胸騒ぎ

どうして何も感じなかった?
おかしい。何かが、おかしい。
私は呪術師の中でもトップクラスの探知能力を誇ると言われている。その人が纏う呪力や殺気を、ここまで近くにきて私が感じ取れないはずがない。
つまりーーこの男には全く“呪力”がない。


「悟…っ!!」
「悟!!」



傑が司令する呪霊をだしながら悟に駆け寄るのと、私が悟に駆け寄るのはほぼ同時だった。
嫌な予感がして、さっきから冷や汗が止まらない。
ヤツには呪力が少しも感じられない。
十中八九、“天与呪縛”だろう。
だけど、完全に呪力を持たない縛りは今まで聞いたことがない。つまり、それだけ強力な力を得ているということだ。


「問題ない」


駆け寄る私達に、悟が手のひらで制止する。
…何が問題ないの?睡眠不足と術式をずっと発動していたせいで疲労困憊な上に刺されてるのに。なんで笑っていられるの?ねえ、悟。


「術式は間に合わなかったけど内臓は避けたしその後呪力で強化して刃をどこにも引かせなかった。ニットのセーターに安全ピン通したみたいなもんだよ、マジで問題ない。天内優先。アイツの相手は俺がする」
「悟、待って。私も加勢する。アイツの能力は未知数だし、私も一緒にーー」
「希」


ぽん、と頭に大きな手のひらが乗って、髪の毛をわしゃわしゃされる。


「誰に言ってんだよ、バカ。あんな奴、俺一人で充分だっつーの」
「でもっ」
「天内優先。俺の言うこと聞けるよな?希」


有無を言わせない悟の物言いにぎゅっと唇を噛んでおし黙ると、悟は優しい眼差しで私を見つめて背を向ける。


「悟。死んだら悟のこと、嫌いになるから」
「はは、それじゃあ死ぬに死にきれねーな」
「バカ悟」


それだけ言って傑達と一緒に走り去る。
アイツは化け物だ。力が計り知れない。
でも、悟の規格外な強さを私は誰よりも知っているつもりだ。不安がないと言えば嘘になる。でも、今は悟のことを信じてみようと思った。
悟なら、大丈夫。絶対に、大丈夫。
あの悟が、負けるはずがない。
傑がそっと手を握ってくれて、ぎゅっと握り返した。傑の手の暖かさと優しさに、なんだか涙が出そうになった。

















高専最下層
薨星宮 参道


「理子様。私はここまでです。理子様…どうか…」
「黒井。大好きだよ。ずっと…!!これからもずっと!!」
「私も…!!大好きです…」


泣きながら抱き合う理子ちゃんと黒井さんを、私と傑は少し離れた場所から見ていた。ここを進んで天元様と同化したら、理子ちゃんと黒井さんはもう二度と会えなくなる。本当に、それでいいの?


「ここが…」
「あぁ」
「天元様の膝下。国内主要結界の基底。薨星宮 本殿」
「階段を降りたら門をくぐってあの大樹の根元まで行くんだ」
「そこは高専を囲う結界とは別の特別な結界の内側で、招かれた者しか入ることはできないの。同化まで天元様が守ってくれる」
「それか引き返して、黒井さんと一緒に家に帰ろう」


傑の言葉に、目を見開いて傑を凝視する。


「……え?」
「担任からこの任務の話を聞かされた時、あの人は“同化”を“抹消”と言った。あれはそれだけ罪の意識を持てということだ。うちの担任は脳筋のくせによく回りくどいことをする。君と会う前に、希と悟との話し合いは済んでる」


傑がそう言って、私の頭を優しく撫でる。


「私達は、最強なんだ。理子ちゃんがどんな選択をしようと、君の未来は私達が保証する。希だって、私と同じ気持ちだろう?」
「うん」


こくんと頷いて、理子ちゃんを真っ直ぐに見据える。


「あの時言ったでしょ?もし理子ちゃんが同化を拒むなら、その時は私達は全力で貴女を守るって」
「……私は、生まれた時から星漿体とくべつで皆とは違うって言われ続けて、私にとっては星漿体とくべつが普通で、危ないことはなるべく避けてこの日のために生きてきた。お母さんとお父さんがいなくなった時のことは、覚えてないの。もう悲しくとも寂しくもない。だから同化で、皆と離れ離れになっても、大丈夫って思ってた。どんなに辛くたって、いつか悲しくも寂しくもなくなるって。…でもっでもやっぱりもっと皆と…一緒にいたい。もっと皆と色んな所に行って、色んな物を見て…もっと!!」









ーーゾクッ
全身を凍りつかせるような悪寒が走る。


なんで、なんでアイツが、ここに来ている。
悟が取り逃がした?いやまさか、悟がそんなヘマをするとは思えない。じゃあ、どうして。


「帰ろう。理子ちゃん」


っだめだ、間に合わない。気配に気付くのが遅すぎた。


「………っ希!!!」







「……う、っ…」


背中が焼けるように熱くて、意識が遠のいていく。霞行く視界の中で、目の前で理子ちゃんがぽろぽろと涙を零していた。


傑の声も徐々に聞こえなくなっていく。
視界ももう真っ暗で、何も見えない。
もう痛みすら感じない。
私が、この私が、誰かを庇って死ぬなんて、一体誰が想像しただろうか。
傑に約束破ったって怒られるかなあ。
悟はきっと泣きじゃくるだろうな。
硝子は悲しんでくれるかな。


世界はいつだって不平等だ。


だけど私は、確実に、悟と傑と硝子に出逢って幸せだった。
幸せだったんだよ。

嗚呼ーーもう、だめだ、瞼が重くて開かない。


「すぐ…る」


「であってくれて…ありがとう」
























「……ん」


重い瞼をゆっくりと開くと、視界には見慣れた真っ白な天井と、薬品の匂い。
ここが高専の医務室だと理解するのと同時に、横から伸びた長い腕の中にぎゅうと閉じ込められた。
その瞬間漂う大好きでたまらない甘い香りに、目頭がぐっと熱くなって、涙がぽろぽろと零れ落ちる。


「っ、ばか!ばか希!!」
「…いきなりばかはひどくない?」


悟の声が聞いたことがないくらい弱々しくて震えているから、そのまま背中を優しくさすると、悟が瞳に涙の膜を張りながらキッと睨みつけてくる。


「俺が死んだら嫌いになるって言ったくせに、お前が死にかけてどうするんだよ!」
「死んではないからセーフでしょ」
「果てしなく黒に近いグレーだっつーの!」


二人でグズグズ鼻をすすりながらお互いの存在を確かめ合うようにぎゅうぎゅう抱きしめ合う。
生きている。私も、悟も。今、確かに、ここに存在している。それがどれだけの奇跡であるか、私達は誰よりも知っている。知ってしまった。
人間は簡単に死ぬ。人より優れた能力や才能を持っていても、命は平等に、驚くほど呆気なく消え失せる。



「悟、」
「ん?」


悟の呪力の流れが明らかに変わっている。
その意味を、私は理解している。


「アイツは、死んだんだね」


「うん。俺が殺したよ」


真っ直ぐ、瞳を逸らさず、悟はそう言った。


「任務失敗。天内も黒井さんも死んだ」


あの子を、守りたかった。命をかけて、守ろうと思った。それでも、守りきれなかった。
ありがとう。と涙を零しながら私にそう言ったあの子は、もうこの世にはいない。



揺らぐな。“こんなこと”で揺らいではいけない。
救える命もあれば、救えない命もある。
救えない命の数だけ悩み苦しんでいたら、いつか私は壊れてしまうだろう。


「そっか」


私はーー呪術師だ。




















「「…希っ!」」


勢いよく開いた扉に視線を向けると、瞳が潤んでいる硝子と、心底ホッとしたような顔の傑がすぐに駆け寄ってきて、思わず顔が緩んでしまう。


「…お前らくるの早すぎじゃね?俺が連絡してからまだ1時間も経ってないんだけど」
「うるさい。うるさい五条…」
「え、もしかして硝子泣いてるの?」
「は?泣いてないし…!」


思わずぎゅうっと硝子を抱きしめると、硝子がゆっくりと背中に手を回してきて、思わず胸がキュンと高鳴る。え、硝子かわいすぎじゃない?


「…反転術式を施しても、丸1週間目が覚めなかったんだよ。五条も、夏油も、私も、その間ずっと…生きた心地がしなかった」
「うん。心配かけてごめんね、硝子」
「ばか。ほんとばか」


泣いている顔を見られたくないのか、私の胸に顔を埋める硝子がかわいすぎて頭をよしよし撫でる。悟はそんな私達を優しい眼差しで見つめていて、守れなかった命があるのに普通に笑えている自分が末恐ろしくもなった。揺らいではいけない、確かにそうだけど、こんなにも簡単に切り替えができている自分はやっぱり根っからの“呪術師”であることを思い知らされたようで、そんな自分に産まれて初めて虫唾が走った。






「希。生きていてくれて…ありがとう」


そう言う傑の瞳は、以前の傑と違ったものに見えて、胸がざわつく。
この違和感は、なんなのか。私の、勘違いなのか。そうであってほしい。何故だか傑が私達の元から去っていくような気がして、咄嗟に傑の手を握ると、その手は驚くほど冷たかった。

// //
top