特級だってことくらい傑だって分かってたでしょ?」
「…分かっていたよ」
「だったらなんでっ…!下手したら傑は死んでたんだよ!?」
「…無意識に身体が動いてたんだ。守らなくちゃって…」
「それで傑が死んだら意味ないじゃないっ…!!!!」


私の両肩を掴んでそう叫ぶように言う希に、悟は「希」と名前を呼んで肩を掴む。


「希。落ち着いて」
「悟は黙ってて!!!」


「もしそうなったとしても、仕方ないと思ってる。それが私の責務だから」
「………それ、本気で言ってるの?」
「弱きを助けるのは強き者の責務だ」
「じゃあ傑は、非術師を助けるために自分が死んでもいいと思ってるの?それが自分の責務だから?」
「そうするしかない状況に陥った時、私は迷わず自分の命を捨てる。それくらいの覚悟はできてる」
「私は許さない。傑が非術師の為に死ぬなんて、そんなの絶対」
「許す許さないの問題じゃないんだよ、希。そもそも呪術は非術師を守るために存在する」
「じゃあ私達は非術師を守るためだけに存在しているってこと?なにそれ。私達は神でも仏でもないんだよ。非術師と同じ人間なの。それなのになんで私達が命をかけて、自分の命を捨ててまで非術師を守らなくちゃいけないの?」
「希。夏油は一応病み上がりだから、今日はこの辺にしとこ」


「それでも私は、非術師を守るためにこの力を使う。誰がなんと言おうと、それが私の責務だと思ってるから」


そう言った瞬間、希の綺麗な瞳からポロポロ涙が零れ落ちて、思わず拭こうと伸ばした手をバシッと強くはたき落とされた。


「…っ傑の分からずやっ!石頭っ!もう知らないっ!!」


そして冒頭の台詞を吐かれたのである。








「………はぁ」


一人残された医務室で深いため息を吐く。


この日から1週間、希と会話をしない日々が続いた。

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