懐玉

「すまない、私のミスだ。敵側にとっての黒井さんの価値を見誤っていた」
「えー?傑は悪くないよー」
「そうそう。それにミスって程のミスでもねーだろ」


落ち込んでる傑の頭をよしよししていると、理子ちゃんがじーっと私の顔を見つめてきて、ん?と首を傾げる。


「だ、大丈夫なのか?血が…」
「あー…うん。大丈夫」


これ、私の血じゃないし
とは流石に中学生の女の子には言えないからははは、と苦笑いをして誤魔化す。(全く誤魔化しきれてないけど)
てか急いで来たから返り血そのままだったの忘れてたじゃん!傑が「綺麗な顔にこんな汚い血は似合わないよ」なんて言いながらハンカチで血を拭ってくれる。優しい。悟はクツクツと笑いながら後ろから抱きついてくる。


「てかさ、相手は次人質交換的な出方でくるだろ。天内と黒井さんのトレードとか、天内を殺さないと黒井さんを殺すとか」
「確かに。でも交渉の主導権は理子ちゃんのいるコッチなんだから、取引の場さえ設けられれば後は私達でどうにでもなるでしょ」
「うん。希の言う通り。天内はこのまま高専に連れて行く。硝子あたりに影武者やらせりゃいいだろ」
「え、硝子が影武者?危なくない?」
「でた。希は硝子に過保護すぎ」
「私のかわいい子ちゃんをそんな危ない目には合わせられません!!」
「「ぶふっ」」
「ま、待て!!取り引きには妾も行くぞ!!まだオマエらは信用できん!!」
「ああ?このガキ、この期に及んでまだーー」
「助けられたとしても!!同化までに黒井が帰ってこなかったら?まだ、お別れも言ってないのに…!?」


目に涙を溜めながらぎゅううとスカートの裾を握る理子ちゃんに思わずぐっと胸が打たれる。そうだよね、同化したらもう二度と黒井さんには会えなくなるもんね。最後くらいきちんとお別れしたいに決まってる。理子ちゃんにとって黒井さんは、家族のような大切な存在なんだから。私にとって、悟と傑と硝子が誰よりも大切な存在であるように。
悟も私と同じ気持ちみたいで、理子ちゃんを連れて行くことに決めたみたいだ。
ホッと胸を撫で下ろすと、傑がにやにやしながら私の顔を覗き込んでくる。


「なあに?人の顔みてにやにやして」
「んー?希は案外お人好しだよねって話」
「はー?私がぁ?お人好しぃ?」
「希のそういうところ、好きだよ」


優しく目を細めてそんなことを言われたら、なんだか照れ臭くなってふいっと顔を逸らしてしまう。
くすくす笑っている傑がなんだかムカついて、ばか!ってお腹に蹴りを入れようしたけど寸前で避けられてチッと舌打ちをする。
悟は「パンツ見えたー!黒だー!」なんて小学生みたいなことを言ってゲラゲラ笑っているけど、まじでクソガキだな。そんな悟に傑が殴りかかるのを、理子ちゃんがドン引きしながら眺めている。


「理子ちゃん」
「え?」
「黒井さんは、大丈夫。絶対に私達が助け出すから」
「…うん。ありがとう」


ぎゅっと理子ちゃんの手を握ると、その小さな手は微かに震えていた。





「「「めんそーれー!!!!」」」


《 護衛 2日目 沖縄 》


海海海海海だーーー!!!
悟が選んでくれた、新しく買ったばかりのシンプルな白ビキニを身にまといながらくるりと回る。


「どう?さーとーる♡」
「かわいい!エロい!最高!世界一!」
「似合う?」
「めっちゃ似合ってる!おっぱい最高!」
「えー?おっぱいだけー?」
「は?なわけないだろ。希の存在が最高。俺だけの女神様」
「ありがとう♡悟も最高にかっこいいよ♡」


2人できゃっきゃっしていると、理子ちゃんがそんな私達をじーっと見つめながら不思議そうに口を開く。


「…2人は付き合っているのか?」


しーん。
一瞬悟と固まって、そして顔を見合わせてバッと2人で理子ちゃん見ると、理子ちゃんがビクッと身体を震わせる。


「「……….付き合ってないけど??」」


本当に?ってじろりと疑いの目を向けてくる理子ちゃんと、困ったように笑っている黒井さんと、ニヤついている傑。え、そんなに私達って分かりやすいの??
悟はそんなのいいからとっとと海に入ろうぜ!なんて肩に腕を回されてぐいっと身体を引き寄せられる。
…かわいいなあ。多分、いや絶対私のナンパ避けだな。そういうところ、大好き。
理子ちゃんも連れてきゃー!なんて騒ぎながら3人で海に入る。せっかく沖縄に来たんだもん、楽しまなくちゃ損でしょ。





「まさか盤星教信者…非術師にやられるとは、自分が情けない」
「不意打ちなら仕方ないですよ。私の責任でもある」
「不意打ちだったんですかね。『Q』の一件で気をつけてたつもりだったんですけど、イマイチ襲われてた時の記憶が…というか飛行機で来たんですね。大丈夫だったんですか、襲撃とか」
「悟は目がいい。アイツが離陸前に乗客乗員 機内外をチェックして、飛行中は機内を希の結界が、外は私の呪霊で張りました。下手な陸路より安全でしたよ。それより私は沖縄を指定してきたことが気になります」
「時間稼ぎじゃないんですか?理子様を殺められなくても明日の満月に間に合わないよう」
「それなら交通インフラの整っていない地方を選びます」
「!!まさか奴ら、空港を占拠する気じゃ」
「かもしれません。でも大丈夫。ココ沖縄に来たのは、私達だけじゃない」





「どう考えても一年に務まる任務じゃない」
「僕は燃えてるよ!!夏油さんと希先輩にいいとこ見せたいからね!!」
「夏油先輩は分かるとして、何故清宮先輩に?」
「頑張ったねって褒めてほしいからに決まってるだろう!」
「…聞いた私が馬鹿でした」
「それに、いたいけな少女のために先輩達が身を粉にして頑張ってるんだ!!僕達が頑張らないわけにはいかないよ!!」
「台風が来て空港が閉鎖されたら頑張り損でしょう」





「ブハハハハハ!!ナマコ!!ナマコ!!」
「ちょっ!!マジで近づけるな悟!!キモい!!」
「キモッ!!キモなのじゃー!!」


イヤだって何回も言ってるのにしつこくグイグイ私の顔にナマコを押し付けてくる悟にイライラしながらも、そっとその耳元に口を寄せる。


「悟。昨日から術式解いてないよね。全く寝てないし、大丈夫?」
「ん?問題ねぇよ。桃鉄99年やった時の方がしんどかったわ。それに、オマエたち希と傑もいる」


その言葉に、はー…とため息を吐いて肩をすくめる。


「お願いだから、無理だけはしないで」
「希がチューしてくれたらお願い聞いてあげる」
「どうせ触れられないでしょ」
「希に触れられてる時は無下限切ってるよ。愛だろ?」
「ばか」


呆れながらちゅ。と頬にキスをすると、悟は嬉しそうにくしゃりと笑う。
…本当に心配なの、分かってよ。隠しているつもりだろうけど、悟が疲労しているのが目に見えて分かるから。傑も絶対に気付いてる。


「悟!!希!!時間だよ」


そんな時、傑の声が聞こえてきてバッと視線を向ける。理子ちゃんが明らかにしゅんとしているのが分かって、悟が高専に戻るのは明日の朝にしようと傑に提案する。理子ちゃんのことを想ってのことだって分かってる。分かってるけど、それだと悟がーー。傑も悟のことを心配そうに見ているけど、悟の意見を尊重したみたいだ。高専に戻るのは明日の朝になった。




















水族館。ガラス越しに大きな鮫が優雅に泳いでいる。
そっと理子ちゃんの隣に立つと、理子ちゃんはゆっくりと私に視線を向ける。


「妾のことを、可哀想だと思っているのか」
「…どうなんだろう、自分で自分がよく分からない」


幼い時に両親を亡くし、まだ中学2年生なのにこの先大切な人に一生会えなくなる彼女。
担任は天元様との同化を“抹消”と言った。つまりは、そういうことなんだろう。


「理子ちゃんは…黒井さんのこと、大切?」
「黒井は」
「うん」
「黒井は、妾の家族じゃ」


真っ直ぐに私を見つめる理子ちゃんの瞳は揺らいでいる。


「そっか」


7歳の頃、それほど繁栄していない呪術の家系にそれなりの額で買われてから、私にはずっと家族がいなかった。
幼い頃から他の人には見えないモノが見えていたせいで両親から薄気味悪がられ、それはもう笑えないほど酷い虐待を受けた。
それでも、幼い頃の無力な私にとって、あの人達が私の全てだった。どんなに酷いことをされても、私にとってたった一人の“お母さん”と“お父さん”だったから。
だから私が捨てられたと知った時、この世界に絶望した。私の人生クソ。自分が生まれてきた意味さえ分からなくて、それでも自分の手で自分の人生を終わらせるほどの勇気も持ち合わせてなくて、呪術師なんてイかれた職業をしていたら早かれ遅かれいつか敵わない呪霊と対峙して死ぬだろうから、そんな日を待ち望んで地獄のような日々をただ意思を持たない人形のように過ごしていた。


そんな時に、私は高専に入学して、悟と傑と硝子に出会った。
美味しいご飯を一緒に食べて、徹夜でゲームをして、喧嘩をして、仲直りをして、面白い漫画を4人で共有して、任務で怪我をしたら本気で心配してくれて、たくさんお出かけして、抱き合いながら一緒に眠った。
初めて心の底から笑って、初めて“愛”というものを知った。胸がぐっと熱くなって、目頭がじわじわと熱くなった。
生まれて初めて、私の人生捨てたもんじゃないって思えた。
私にとって悟達は、私の命よりずっと大切な、かけがえのない存在。家族だと思っている。
そんな悟達と、もし一生会えなくなったらーー


「………もし、理子ちゃんが、同化を拒むなら」
「……」
「その時は、私達は全力で貴女を守る」


真っ直ぐに理子ちゃん見据えてそう言うと、理子ちゃんはぐっと唇を噛み締めて、ぽろぽろと涙を零した。


「ありがとう…っ」


この子の諦めたような瞳は、どこか、昔の自分に似ている。
だからこんな風に、らしくないことを口走ってしまうのだろうか。
理子ちゃんの涙をハンカチで拭ってあげていると、少し離れた場所にいる悟と傑が優しい眼差しで私のことを見ていて、照れ臭くなって俯いた。こっち見んな、ばか。






《 護衛3日目(同化当日) 都立呪術高専 筵山麓 》

15:00
( 天内理子 懸賞金取り下げから4時間 )



「皆、お疲れ様。高専の結界内だ」
「これで一安心じゃな!!」
「……ですね」
「……」
「悟。本当にお疲れ様。よく頑張ったね」
「希の言う通り、悟。本当にお疲れ」
「二度とごめんだ。ガキのお守りは」
「お?」


ーートスッ


本当に一瞬だった。まるで透明人間のように、突然、奴は現れた。


「アンタ、どっかで会ったか?」
「気にすんな、俺も苦手だ。男の名前覚えんのは」


「悟…っ!!」


一目見て分かる、彼は、化け物だ。
全身の穴という穴から嫌な汗が噴き出す。
やばい。この男は、絶対にやばい。
悟を失うかもしれない。ここまでの焦りと恐怖を感じたのは、後にも先にもこの時だけだった。

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