さようならクソ野朗

可愛いとか好きとか愛してるとか、そんな恋人同士で交わされるようなどろどろに甘い台詞は今まで一度も言われたことがなかったけれど、えっちする時の獣みたいなギラギラした目とか、えっちが終わった後に不意に見せてくれる優しい顔を私は知っている。
忘れられないの。所詮セレフという名の関係だったけど、私は本当に彼のことが大好きで大好きで堪らなかった。愛していた。


それでも貴方はいつも私越しに別の誰かを見ていた。
なんで。どうして。私と一緒にいるのに、私を抱いているのに。
お願い、私だけを見て。私を愛してーー。



「……さと、るくん…」


一方的に別れを告げられてから話し合いをしたくても全く連絡がとれなくなって、あまりに突然のことにショックで食欲も沸かず毎日悟くんを思い浮かべては涙を流す日々を過ごしていたのにこんなにも突然彼を目にする時が来るなんて。
学校終わりに気分転換に新宿で買い物でもしようと思い立った自分を褒めてあげたい。

悟くん。会いたかった。本当に、ずっと会いたかったの。





遠目からでも分かる、相も変わらず美しい人。
ドキドキ胸が高鳴って、それと同時に苦しくもなる。だって、悟くんは凄く楽しそうに笑っているから。

悟くんは1人じゃなくて、長身で黒髪のお団子に結んでいる涼やかな顔立ちの男の子と、色素の薄い金色のロングヘアーのモデルみたいな女の子と、黒髪でボブヘアーの垂れ目の女の子と一緒にいた。3人とも、見目麗しい悟くんと並んでも見劣りしない程整った顔立ちをしていて、4人が並んで歩いている姿は何というか圧巻だった。
4人共真っ黒な制服に身を包んでいて、同じ高校の同級生だろうか。確か悟くんは宗教系の学校に通っていると言っていた。美しい人の周りには美しい人が集まるんだなと何処か他人事の様に思った。
周りを歩いている人達はちらちらと悟くん達を見ては顔を赤らめたり、ひそひそ話しをしている。それなのに本人達は全く気にしている素振りを見せないから、こういうことは日常茶飯事のことなんだろうと安易に想像ができた。


悟くんは、私がいなくてもあんなに楽しそうに笑えるんだ。
それもそうか。だって悟くんから別れを告げたんだもん。いや、私達は恋人じゃなくてただのセフレだったから、別れるなんて表現はおかしいか。
私は悟くんに会えなくなってから、泣いてばかりで全然笑えなくなったというのに。胸の奥底からどろりとした黒い感情が湧き出てくる。苦しい。辛い。泣きたい。切ない。


ふと、悟くんと目が合った。
悟くんは一瞬目を見開くと、すぐにふいっと視線を逸らして、隣にいる金髪の綺麗な女の子に微笑みかける。
その優しい顔を見た瞬間に、分かってしまった。
今まで私越しに見ていた誰かが、彼女だということに。
その瞬間、醜い嫉妬心が私を支配して、黒い感情でいっぱいになる。
こんなの、知らない。こんな感情、知りたくなかった。でも、私をこんな風にしたのは、他の誰でもない貴方でしょう?


「……悟くんっ…」


私の横を通り過ぎようとした悟くんの腕を掴むと、悟くんは蔑むような目で私を見て、ヒュッと息を飲んだ。
悟くんのこんなに冷めた瞳を見るのは初めてだ。


「さとる。この子、知り合い?」


隣にいる金髪の綺麗な女の子は首を傾げながら悟くんにそう尋ねる。多分、いや確実に、彼女は悟くんの想い人だ。悟くんがなんて応えるのかドキドキしていると、悟くんは淡々とした口調で「こんな奴知らない」と応えて、胸がずきりと嫌な音を立てた。これは、駄目だ。あまりのショックに油断すると今にも泣き崩れそうで、必死に唇を噛んで堪えた。
その様子に気付いたらしい黒髪の男の子は「悟」と咎めるように名前を呼ぶ。


「だって本当に知らねーもん。あの、誰かと勘違いしてません?」


しれっとした顔でそう言う悟くんにショックを通り越して激しい怒りが湧いてきた。悟くんみたいな容姿の人を誰が見間違うというのか。人を馬鹿にするのも大概にしろ。


「貴方のセフレの亜美菜だよ。覚えてないの?それとも、たくさんいすぎて忘れちゃった?」


そう言うと悟くんはそれはそれは冷ややかな目で私を見下ろす。黒髪の男の子と女の子は手のひらで顔を覆いながらため息を吐いて、金髪の女の子は恐ろしいくらいの無表情で私を見据える。美しい故にその姿は無機質なお人形の様にも見える。本当に綺麗な人だ。悟くんは私の手を乱暴に振り払うと「あーそういやそんなやつもいたな。すっかり忘れてたわ」と心の芯まで凍る冷たい声で言う。


「ていうか、ごめん。こういうのまじで怠いから」
「悟くん、」
「気安く話しかけんな。てかもう関わるなって言ったよな?もうお前と俺は他人なの。分かる?」
「五条」
「だってまじでうぜーもん。ちょっと寝たくらいで勘違いすんなよビッチ」
「…っ」
「悟、辞めろ。流石に言い過ぎだ」
「……私、悟くんのこと、本気で好きだったの…っ」
「ふーん。俺はお前のこと全く好きじゃない」


流石に耐えきれなくて、ぽろぽろと瞳から涙が溢れ落ちる。すすり泣く私に周りの人がじろじろ見てくるけど、今はそんなの気にしていられる余裕なんてない。それくらい辛い。死にたいくらい辛い。黒髪の男の子がそっと私にハンカチを差し出してくれて「大丈夫です」と震える声で言った私に「いいから、使いな。返さなくていいよ。あげる」とギュッと手に握らせた。その優しさにまた涙が溢れ出る。こういう人を好きになれば良かった。本当に馬鹿だ、私。


「じゃ、金輪際俺に関わるなよ」


そう言って足を進めようとした悟くんの腕を金髪の女の子がぐいっと引っ張って、少しよろけた悟くんにその女の子がキスをした。あまりにも突然のことで、思わず涙も止まる。
ぽかんと茫然としている私に、金髪の女の子はふわりと微笑んだ。


「この人、私のだから」


その瞬間、悟くんはそれはそれは嬉しそうに、幸せそうに、その女の子をぎゅーって抱きしめた。さっきまでのあの凍りつくような冷めた瞳をしていた人とは思えない程の変貌ぶりに驚きを隠せない。


「希〜。本当に可愛い。大好き。愛してる。またちゅーして」
「…私が1番好き?」
「1番っていうか、希しか好きじゃない。本当に愛してる」
「んーじゃあ許す」
「可愛い。ヤキモチ妬いちゃった?」
「…ん、妬いた」
「俺が愛してるのは今もこの先もずーっと希だけだよ」


私がずっと欲しかった、どろどろに甘い台詞を当たり前のように享受する彼女が死ぬほど妬ましくて、そして羨ましい。未だ抱きしめ合っている悟くん達の前でただ茫然と立ち尽くす私に黒髪の男の子が「大丈夫?」と声をかけてきた。


「…これが大丈夫に見えますか?」
「はは、そうだよね。ごめんね。でも君にはこれで良かったと思うよ」
「…はぁ?」


思わず怪訝な顔をして見ると、彼は眉を下げて困った様に笑っていて、その顔に思わずどきりとする。そして慌てて首を横に振った。いやいやいくらなんでも失恋したばかりで流石に早すぎるだろう。いやでも、この黒髪の男の子も相当整った顔立ちをしているから少しくらいドキドキしても仕方ない、と思う。うん、私は悪くない。


「あんたさ、男運ないって言われない?」
「…え?」


今度は黒髪の女の子に声をかけられて視線を向けると呆れた顔をしている彼女とバッチリ目が合った。この子も相当な美人さんだ。改めて4人の顔面偏差値の高さに驚きを隠せない。もう芸能人と言われた方が納得がいくレベルだ。


「こんなクズ共よりあんたにはもっとまともな人間が合うと思うよ」
「…え?」
「待て硝子。まさか共って私も入っているのかい?」
「当たり前だろ、誰にでもいい顔しやがって。女タラシ」
「酷い言い様だな」
「まぁ、こういうクズ共にはさ、希…あの無駄に顔だけが良いあの女みたいなイかれた奴くらいしか相手にできないから。あんたにはもっとちゃんとした人がきっと現れるよ」


そう言って黒髪の女の子が頭をよしよし撫でてくれる。その優しさにさっき止まったはずの涙がまた溢れてきて、黒髪の男の子にもらったハンカチで目元を拭った。そうだよね。あんなクズ、とっとと忘れよう。あんなにかっこいい人にはもう二度と出会えないかもしれないけど、それでもちゃんと私だけを見て、めいいっぱい愛してくれる素敵な人と恋愛をして、それでこっちが恥ずかしくなるようなどろどろに甘い台詞をたくさん言ってもらうんだ。


私の存在なんてすっかり忘れて愛おしそうに金髪の女の子にキスをしている悟くんにあっかんべーをした。

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