「はあっ、おいかわせんぱ…っ」
「んっ、はあっ」


幼馴染と彼女とのキス現場を偶然目撃してしまった。世間ではこれを修羅場と呼ぶらしい。だけど俺の心の中は至って冷静で、特に取り乱すことなく目的の忘れ物を持ち帰るためにガラガラと扉を開けて教室に入る。


「えっ」


俺の顔を見た瞬間、面白いくらいさーーーっと顔が青ざめる彼女を見ながら、“漫画みてえ”とどこか他人事のように思う俺も、コイツら同様なかなかの最低野郎なのかもしれない。


「ちがっ、ちがうの、蓮くん…っ」
「なにが違うの?」
「えっ」
「今徹とキスしてたじゃん」


別に怒っているわけではないのだけれど、どうやら彼女の目には俺が怒っているように見えたらしい。「ごめんなさい…っ」何度も目に涙を滲ませながら謝罪の言葉を口にする彼女の隣で特に悪びれる様子もなくむしろこの状況を楽しんでいるかのようにニヤニヤと口角を吊り上げている徹が嫌でも視界に入る。うわあ、性格わっっっっる。まあ知ってたけど。



「もう謝らなくていいよ」
「だったらっ」
「別れよ」
「え…」
「バイバイ」
「まっ、まってっ、まって蓮くん…っ!」


目的のものは鞄の中に入れたからもうここに用はない。良かった、これで明日宿題を忘れずにすむ。ついさっきまで彼女だった子と徹に背を向けて足を進めて扉に手をかけた瞬間、「蓮」と後ろから聞き慣れた声がして振り返る。


「一緒に帰ろ」


は?思わず目を見開く俺と元カノに反してにっこりと微笑む徹。えー…オマエこんな空気読めない奴だったっけ?「別にいいけど」答えると元カノに目もくれず俺の元にすぐに駆け寄ってくる徹。元カノ信じられないって顔してるけど大丈夫?この流れ的にオマエと元カノがこのままいい雰囲気になってじゃあ付き合う?みたいになるんじゃないの知らんけど。


「怒らないの?」


帰宅途中で徹にそう聞かれてキョトンとする。一応怒らせるようなことをしている自覚あったんだって驚きを隠せない。怒らせると分かっていて、何度も俺の彼女を寝取る意味もまた。まあ徹にとって所詮俺はその程度の人間で、別に俺に嫌われたとしても何のダメージもないんだろうけど。



「別に。もう慣れた」
「ふっ、はは。慣れって。あの子こと本気じゃなかったの?」
「んー?告白されてかわいかったからOKしただけ」
「ひでー」


ケタケタ笑う徹。ひどいのはどっちだよ、口には出さずに心の中でひっそりと呟く。何度も何度も俺の彼女ばかりを寝取る徹の方が世間から見ればよっぽどひどいと思うんだけど。寝取り癖?そういう性癖?それとも俺と徹の女の好みが被っていて偶然、たまたま俺の彼女ばかりを好きになってしまうとか?まあ流石にそれはないか。


「あの子、不安がってたよ」
「不安?」
「うん。自分ばっかりが蓮のことが好きで、蓮から好かれてる自信がないって」
「ふーん」
「前の子も、その前の子も。みんな口を揃えてそう言ってたよ」
「…へえ」
「だから優しい及川さんが慰めてあげたの」
「だったら」
「うん?」
「元カノのことほっといて、今俺と一緒にいてもいいの」


多分今元カノ落ち込んでると思うんだけど。ぱちり、徹と視線が交わる。ガキん頃はコイツがなにを考えてるのか大抵のことは分かったけど今は徹がなにを思ってなにを考えているのかさっぱり分からない。たまに思うのは、もしかしたら俺は徹に嫌われているのかもしれないということ。だって普通に考えたらおかしいじゃん。幼馴染で、同じバレー部員の友達の彼女ばかり狙って寝取るなんて。嫌がらせとしか思えない。もしかして徹は俺に部活を辞めて欲しいとか?だからあんなことすんのかな?そう思ったらなんか妙にしっくりときて、心臓がジクジクと痛む。うん。痛くて、苦しい。


「俺は蓮と一緒にいたい」
「…あっそ」
「ね、肉まん食べよ。肉まん。お腹すいた」
「別にいいけど。徹の奢りな」
「えー!なんでさ!」


ぎゃあぎゃあ騒ぐ徹にくすりと笑う。コンビニに入って結局会計の時にお金を出してくれる徹は根は悪くないし何だかんだで良い奴なんだと思う。いや性格悪いんだけど。だけど俺は知ってるからさ。徹の優しいところ。努力家なところ。仲間思いなところ。全部全部この目でしっかりと見てきたから。俺たちは小さな頃から当たり前のように一緒にいるから、徹のだめだめなところもかっこいいところも、俺はぜーんぶ知ってるんだよ。

だから。本当は少し、いや結構、俺は今傷付いているのかもしれない。だって気付いちゃったから。徹はきっと俺に部活を辞めてほしくて、だからずっとあんな嫌がらせをしていたんだってことに。なんでこんなにも簡単なことに今まで気付かなかったんだろう。時間はたっぷりとあったはずなのに、鈍感にもほどがあるだろう。俺がリベロの今のチームじゃきっと全国にはいけないと徹は判断して、だけど俺は徹の幼馴染だから、きっと優しい徹は言いづらかったんだと思う。だから嫌がらせをして、俺が自分から徹離れをするように仕向けた。俺が徹のことを嫌いになれば、必然的にバレー部を辞めるだろうと徹は思ったんだろう。そうに決まってる。そうじゃなきゃ、なにもかもがおかしい。


「蓮?」
「なに?」
「お腹、すいてないの?」


徹にそう聞かれて、全然肉まんを口にしていないことに気付いた。正直今食欲は皆無だけれど、「そんなことないよ」と答えてぱくりとそれを口に含む。いつもなら美味しいと感じるのに、今はなんの味もしない。


「…あの子のこと、考えてるの?」
「え?」
「ううん、なんでもない」


明日退部届ださなきゃな。本当は部活辞めたくないよ。バレーが大好きだし、それになにより今まで一緒に頑張ってきたチームメイトとオレンジコートの上に立ちたかった。全国に行きたかった。夢を、叶えたかった。でもそれは叶わないみたいだ。仕方ない。青葉城西のバレー部の主将がそう判断したんだから、俺はそれに従うのみ。結局俺はなによりも誰よりも徹のことが大事なんだと改めて思う。何十年越しの片思い。きっかけなんて覚えていないから、きっと些細なことだったんだと思う。気付いたら俺はずっと徹のことを目で追って、全身全霊をかけて恋をしていた。徹を見るたびドキドキ胸が高鳴って、世界がキラキラと輝いて見えた。


だけど徹は男で、俺も男だから。
年齢を重ねれば嫌でも分かることだ。それが普通じゃないってこと。だから俺は、大好きな徹に嫌われないようにずっとこの恋心に重い蓋をしてきた。絶対にこの気持ちが徹に知られてはいけない。バレたらおしまい。絶対に気持ち悪がられて、距離をおかれて、それで、おしまい。そんなの最悪すぎるだろう。俺は徹の幼馴染として、バレー部の仲間として、徹と一緒にいれるだけで十分すぎるくらい幸せなんだから。だからこの関係性を維持できるように俺なりに今まで頑張ってきたつもりだ。

人より恵まれた容姿をしている徹は、中学の時もそれなりにモテていたけど高校に入学してからそれまでの比じゃないくらい異様に女の子からモテた。いつのまにかファンクラブも結成されていて、取巻きの女の子達から毎日差し入れをもらっている姿を目の当たりにしては胸が張り裂けそうになって苦しくなった。毎日が憂鬱で辛くて苦しくて、込み上げるモノを堪えきれずに吐いたこともある。…ああ、これは、嫉妬だ。俺は女の子達に嫉妬しているんだとこの時に初めて自覚した。だから徹にきゃーきゃー言っている女の子達が、少しでも減るようにとそれはもう必死になって考えた。


「えっ、あの金髪の男の子だれ…?!」
「めちゃくちゃ美形じゃない…?」
「ねえあの子一ノ瀬くんじゃない!?あのバレー部のリベロの…」
「うそあの地味だった子!?全然違うじゃん!」



美容院に行って今までおしゃれに無縁だった俺が髪を思いきって金髪に染めて、高めのトリートメントをしてもらってさらさらの髪にしてもらった。死ぬほど怖かったけど、耳に自分でピアスの穴も開けた。本当に怖すぎてちびるかと思った。考えて考えて俺は徹のファンの子の一部が俺のこと好きになれば人数減るじゃんって今思えばアホすぎる考えが浮かんで、しかもそれをすぐに実行に移した。いやまじで一年の時の俺アホすぎる。アホすぎて笑えねえ。結局徹のファンの女の子は全く減らなくて、変わったことと言えば俺のファンクラブもプラスで結成されたことくらい。イメチェンの意味。別にモテて嬉しくないわけじゃないけど、徹のことが好きな女の子が減らないのは普通にいやかなり嫌だったから全くもって俺の心は落ち着かなかった。


しかもイメチェンした俺を見て徹の第一声。
「似合ってねえ!!!!」
不機嫌そうに眉間を寄せてそんな言葉。
もう完全に俺の恋は終わってる。



イメチェンを機に急激にモテはじめた俺は、その日から毎日のように女の子から告白されるようになった。最初こそ好きでもない女の子と付き合うのは失礼だからと丁重に断っていたけど、次第に「誰か付き合っている人はいるんですか?」と詰め寄られるようになって「いないよ」と答えると「じゃあ好きな人がいるんですか?」と聞かれる。好きな人は、いる。いるけど。流石にここで及川徹のことが好きだなんて口が裂けても言えなくて、言葉が出ず黙り込む俺に対して女の子は「お試しでいいから、付き合ってみませんか」と抱きついてくる。もういいやって思ったんだよね。どうせ徹と付き合えるわけじゃないし、だったら別に女の子と付き合ってもいいじゃんって。正直に言うと、いちいち断るのがめんどくさくなってきてたんだと思う。うん。なかなかの最低野郎だって俺も思うけど、仕方ないじゃん。めんどいもんはめんどい。「いいよ」と言えば、女の子が嬉しそうに笑ってそしてちゅ、と唇が触れる。あ、柔らか。それ以外になんの感情も沸かない。これが俺のファーストキスだった。



「蓮、彼女できたんだって?」
「え。なんで知ってるの?」
「なんでって…すごい噂になってるよ。彼女が嬉しくて言いふらしてるんじゃない?」
「マジか…」


別に徹に知られて困ることはないのだけれど、ほんの少しでも寂しがったりあわよくば嫉妬してくれたりしたら嬉しいなあとは思っていた。岩ちゃんに彼女ができた時は、徹は目に見えて寂しがっていたから。


「どんな子?」
「普通にかわいい子だよ」
「ふーん。今度紹介してよ。俺も蓮の彼女と仲良くしたいし」
「…別にいいけど」


実際のところ、徹は寂しがるどころか俺の彼女を紹介したその日から俺以上に俺の彼女と過ごす日々が増えて、いつの間にか彼女は「及川くんのことが好きになったから別れてください」と俺の元から去っていった。マジか。あまりの衝撃に口をぽかんと開けたまま、俺はしばらくその場に立ちすくんでいた。

てっきり徹はそのまま元カノと付き合うと思っていたのだけれど、そういうわけではなかったらしい。逆に驚いた。付き合わないんだって。でもじゃあなんで?徹曰く「俺は別にあの子のこと好きじゃない」って。ええ。ますます意味がわからなくなった。またすぐ別の女の子に告白されて、付き合って。紹介してという徹に彼女を紹介したら、また「及川くんのことが好きになったから」って振られてしまった。その女の子の首筋にわかりやすく独占欲の花が咲いていたから、「徹と寝たの?」なんて聞いたらその子は顔を真っ赤にさせてこくん、と頷いた。ええええ。マジか。まさかセックスまでしてるなんて夢にも思わなかったから、彼女だった女の子に死ぬほど嫉妬した。羨ましい。俺の方が絶対に徹のこと好きなはずなのに。オマエよりずっとずうっと前から徹のことが好きなのに。ぽっと出のオマエはこんな簡単に抱かれるなんていいよなあって。じわじわと、お腹の中に真っ黒い感情が渦巻いていく。苦しくて苦しくて、涙が止まらなくて、勘違いした元カノは申し訳なさそうな顔をしながら逃げるように俺の元から走り去った。あんのクソビッチマジで死ね。小さな声で悪態を吐く。これくらいは許してほしい。



バカな俺は、なんで徹は俺の彼女を寝取るのか、全く持って意味がわからなかった。元カノとそのあと付き合ってるわけでもないから、尚更。だけど今日、その理由を知ってしまったから。本人から直接聞いたわけじゃないけれど、間違いなくそれが理由だろう。じゃないとおかしい。



結局昨日の夜は一睡もできなかった。色々と俺だって思うところがあるんだよ。休憩時間になって、昨日書いたばかりの退部届を片手に廊下を歩いていると、目の前に岩ちゃんの姿があって。いつもみたいに「よっ」と笑顔で声をかけてくる岩ちゃんに咄嗟に退部届を隠そうとしたら、手からすべり落ちてひらひらとそれが床に落ちる。…ッ!俺のばかああああ。


「…は?なにこれ」
「ごめん今の見なかったことにして」
「できるわけねーだろ。なに、蓮部活辞めんの?」
「……の、つもり」
「及川はこのこと知ってんのか?」
「まだ言ってないけど…」
「…はあ。ちょっと今から話さねえ?二人で」


幼馴染の一人である岩ちゃんになにを言われても俺の意思は揺るがないけれど、今逃げ出したらどこまでも追いかけてくるだろうこの人から上手く逃げる術を知らない俺は仕方なくこくん、と頷く。
退部届は今岩ちゃんの手の中にあって、早くそれ俺に渡してくれないかなと願いながら、俺は岩ちゃんの後に続いて屋上に上がった。タイミング悪すぎてまじで泣きそう。つくづく俺は運の悪い男だ。
 

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