「やっほー。こんにちは」
東京都立呪術高等専門学校に入学して2週間が過ぎたある日、その人は私達1年の教室に颯爽と現れた。
「こんにちは!」
「…………こんにちは」
バッと席を立ち眩い笑顔で挨拶をする灰原と軽い会釈をして怪訝な顔をしながら小さな声で挨拶をする私に「対照的だねえ」と何が面白いのか分からないが声を上げて楽しそうに笑っている彼女。高専の制服を着用していることから彼女は私達の先輩であることに間違いはないだろう。だが問題はそこではない、何故先輩が私達に会いにきたのか。まだ先生から話は聞いていないがもしかしたらこれから先輩と合同任務なのだろうか?
「あの、何かご用ですか」
純粋に疑問に感じたことをそのまま言葉に発すれば、彼女は少し驚いた顔をした後に「え〜?やだなあ。かわいい後輩に挨拶しにきただけだよ」とふわりと微笑んだ。客観的に見ても、綺麗な人だと思う。現に隣に座っている灰原を見ると可哀想なくらい顔が赤く染まっていた。
「私は2年の清宮希。よろしくね」
「僕は!灰原雄です!よろしくお願いします!」
「灰原くん。元気だね〜。かわいい」
「かわっ…清宮先輩の方がかわいいです!」
「えー照れるなあ」
見つめあってにこにこし合う2人を見て直感で清宮先輩のことを苦手なタイプだと感じた。
どこか飄々としていて掴みどころがなさそうな性格。これからあまり深く関わることは辞めておこうと一人心の中で決意していると不意に清宮先輩が「で、君は?」と顔を覗き込んできて、突然のことに驚いて心臓が跳ねる。…てか距離近くないか?
「七海建人です。よろしくお願いします」
「ふーん。じゃあななみんだ!」
「はい?」
あからさまに嫌そうな顔をしたのにそれに気付いていないのかはたまた気付いているのにわざとそうしているのか(ほぼ後者とみた)「ななみん♡なーなみんっ♡」と嫌がらせの如く連呼してきて鬱陶しいことこの上ない。はーーーー…と深い溜息をつきながら目頭を揉む。
「…先輩に大変失礼であることは承知の上で申し上げますが」
「ん?どうしたの?ななみん」
「不愉快ですからその呼び方、辞めて頂けませんか」
しーんと静まり返る教室。しばらくすると灰原がハッとした感じで私を見て「な、七海…」と眉を下げて名前を呼んだ。先輩に対してそんなこと言っても大丈夫なのか?と顔に書いてあるが流石にあの鬱陶しさを我慢できる程私は大人ではない。
でも少しきつく言い過ぎたか?少々の申し訳なさを感じて清宮先輩を見てギョッとした。
「……私にそんな態度とった男はじめて」
目をキラキラと輝かせて私の手を取りギュッと両手で包み込むように握ってくる清宮先輩が理解不能すぎてぞわりと背筋が粟立つ。灰原は「七海、良かったな!先輩怒ってなくて」とボソボソ耳打ちしてくるがいやそこじゃないだろ、灰原雄。少し前に挨拶を交わした上級生の先輩が言っていた『呪術師をやってる奴にまともなやつはいない』の言葉を今身を持って体感している。少なくとも今目の前にいる先輩はまともな人ではない。
「…あの、手離してくれませんか」
「あっ、ごめんね。ななみんがあまりにかわいくて、つい」
そう言って舌を出してパッと手を離す清宮先輩。嫌もう突っ込みどころが多すぎてもはや何の言葉も出てこない。胃が痛い。
「ななみんって、ハーフ?綺麗な顔立ちしてるね」
「…あの、清宮先輩。先程の私の話聞いてましたか?」
「ん?なあに?“ななみん”」
もう駄目だ話が通じない。まともに相手にするのも馬鹿馬鹿しいし今はとにかく先輩が去るまでの時間を上手くやり過ごそう。
「ねえどこのハーフ?」
「ハーフじゃなくてクォーターです。母方の祖父がデンマーク人で」
「へえ、デンマーク。ぽいぽい。綺麗な顔してるもんねえ」
もっと良く顔見せて。顎を指でクイっと持ち上げられそのまま顔を寄せてきた清宮先輩にじーっと至近距離で見つめられる。そして今、確信した。やはりこの人は距離感がおかしい。灰原が「ひゃー!!」と女子かと言いたくなるような悲鳴を上げて顔を両手で覆い隠している。
「…清宮先輩、近いです」
「ドキドキしてる?」
「いえ全く。ただ距離が近すぎるので離れてほしいとは思ってます」
「綺麗な顔が目の前にきたら普通はドキドキするものじゃないの?」
「まあ、綺麗だとは思いますけど。私の好みの顔ではないので」
「うっそ。ほんとに?やだあ。ますます気に入っちゃった。ななみん♡」
「清宮先輩、いい加減に…」
「希」
ドスの利いた低い声。誰が聞いても分かる、明らかに怒気を含んでる声。視線を向けると、夥しい呪力量を帯びた長身で白髪の黒のサングラスをかけている男が扉にもたれ掛かりながら此方を見ていた。一目見て分かった。彼が上級生の先輩が言っていた呪術界一の有名人ーー“五条悟”だ。
「あ、悟だあ」
この不穏な空気を打ち消すような明るく弾んだ声。そのまま清宮先輩は五条先輩に駆け寄ると飛びつくように抱きついて思わず灰原と顔を見合わせる。
つまりこの二人はそういう関係ということなのだろうか?いや距離感が狂っている清宮先輩のことだ、ハグなんて挨拶じゃんとか普通に言いそうな気もする。
「希ちゃーん。分かる?俺今ちょー怒ってんの。激おこ。こんなんじゃ絆されねーから」
「うそ。後輩に嫉妬しちゃったの?」
「つかそもそも何一人で一年のとこ行ってんの?俺も誘えよ。意味わかんねー」
「だって傑と硝子はもう挨拶済ませたとかいうし…悟と一緒に来たかったけど悟今日任務だったじゃん?」
「ふーん。それで俺がいないことをいいことにそこの一年坊主とよろしくやってたわけだ?」
そう言って私を顎で指す五条先輩に勘弁してくれと溜息をこぼしたくなるのを必死で堪えた。
この二人のやりとりから見て二人が交際していることが確定したが二人の痴話喧嘩に巻き込まれるのは御免だ。頼むから清宮先輩、きちんと五条先輩に釈明して下さいよ。祈るような気持ちでいると清宮先輩は五条先輩の頭をよしよししている。灰原が「二人とも付き合ってるのかな?美男美女で凄くお似合いだね!」なんて目をキラキラ輝かせながら二人のやりとりを見ているが正直私は今それどころではない。これからの学生生活の明暗がかかっているのだ。
「さとる、可愛いねえ。よしよし」
「ナメてんの?早速浮気しやがって。いくら後輩でも殺すよ?」
「ななみんはね〜そういうのじゃなくて、なんていうか…ペットみたいな感じ?」
「は?ペット?」
「なかなか懐いてくれない猫ちゃんみたいな?そういう感じの男の子今までいなかったから新鮮でちょーーかわいいの」
ペット。懐いてくれない猫。まさか自分が人間扱いされていなかったとは。でも今はそれでいい。五条先輩は「ふーん。猫ちゃん、ねえ」と冷ややかな声で言うと長い足で一気に距離を詰めてきて、先程物騒な言葉を耳にしたばかりの身としては咄嗟に身構えてしまう。
「おいお前。フルネームは?」
「…七海建人です」
「僕は灰原雄です!!」
「へえ。俺は五条悟。そんでそこにいる清宮希は俺の彼女」
「やっぱり付き合ってるんですね!!さっきの二人のやりとり見てそうじゃないかな〜って思ってたんです!!美男美女で凄くお似合いですね!!」
「…ふーん。灰原お前良い奴じゃん」
「えっ!ありがとうございます!」
「悟、良いの?付き合ってること二人に話しちゃって」
「んー?こいつら後輩だし別に良くね?それとも何?七海に聞かれたらまずかった?」
「も〜だからななみんはそういうのじゃないって。ねっ?ななみん」
頼むから今は話を振らないで欲しい。五条先輩の射るような視線が痛い。「当たり前ですよ…」と死にそうな顔で言うと、五条先輩はスッと顔を近づけてきて私の耳元で囁いた。
「俺の女に手出したら殺すから」
ゾッとする程冷たい声に、体が硬直して嫌な汗が噴き出す。
「なになになんの話ー?内緒話〜?私にも聞かせてよー!」と五条先輩の腕に絡みつく清宮先輩と未だに不機嫌そうな五条先輩。
そう言えば上級生の先輩がこうも言っていた。
『五条に目つけられたら厄介だから気を付けろ』と。
詰んだ。完全に手遅れ。たった今、平穏な学生生活が早々に崩れ去った。
これからの不穏な未来を思い浮かべて、誰にも気付かれないように小さな溜息をこぼした。